記事一覧
人生に、よりみちを。
2015年くらいからはじめたnoteのIDをTwitterなどと統一させたくて、イチからスタートすることにした。
過去のログを完全に消してしまうのは少しもったいない気がするので、再編集して載せたり載せなかったりしようかと思っている。(ID変更で一番もったいなかったのは購入・購読していたマガジンや、フォローを消さなくてはいけなかったことだなあ)
過去に書いたものを隠したり消したところで、なかった
きらめきも、どよめきも、一切合切
何かを書くのも久々だし、noteを開くことも久々で、そうこうしているうちに今年も残り1か月を切っていて、まるで玉手箱を開けてしまった浦島太郎のような気持ちでいます。やぁやぁ、ご無沙汰です。
読んでくれている人がいるのか甚だ疑問ではあるのですが、そんななか提供している写真を使ってくださる方が多いのでこの場を借りて、お礼申し上げます!
通知を見るたびに『snapmartみたいに換金されれば助か
出せない手紙をもって小さな旅にでる
敬老の日前後はいつも決まって、
自分のおじいちゃんおばあちゃんではなく、ただの一度もあったことのないおばあちゃんのことを思い出す。
そして、そのおばあちゃんが、読書のことを「小さな旅」と言ってたことがとてもとても好きだった。
・・・
小学生のとき、地域の「老人憩の家」宛てに
お手紙(ハガキ)を書く取り組みがあって、(今では個人情報の関係で無理だろうけど)
稀にそのお手紙へ、おじいちゃんおば
やがて、ぜんぶ大丈夫になる
下書きにいれたままなんとなく公開させれなかったこのnoteを、ようやく手放せそう。
現実はまだまだ現状回復とは言い難いけれど、
溢れてくるいろんな感情のどれもが本物で
わたしは、それらを見逃さないようにひとつひとつじっくり観察している途中なのだ。
・・・
苦しいからこそなにひとつ書けないんだけれど、苦しくて書けないというときほど書かなきゃいけないような気がしている。
そんなことは決してな
そしてわたしは言葉で恋をする。
写真や絵が好きな人が目で恋をするのだとしたら、音楽が好きな人はきっと耳で恋をするのだろう。食べ物が好きな人は匂いで恋をして、スポーツが好きな人は身体で恋をする。映画が好きな人はリズム感で恋をして、本が好きな人は言葉で恋をしているのかもしれない。
・・・
「めんどくさい」と自分自身が思うとき、きっと相手にも「めんどくさい」と思われてるんだろう、ということも同時に思う。
そばにいてほしいと願いな
もう後戻りできないから どうか光のなかに立っていてね
人間を太陽と月に分けるとするなら、きっとわたしは月側の人間だな。太陽の光がなければ光ることすらままならないから。
あの頃、本気でそう思っていた。
誰かに「そんなことないよ」と言って欲しかったわけじゃなくて、本心で、なんなら無邪気に、むしろほんのすこし、そう思うことが誇りにさえ思っていた節があった。わたし、自分のことよく分かってるでしょって。
そんな高校生だったわたしに、当時バイト先の仲のよかっ
わたしの届かぬあなたへ愛のある日々を
それは、年末の片づけをしていた日のことだった。
かつての恋人からもらった“最後”の手紙を見つけたのだった。
微かに手が震えてはじめて、弾けんばかりに込み上げるなつかしさとせつなさを自覚する。泣いてしまうかもしれない気持ちに戸惑いつつ、読み返そうとする指先を止められずにいた。
一呼吸おいて読んだその手紙は、皮肉にもあたたかさに満ち溢れていた。
こんなにもやわい力で、これでもかと言わんばかりにやさ
過ぎ去った嵐と夜の瑞々しさ
あれは嵐だった。
いつだって、あとから振り返ってみればよくわかる。
晴れ渡る空を、薄雲から差し込む光を、まろやかな日差しと、刺すように冷たい風がわたしを通過してはじめて分かる。あれは、やはり、毎年恒例のごとくやってくる嵐だった。
抗わないようにと、わたし自身はどんどん丸くなっていくけれど、いつだって悲しみの記憶は容赦なく覆いかぶさってくる。どうしようもない。逃れられないとわかっているからこそ、本
キラキラにもメンヘラにもなりきれないまま、春は
TWICEが歌うOne More Timeみたいな女の子になりたかった。
帰宅したというのに、上着も脱がず、テレビもつけず、誰もいない静かな部屋で、昨夜見た情熱大陸を思い出しながらひとり思った。
それ以外はなんにも考えられないくらい、ただ、すっかり疲れていた。
Gimme gimme more 君と歩いて行く
One more time gimme gimme
One more time
ごめんねばかりでいつもごめんね
いまだに好きになれないバンドの曲を、彼らが解散してずいぶん経つというのに今になってヘビロテしている。
どうも好きになれないとかなんとか言いながら、繰り返し聴いてしまうのはなぜなんだろう。執拗に「ごめんね」と歌う声が耳の奥でこだまする。
あなたのことは好きになれなくても、あなたたちの作ったこの歌は意味が分からないからこそ美しく煌めいていて好きだ。
このところのわたしは、すぐに気持ちが溢れてしまう
さよなら、この気持ち「平成」に置いていくね
まだわたしのなかでぬかるんでいるままの気持ちたち。話しているうちにまた今日みたいな雨が降ってきて、足を取られてしまうこともあるかもしれない。それでも相変わらずとりとめのないことを、いつものままで気取らず書こうと思う。いつかの自分への手紙として。
・・・
あと数時間で元号が変わるね。
ギリギリ平成元年に生まれた私だから、令和元年に入籍とか出産とかしたい人生だったな、と少しミーハーなことを思った
とりこぼしてはいけないもの
恋人が「会いに来て」って言ってくれるのを待ちきれずに、「会いに行っていい?」と聞いたら「大量のおでんを作ったよ」と写真付きの返事がきた。自分ひとりだったら考えられないような大量の具材が投下されたおでん鍋の写真を見て、彼らしいな、と思わず笑う。
一夜では食べきれそうにないアツアツのおでんを、ふたりしてハフハフしながら口いっぱいに頬張る。
「おでん作ったから会いに来てって言おうとしていたら、『会いに
言葉が生まれるときはいつだってひとり
強気と弱気をいったりきたりしている。
「こんなわたしだって、幸せになっていいはずだ。」という強気と、「もうこれ以上なにかを失いたくない」という弱気と。
こんな気持ちについて誰かに説明できるはずもなく、所在が無い。こんな感情と一生付き合っていかなくちゃならないのか、と溜息をついた。わかってる、自分の責任を自分で取るということはそういうめんどくさいことを受け入れるということだ。
自分にとっての大切