記事一覧
https://www.youtube.com/live/QVYtzsoTukk?si=DzENeSdzQXLoVDeP
雑誌「最前線」に寄稿させていただいた文章と、先日お邪魔した千坂先生の勉強会について話しました。よろしくお願いします。
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雑誌「最前線」に寄稿させていただいた文章と、先日お邪魔した千坂先生の勉強会について話しました。よろしくお願いします。
民俗と「常なるもの」
佐藤光・中澤信彦編「保守的自由主義の可能性 知性史からのアプローチ」という本を眺めていた。中川八洋の悪影響もあり昨今忘れられがちな、保守主義と自由主義の関係についても示唆に富む良書だ。
佐藤光は保守主義における時間感覚を、「回帰する時間か同時存在する時間」と表現している。「カール・マンハイムが鋭く指摘したように」と述べているが、これは「保守主義的思考」のことだ。
憂鬱に見つかってはならない。自分自身が憂鬱と化してしまう。
我を忘れて夢中に駆け抜ける塊にならなくては。
にゅんさんの「「通貨」とは?- 理論と言語体系」を読んで
かねてより、不勉強な僕はMMTに対しある違和感を感じ続けていたのだけれど、にゅんさんの新しい記事を読み、これが氷解した。
「MMTは現代の経済を形而上学的に語っていやしないか?」
この疑問に対するにゅんさんの回答を一言にまとめると、MMTは括弧付きの真実を述べるパースペクティブの一つだということだ。にゅんさん曰く、これに最も自覚的なのがビル・ミッチェルなのだという。
紙幣や高貨という形
偶像を演じるとはどういうことか。身も蓋もない言い方をすれば、騙すということだろう。
演出家は演者が観客を騙していることを熟知するべきだ。その上で観客とどう向き合うかについて、演者と意見をすり合わせることが重要だろう。
ポストモダン人類学と「1968年」【完成】
これまで人類学の仕事は、例えばマルセル・モースが顕著であるように、既存の資本主義のあり方を相対化する役割を果たすものだった。「万物の黎明」が翻訳され、注目されているデヴィッド・グレーバーはアナキストの活動家だった。
さらにその文脈を掘り下げていこう。この前YouTubeの動画で紹介した、ヴィヴェイロス・デ・カストロなどのポストモダン人類学の流れはアナキズム的な性格が強く、1968年の革命の延
「生権力」のあり方について
Twitterに重箱の隅をつつく小煩いコメントがついたので、削除してこちらに転載します。脱輪さん通知になってしまったらごめんなさい。
この脱輪さんの意見に概ね同意する。
ハラスメントが問題であることは間違いない。難しいのはその問い方だ。いわゆる「生権力」≒「環境管理型」の権力性を恐れ神経症的に拒むが故に、より醜悪な形で自分たちが「生権力」になるという逆説。
権力は突き詰めれば、他者との関
もしも僕が「あのお方」だったら
※全文無料でお読み頂けます
最初、「もしも僕が南洲翁だったら」という題にする予定だった。傲岸不遜にも程がある。世が世なら右翼の方に軽く嗜められることもあるのかもしれない。ただ僕は、「お茶代」の「もしもわたしが◯◯だったら」という課題を目にした時、思わず翁のことを想起せずにはいられなかった。
なぜあの時あの状況で、立ち上がらなくてはならなかったのか。西南戦争へ至る翁の思考を完璧に説明できる人
「物語の力」執筆時メモ(本文の内容は除外)
カール・シュミットは、プルードン・バクーニンといった反神学の思想家と、ド・メーストルをはじめとする神学の思想家という両極に関心を寄せていた。秩序を破壊する側と維持する側という違いこそあれ、細部に分け入っていくと両者は表裏一体の相貌を示すようになるだろう。「六八年革命」を経て成立している現状には、このいずれもが欠けているように感ぜられる。
「天国」とは、「地獄」とは——宗教戦争の敗者・日本
※全文無料でお読みいただけます
おのれのうちに潜むロマン主義的傾向と向きあい続け、いい加減疲れたので息抜きにこれを書いてみる。
漱石のように早死する恐れは自覚されて然るべきなのだろう。おのが使命感と関心を一致させた上で全力を尽くし、その結果くたばるのならば本望ではあるけれど。たまには岡潔のいう「情緒」とやらに思いを馳せ、神経を休ませてやるのもいい。「遊び」はホイジンガによれば、「厳粛さ」と