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不妊治療

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私が体験した不妊治療(顕微受精)の体験や、男性不妊の現実、そして心境の変化などをまとめています。
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記事一覧

娘と息子のつわりの違いと、私の対処法

娘と息子のつわりの違いと、私の対処法

現在2歳の娘がいて、今第二子を妊娠中なのだが、つわりもだいぶ違ったなぁと言う印象がある。

息子の妊娠中(現在)

匂い悪阻(重度)、食べ悪阻(中程度)、吐き悪阻、明るい場所がダメ(軽度)、食べ物の写真や画像で吐き気(中度)などがあった。

体重で言うと妊娠前より最大-3.6kg減り、布団から出るのも少し動くのもかなりしんどい状態が続いた。

6w頃から始まり、8,9wから本格的に。13w頃から波

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娘の命を分けたセカンドオピニオン

娘の命を分けたセカンドオピニオン

私には今2歳になる娘がいる。

5年待った末、不妊治療で授かることができた。

生まれてからと言うもの大きな病気をすることなくすくすくと育ってくれて親としてはありがたい限りな娘だが、妊娠中娘の命がある医者の診断で失われそうになったことがあった。

その時に初めて感じたセカンドオピニオンの重要性を伝えたい。

妊娠17w 安定期に入ってすぐの夜中の出来事

《通院履歴》
A病院…併設する不妊治療専門

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性別判明と男性不妊につきまとう不安

第二子の性別が男だとわかった。

男性不妊で授かった息子、実はあと20年ぐらいしないと解決しない問題が一つある。

遺伝するのかどうか

親から遺伝する可能性のある息子自身の生殖問題。

夫は男性不妊の検査の際、遺伝子的には問題がないことがわかったが、重度の精索静脈瘤があり精子の数が一番少ない時はたったの2000だった。2000万ではない、2000だ。

そして夫の弟も原因不明の乏精子症であり、男

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2020年という年

2020年という年

今年はほとんどの記憶がコロナでかき消されてしまいそうなほどコロナに翻弄された1年だったが、私の身の回りのことを思い出してみたい。

夫の転勤

転勤が決まったのは去年の11月頃だっただろうか。娘が1歳の誕生日を迎えてすぐだ。

「他府県に転勤になる。みんなで引っ越すか、単身赴任か、通うか決めなければならない」とのことだった。

まずみんなで引っ越すということについては現実味がなかった。家を買って1

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悩みながら始めた2人目の不妊治療

年齢と妊娠率​

以前は子供2人の間は3,4年はあけたいと思っていた。上の子の育児が少々落ち着いてから次の子育てをしたかったし、結婚当初は24歳と若かったから産むことに対して年齢をさほど気にしていなかった。

しかし実際は娘を産んだのは29歳。そこから4年待っていると妊娠率が変わり始めると言われる32歳を超えてしまうのである。

そしてそれ以外にも不妊治療とは切って話せないお金の理由もあった。

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長引く不妊治療と心理的な後遺症 ③

長引く不妊治療と心理的な後遺症 ③

実はいまだに悩んでいるのがこれなのだが、治療中会いたくないタイミングで無理に会った子供のことが今でも少し苦手ということだ。

子供に罪はないし、表には絶対に出さないようにしているが、相当性格悪いなと自分でも思う。

しかし、これは今のところ解決法が見つかっていない。

親族のできちゃった結婚

これは私が不妊治療真っ只中で、10代で未婚の親族が突然妊娠して結婚すると言い出した時のことである。

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長引く不妊治療と心理的な後遺症 ②

長引く不妊治療と心理的な後遺症 ②

私は1人目が生まれて不妊治療の辛さから解放されたと思っていた。しかし、2人目をまた意識し始めた途端、妊娠報告が気になるようになった。
(これはあくまで私の中での不妊治療が及ぼした心理的な後遺症である。)

2人目妊娠報告​

娘が生まれてからというもの、不妊治療で大変だった記憶は育児の忙しさで忘れていた。

娘が1歳を過ぎる頃、同じ時期に出産を経験した仲間からちらほら2人目妊娠の報告が出てきた。

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長引く不妊治療と心理的な後遺症 ①

長引く不妊治療と心理的な後遺症 ①

妊活から不妊治療へ移行し、娘を授かるまで5年かかった。その間に拗らせた私の心はなかなか元に戻らない。

不妊治療が長引くほどに、妊娠してからも心理的な後遺症があることに気づいた。

妊活という名の夫婦生活

夫婦生活に関しては、妊活の間にずっと排卵日の予測に合わせて逃さないようにしていたため気持ち的にしたいからとかそんなものではなくなっていた。自分の気持ちは後回しにして、とりあえず夫の気分は盛り上

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不妊治療で出会ったまさかの「私も」

不妊治療で出会ったまさかの「私も」

私は周りに対して不妊治療のことを話していた。

そこで結構出会ったのが「私もー!」と言う共感の返事だった。あ、不妊治療してたのかな?と思って話を聞いていると、それは全く違うことが多々あった。

(不幸比べをしたい訳ではない。不幸マウントを取りたい訳でもないのだけどちょっと書かせて欲しい。)

「2、3回排卵日っぽい日にやったけど出来なくてCL行こうかなと思ってたら出来てたの〜」

これは不妊でも何

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不妊治療とTwitterでの情報収集

不妊治療とTwitterでの情報収集

私がTwitterを始めるきっかけになったのは不妊治療だった。

周りで不妊治療をしている人はいなくて、全くと言っていいほど生きた情報がなかった。

そして治療をし始めたときは友達にも言いづらく、どこで聞いていいかわからないことがたくさんあった。

優しい先輩後輩のような関係​

始めたばかりの頃は、なんとなく不妊治療の年数で先輩のように感じることがあった。

わからないことで困っているといつも誰

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不妊治療を誤解している外野の人たち

不妊治療を誤解している外野の人たち

外野というと「ん?」と思われるかもしれないが、不妊治療をしている当事者以外で尚且つ不妊治療に対してマイナスなイメージを持っている人という意味を込めて外野と書いた。

「お金はかかるけど手っ取り早いよね」

お金を払って不妊治療をすればただセックスをするより高確率で妊娠できると思っている人がいる。

実際はそうではない。結局着床して妊娠成立するかどうかの確率は、普通の妊娠と何ら変わらないのだ。

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流産を話したら周りからかけられた言葉

流産を話したら周りからかけられた言葉

これは本当にさまざまだった。気持ちが軽くなる言葉もあれば、逆に心を抉られるような気持ちになることもあった。

受け手によって捉え方は違うと思うが、私が言われたいくつかの言葉を紹介したい。

「またすぐできるよ」

初めて妊娠するまでに3年以上かかった私がまた直ぐできるとは思えなかったし、無責任な励ましだなぁと思った。まるで今回の妊娠は無かったことにされているような気がして悲しかった。

「(その子

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稽留流産の手術と術後の6cmの血腫

稽留流産の手術と術後の6cmの血腫

人生の中で一番辛く痛かった手術。

稽留流産が確定した2日後、子宮口を広げるためのラミナリアが挿入された。出血の最中のラミナリアはかなり痛かったが、次の日までロキソニンを飲んで凌いだ。

内膜掻爬術当日。この手術は普通なら麻酔で痛みを感じないまま終わるだろう。しかし麻酔が効きにくい体質のわたしは、事前にそのことを伝えていたにもかかわらず麻酔を増やしてもらえず、静脈麻酔で体がだるくなりめまいがする中

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はじめての妊娠、そして流産

はじめての妊娠、そして流産

はじめての妊娠

妊娠判定で陽性が出て、超音波で無事に胎嚢を確認した。

今までどれだけ妊活を頑張っても結果が出ず、もはや妊娠って空想の世界の話なのではないかと思うほどわたしにとって縁遠いものとなっていたのだが、病院で渡された妊娠検査薬の陽性欄にしっかりと線がついており、これは夢なのかと思うほど嬉しかった。

次の診察の日までも何度か出血があり、その度に赤ちゃんの無事を確認してもらってホッとして帰

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