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仏教

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風従花裏過来香(かぜはかりよりすぎたってかんばしし)

風従花裏過来香(かぜはかりよりすぎたってかんばしし)

禅語 風は、花々の間を通り抜けてくるため、香りが豊かである。この前の句は「水自竹辺流出冷」水は、竹林の下を流れてきて、冷ややかである。ものごとも、人も、縁に従って変化する。

風がどこを吹き抜けるかも、水がどこを流れるかも「縁」。仕事に恵まれるのも、良い人間関係が保てるのも、きっかけは縁だと思います。その場所、その時間、その相手に巡り合わせというのは、とても奇跡。

良い人であれば、縁を結ぶ。さら

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七走一坐

七走一坐

「七走一坐」とは、7回走ったら1度は座りなさい、という禅語の言葉です。ずっと走り続けていないと仲間から後れをとってしまう。ついついそう考えてしまう。

寓話「目をなくしたカバ」 一頭のカバが川を渡っている時に自分の目をなくした。永遠に目を失ってしまうのではないかと思い、川のあちこちを探し回った。しかし、見つからず、カバは疲れ果てて、座り込んでしまった。すると、川は落ち着き、濁っていた川が透き通って

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遊戯三昧

遊戯三昧

遊戯三昧とは仏教用語。遊戯は、遊び戯れると書く。今風で言えば、ゲーム。三昧は、瞑想による深い精神的境地を指す。つまり、純粋な状態。この世はゲーム。自分はゲームのキャラクター。楽しいこと、辛いこと全部含めて、一度限りの人生を楽しもう。

イタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」第二次世界大戦中、ナチスによって強制収容所に送られた親子の物語。父は、不安がる息子に嘘をつく「これから始まる生活はゲーム

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物事の本質を見極める 仏眼

物事の本質を見極める 仏眼

物事の表面だけを見て判断しがちですが、これは仏教の言葉で「肉眼(にくげん)」という最も能力の低い段階。修行を重ねることで、本質を見抜き、あらゆるものを見通すことのできる「仏眼(ぶつげん)」を養うことができるそうです。

私は常々「本質を見極める」とは、どういう仕組みで辿り着くのか、考えています。事業開発に携わり「価値の見極め」を鍛錬している経験からしますと、三つのポイントがあるのかな、と思います。

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困難に直面した時は、とにかく焦らない

困難に直面した時は、とにかく焦らない

新規事業を運用始めると、想定外なことがよく起こります。そういう時、わたしが心がけていることは焦らないことです。生活の中でも心がけています。電源のコードが絡まっている状態を焦ってほどこうとするとかえって、ますます絡まってしまう。わたしはその時、「ゆっくりゆっくり一つずつ」と自分に言います。「絶対、ほどけるから」

焦れば焦るほど、余計、状況が悪化することはあります。なぜ、そうなるか。状況が見えておら

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(再掲) 「欲」というエネルギー

(再掲) 「欲」というエネルギー

仏典の一つ「法句経」の中で、水の話があります。舟に穴が空いており、川の水が舟の中にどんどん入ってきて、舟を沈没させてしまいます。しかし、この同じ水は、舟を浮かべることもでき、舟をおし進める水でもあるのです。

人間の欲は、決して悪ではありません。欲は天地から授かった大切な命のエネルギーです。そのことに気づかず、小さな自我の、ああしたしい、こうしたい、という欲望に向けたとき「煩悩」となります。

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(再掲) 良いことも悪いことも自分次第

(再掲) 良いことも悪いことも自分次第

「人間好事節」と言う言葉があります。

春にはいくつもの花が咲き、秋には美しい月がある。夏の暑さの中に吹くそよ風はなんとも心地よい、冬の雪景色は趣深い。

「つまらぬことに煩うことがなければ、人間にとってどんな季節も好事節である」ということです。

春夏秋冬、どの季節にも辛く厳しい時もありますが、自分が「どう見るか。どう感じるか」によって、自分の気持ちは大きく違ってきます。

大きな問題に直面して

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しあわせ

しあわせ

幸せと「し合わせ」とでは、意味が違います。

幸せの幸の漢字語源は、手枷(上下の手を縛り上げている)つまり、自分よがりのエゴに囚われた状態。

自分だけ幸せになりたい!

反面、「し合わせ」は、し=する、が重なっていること。

つまり、異なる二つが重なることを意味してる。

巡り合わせ、という感じですね。

人との出会いは、縁です。因があって、縁、そして、果。

自分達がそれぞれの意思で選択してき

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欲というエネルギー

欲というエネルギー

仏典の一つ「法句経」の中で、水の話があります。

舟に穴が空いており、川の水が舟の中にどんどん入ってきて、舟を沈没させてしまいます。

しかし、この同じ水は、

舟を浮かべることもでき、舟をおし進める水でもあるのです。人間の欲は、決して悪ではありません。

欲は天地から授かった大切な命のエネルギーです。

そのことに気づかず、小さな自我の、ああしたしい、こうしたい、という欲望に向けたとき

「煩悩

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執着してしまうヒトの弱さ

執着してしまうヒトの弱さ

私が思うに、執着とは

とらわれることではないかと思います。

仏教には「空」という考えがあります。

空は

あらゆるものには実体がないこと実体がない、それはつまり差別するものが無い、ということです。

全てが空であり差がないからこそ、

何か特定のものに執着をしても意味がないといった考え方をします。

とはいえ、ヒトは様々な関係があって生きているので、

全て「空」というわけにはいかないひとり

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愚痴を聞いてもらおう

愚痴を聞いてもらおう

愚痴、仏教用語。

今となっては、言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。

心の迷い「幸福論」を説く哲学者アランからすれば、

愚痴は、不幸の伝播の他ならない

自分の苦痛が他人を傷つけるものである

決して自分の不幸を口にしないこと

雨の日こそ笑顔でいることが大切である

それこそが幸福になれる方法の一つである

だから、愚痴を言ってはいけない。私もそう思う。

でも、愚痴は心の迷いであり

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迷惑かけてかけられてお互い様

迷惑かけてかけられてお互い様

「人に迷惑をかけてはいけないよ」と子供の頃、よく言われた。

でも考えると、ずっといろんな人に迷惑をかけっぱなしだ。

学校でも仕事でも、たくさん失敗をして、よく助けてもらった。

こんなことを言ったら、嫌われてしまうかもしれない。

困らせてしまうかもしれない

やってみたいけど、失敗して迷惑をかけてしまうかもしれない

自分の言いたいこと、やりたいことを押し留めてはいけません。

人に迷惑をか

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あきらめない

あきらめない

諦めるは、「明らかに見極める」という仏教用語です。

諦めるとは、

問題の根本原因を明らかにし、それを解決するための方策を明らかにする

ということです。

悪い状態になった時、自分がこんな結果を受けたのは、一体どこに原因があったのか。

一体自分のどこに原因があったのかあきらかに見極める、ということです。

事業開発をしていると、多くの壁に阻まれ、プロジェクトを断念しなければならない時がありま

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良いことも悪いことも自分次第

良いことも悪いことも自分次第

「人間好事節」と言う言葉があります。

春にはいくつもの花が咲き、秋には美しい月がある。

夏の暑さの中に吹くそよ風はなんとも心地よい、冬の雪景色は趣深い。

「つまらぬことに煩うことがなければ、人間にとってどんな季節も好事節である」ということです。

春夏秋冬、どの季節にも辛く厳しい時もありますが、

自分が「どう見るか。どう感じるか」によって、自分の気持ちは大きく違ってきます。大きな問題に直面

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