#エッセイ
“毒親”への感謝と、“毒母”という言葉について思ったこと
毒親、という言葉に思うこと「私の親は、毒親でした。」
こう言葉にし、書けるようになるまで、ずいぶんと時間がかかりました。
「私は虐待被害者です。」
これだって、今なら書けます。
けれどどちらの言葉も、口に出して言うことはまだできません。
それでも私は、かつて自分のおかれていた環境を、あらわすことができるようにはなりました。
数年前、20代の終盤。
ツイッターで「うちの親は毒だった」と書け
イライラ撃退法|中川千英子(脚本家)|note(ノート)https://note.mu/kotoritori/n/n1e71dac4920a
コチラ素晴らしい。
ココには書いてない言い方だと「まず自分を幸せにしなさい」という、英国では子ども育てる時に言い聞かす当然の言葉だと言うのを思い出した。
逃げ道として何かを盲信すること
傍から見るとすごく怪しげなものに、なぜかどっぷりハマってしまう人、あなたの身近にいませんか?(怪しげな新興宗教にのめり込むとか、そういう話です。)
「なんであんなの信じるわけ?」と見下すことは簡単ですが、きっとそうなってしまうのには、それぞれの事情があるんだろうと思います。
何人かのそういう人たちを見て、私が感じる共通点は「理不尽な目に遭い過ぎていること」です。
例えば、身勝手な人から長年振り回
オレたちはただ、やりたいからやってる
小学一年生のころ、担任の先生が「龍の子太郎」を読み聞かせしてくれて、夢中で聞いていました。
読み終えると、先生は次に「ちいさいモモちゃん」を読んでくれて、私は、この二つの面白いお話はどちらも松谷みよ子さんという人が書いたのだと知りました。
時は流れて、物書きになった私は今、児童向けの物語を作る仕事に取り掛かっています。
この仕事に着手するにあたって、最初に頭に浮かんだのは、松谷みよ子さんのことで