③「障害」という言葉を自分のために活かすには?
一旦、本シリーズも今回が最後となりました。
そのため、最後はこれまでのシリーズを踏まえた上で、もし「障害」という言葉を与えられたら、実際にどのようにそれを自分のために活かしていくか?について私なりに考えてみたいと思います。
※初めてこちらの記事をご覧になる方は、ぜひ①から順にお読みいただくのがおすすめです☺︎
→①https://note.com/rin_990206/n/nc2232a51d83f
→②https://note.com/rin_990206/n/n0d6ffddb50f1
①そもそも「障害」という言葉は何のためにあるの?
そのひとつに「分類分け」をする必要があるからだと思います。
私たちは誰しも、「分からない」ものや状況に対して、不安を抱きやすいのです。
だからこそ、「その状態は一体何なのか?」ということに対して、名前をつけて区別することで、初めて本人も、お医者さんも、家族も、友人も、誰から見ても客観的に「分かる」ようになれると思うのです。
そうして「分かる」ようになると、「より良くなるためにはどうしていったら良いか?」その道のりについても考えていきやすくなるはずです。
②「障害」という言葉を自分のために活かしていくには?
「障害」という言葉には、「分類分け」の特徴があり、その目的は誰にとっても「分かる」状態になることでした。
これを踏まえると、本人にとっても「障害」という言葉が役に立つ側面もあるかと思うのです。
例えば、それがあるおかげで、「自分は何でこんなに苦しいのか?」「どうして自分は周りと比べて生き辛いのか?」そんな胸の内のモヤモヤや不安も、少しは晴れたり、ホッと安心出来たりすることもあると思うのです。
そのように自分の苦しみの原因が「分かる」ようになると、次は「少しでもその状態を良くしていくためにどうしていったら良いのだろう?」そのように自分自身でも考えていけるようになれますよね。
個人的にはこのように舵を切っていくこと自体、とても大切なことのように感じています。
というのも、「自分の苦しみの原因が分かったから安心」という状態で終わらせずに、さらに自分自身の未来がより明るく、楽しく、幸せなものになっていくために、「障害」をひとつのミッションとして捉えて、乗り越えようとしていく。
「乗り越えたい」と思って、その気持ちを行動に換えていく。
これが、「障害」という言葉を自分のために最大限に活かせている状態だと個人的には思うのです。
③拙者のつぶやき-「障害」と「普通」の両方を経験した私がいま、思うこと-
これは私の勝手な独り言なので、聞き流す程度に軽く聞いていただけたら嬉しいのですが、、、
「何が本当の意味で、社会にとって“障害”なんだろう?」
そんなことをたまに考えるんですよね。
今となっては思い出話なのですが、私がかつて少し勤めていた会社で、とある上司からのいわゆる「新人いじめ」に遭ったことがあるんです。
それによって、私の顔には見たこともない量のニキビができて、人生で初めて月経も止まりました。
後にその上司のせいで、過去に何人もの人が退職や異動をなさっていたことも知らされました。
けれど、その上司はおそらく今日も“普通”に何も変わらず出勤していることと思うのです。
例えば世の中で、「障害」を抱えている人たちはその枠で囲われ、言わば「かわいそうな存在」として腫れ物を扱うように特別視され、ネガティブな印象も持たれがちだと思うのですが、一方でそのような周囲へある種の“害”を与えてしまう“普通”の仮面を被った存在は、名もないので、世の中で何事もなかったかのようにスルーされてしまう。
どうしても、そんな世の中のちょっとした矛盾みたいなものを感じてしまう瞬間もありましたね。
また、大学でいち歴史を学んできた身としては、「障害」という言葉が国や政治の利のために、使用されてきた側面も否めないかと思うのです。
だからこそ、「障害」という言葉を与えられた私たち自身が、どのようにその言葉と向き合い、受け入れ、そして自分のより良い未来のために繋げていけるか。
自分が幸せになることを一番に考えながら、上手く活かしていけるか。
そんなことが、「障害」という言葉を与えられた時には、とても大切になってくる気がしています。
(最後の方、だいぶ赤裸々に語り過ぎてしまったので、実は投稿するか迷っていました🫣)
りん
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