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ぼくらの薬物戦争

今回は、薬物戦争の話を書く。

もしかしたら、聞き慣れない言葉だと感じる人もいるかもしれないが。

Wikiはよくまとまっている。こちらを読んでくれてもいい。私は、ここには書かれていないことを含めて、自分のスタイルで書く。

長い文章に疲れない人なんか、いない。楽しく読み続けられるかどうかは、書き手の問題であり、責任。


米国政府における「薬物戦争」は、1970年代にはじまった。

何十年もかけ、多額の費用を投じてきたにもかかわらず。薬物使用を抑制し、麻薬取引を終結させるという目的を果たすことができなかった。

因果関係や流れを知って、そこから何かを学んでいきたいところ。

自分レベルで想像して、仕事だってそうだろう。誰かの1失敗を責めたてたところで、何にもならない。同じ誤ちを繰り返さないためには、どうしたらいいのか。みんなで考えて共有することに、意味があるだろう。


さまざまな製品(喘息の薬だとか、幼児の乳歯に使う何某だとか)にモルヒネなどが使用されていた時期とは、うってかわって。

私はよく知らないのだが
たぶん喘息の薬に入っていたのはヤバかった。

米政府は、医療用途で使用されていたものも含め、薬物に強い規制をかけはじめた。

科学的根拠や妥当な理屈があってそうなったのなら、それでいいじゃないかと思うだろう。ところが、そんなに単純なことではなかった。

順を追って解説していく。


話を進める前に、関連話を1つ。

米国もアヘンを法的に排斥したが、アヘンに限っていえば、英国の方がよっぽど “歴史的なこと” を起こした。アヘン戦争だ。

英国は清から、茶を輸入していた。清は英国から、時計などを輸入していた。前者は大衆向けで大量・後者は富裕層向けで少量だった。

英国へ最初に渡った紅茶は、ボーヒー茶と呼ばれるものだった。 ボーヒー = 武夷。福建省にある茶の産地だ。紅茶より前に、緑茶が、同じく中国から英国に渡っていたが。英国人は、紅茶をより好んだ。

これがボーヒー山の写真らしい。

両者の売買のバランスが悪かったわけだが。人気の商品やサービスを扱っている店は成功する。それらを扱っていない店は成功しない。それだけだ、当たり前だ。

お茶大好き国のお茶代は高くつきすぎた(支払いは銀だった)。どうにか、清から銀を取り返したかった英国。いい計画を思いついた。植民地のインドで栽培している、アレを売ろう。アヘンだ。

ケシ(Opium poppy)

アヘン(Opium):ケシの実からとれる果汁を乾燥させたもの。

モルヒネ:アヘンから生成される麻薬性鎮痛薬。名前の由来は眠りの女神モルフィウス。

ヘロイン:アヘンを元に作られる麻薬。極めて高い依存性と激しい禁断症状をもたらす。

元々(明の時代から)アヘンを吸う習慣のあった清で、爆売れした。これはまずいと思った清は、アヘンの輸入を禁じた。

しかし、時すでに遅し。中毒性があるとは、そういうことだ。英国も狙ってやったのだし。自国とインドでは、アヘンが蔓延しないよう、しっかりと策を講じていたのだから。

清では、アヘンの密輸入や違法な国内生産が、止まらなくなってしまった。健康を損なう者が増加し、治安は悪化した。自暴自棄になる人が増えれば、いわゆる下層民が増える。実際にそうなった。

清は英国に、アヘン代を銀で支払った。


英国は濡れ手に粟状態。これは清、悔しい。

こういう戦いでは負けたくないものだ。誰かに仕かけたくもないが。

今や英夷封豕長蛇、東洋を侵略し、印度先ずその毒を蒙り、清国続いでその辱を受け、余焰未だ息まず、琉球に及び長崎に迫らんとす。
(徳富蘇峰著『吉田松陰』より)

夷(い):中国で蛮族や異民族を表す言葉。
封豕長蛇(ほうしちょうだ):貪欲で残酷なことを豚や蛇にたとえた言葉。 封(大きい)豕(ぶた)とはイノシシのことだろう。


アヘン戦争後、広東港など5港を開港することになった中国だが。これは、結局、中国茶の輸出の拡大につながった。

戦争終結後もおさまらなかった自国の茶の需要に対応するため、英国は、植民地のインド・スリランカ・アフリカで、紅茶を生産しはじめた。 現在の紅茶の主要生産国が、元・英国植民地であるのは、偶然ではない。

アヘン中毒 vs. お茶中毒 でちょっと笑う。

要するに、みんながほしがる品物は強いと。そういうことなのだろう。

中国緑茶(リョウチャ)

日本緑茶と中国緑茶の、基本的な製造工程は同じ。最初の工程 = 加熱方法が違う。日本緑茶は蒸す。中国緑茶は炒る。中国茶は、日本茶よりもさらに、香りを重視している。

中国紅茶(ホンチャ)

中国の紅茶とインドやスリランカの紅茶は、品種が違う。英国人がインドに作った紅茶園で栽培されているのは、アッサム種と呼ばれる品種。現代で「紅茶」といえば、こちらを思い浮かべる人の方が、圧倒的に多い。


話を元に戻す。

1960年代の米国
ヒッピーはマリファナを吸い、ゲットーの子供はヘロインを押し売りし、ハーバード大の教授はLSDを試すように呼びかけた。

ジョニー・デップ氏の『ブロウ』も、いつまでも人気があるし。

このように、60年代は、違法薬物使用の全盛期だったかのようなイメージがあるが。現在と比較してしまえば、当時の薬物乱用の方が、ずっと少なかったという。

1970年代の米国
48% → 薬物使用は社会の深刻な問題だと思う
4% → 大麻を使用したことがある米国民

正しく測定できていたのか疑しくもあるが、4%が実は10倍の40%だったーーなどということは、さすがにないだろう。

つまり、人々の抱くイメージと社会の現実には、乖離があった。


言いきるが。ニクソンは、有権者のこの不安(ままの現実ではなく漠然とした恐怖心)を利用して、1968年に大統領に当選した。

これには、ベトナム帰還兵も関連してくる。彼らの薬物使用率の高さに対する、国民の懸念を利用したりもした。……嫌な話だ。

『PLUTO』
私はこの作品のファンで特にノース2号が好きだ。

「薬物戦争」を宣言したのは、ニクソン政権だった。

“ これにより、薬物中毒は国家の非常事態となった ”。

薬物所持と流通の両方に、刑を義務化した。専用の取締り組織も設立した。麻薬取締局(DEA:Drug Enforcement Administration)である。

薬物乱用を公共の敵の筆頭に仕立て上げた、有権者を怖がらせる戦法をとった。そんな感が否めない。


ジョン・アーリックマン氏曰く。

ニクソン陣営のやろうとしたことは、麻薬改革ではなく、反戦左派と有色人種の抑圧だった。

アーリックマンは当時の内政担当補佐官。(左)
秘密主義で「ベルリンの壁」と呼ばれた。

まだベトナム戦争が続いていた頃、米国政府は、ジョン・レノンとヨーコ・オノのことを「反戦セレブ」として、煙たがっていた。

実際に、彼を国から追い出そうとした。

ニクソンは、彼の知名度 × 平和への呼びかけは自分の再選をおびやかすと、本気に懸念していたようだ。

これは勝利のVサインだろうか。1972年のこと。米政府による国外退去命令と4年間争い、2人は永住権を獲得した。

これらの写真で一緒に写っているのは、リオン・ワイルズ弁護士だ。


以下、ワイルズ弁護士目線で書く。

「新しいクライアントだが、大物すぎて、こちらから相手先に出向かねばならん」「了解」

途中でたずねてみた。「ジョンなんとかさんって、どんな歌をうたってるミュージシャンなんだい?」弁護をするにあたって、曲を知らないことは、大した問題ではないと思っていた。

場が凍りついた。

「もういい。本人に、知らないとは絶対に言うなよ!世間知らずすぎて不安にさせちまう」

どうやら、この場合は、大問題だったらしい。


まず、黒髪でスレンダーなアジア人女性が、部屋に入ってきた。

彼女は、自分たちが困っていることを話した。仕事の契約などがあり、アメリカに来る必要があること。夫にドラッグがらみの有罪歴があり、それを心配していることなど。

このヨーコという女性は、法的なことや政治的なことに、無知な人ではなかった。

「私たちは米国政府の政策、とりわけベトナム戦争に批判的なので、政権から嫌われている。滞在延長の申請は、却下されると思う。私のやっているアート・パフォーマンスも、問題視されたりして、できなくなるかもしれない」

ああ、この人自身も、アーティストなんだな。

そして、ついに、ジョン・レノンという人物がやってきた。気さくな笑顔だった。大物にありがちな図々しさは、みじんも感じられなかった。

入管法に強い弁護士に会えてうれしいと、私に握手を求めてくれた。ヨーコでなく彼が、お茶までいれてくれた。

「娘がいる。ヨーコが前の結婚で授かった子だが、私にとっても、大切な子だ。私たちを危険視して、ヨーコの父親がどこかへ連れていってしまった。(2人からはこう見えていたという話で、それぞれにそれぞれの気持ちや真実があった)アメリカに滞在したい。キョーコを見つけるまで」

71年の写真なのでこの日の彼の見た目に近いはず。

「薬物関連で有罪というのは、邦(英国)で裁判で争った結果?」

「違う。その時の弁護士に、有罪を認めたほうがいいと言われ、認めてしまった。ハシシに手を出したことはあるが。ミック(ミック・ジャガーのことも私は後で知った)が逮捕されたのを知って、音楽仲間が置いていったドラッグがあったら困ると、家の中を隅々まで掃除したくらいだ」

「それでも弁護士は有罪を認めろと言った?」「他にも問題があるからと言われた。ヨーコが……いわゆる敵国人だからと。罰金を払えば終わる、それが一番まるくて、ヨーコにも害が及ばないと。私は弁護士を信じていた」

「所持していたのはマリファナ?」「いや、だから、ハシシだった」(※実際問題、ハシシはマリファナよりも作用が強いものだと思う)

…………

このあたりの会話からも、当時の様子がうかがい知れる。

どうやら、彼は、法律を守る人間であらねばならない → 違法な薬物を所持してはならないと考えていた。しかし、同時に、ハシシはそれには該当しないとも思っていた。

作用の強さなどから自発的に考慮し、ハシシもダメだろうと発想できていれば、それに越したことはなかっただろうが。彼が愚鈍だったのではなく。英国や米国で、薬物に関する犯罪の、定義やルールがあいまいで・正しく周知されておらず・罰則だけがひとり歩きしていた。と、そんな状態だったのが、わかる。

これは、ジョン・レノンは不当逮捕の被害者だったと、いっていいだろう。

…………

「キョーコが見つかるまでといわず、永住権を希望したらどうか」私は言った。この時すでに、勝ち筋が見えていたからだ。

私は、移民関連の法令集をとり出し、該当箇所を読みあげた。「麻薬またはマリファナの所持に関する法令に違反し、有罪判決を受けた者は、アメリカ合衆国から追放できる」

「ハシシは、麻薬でもマリファナでもない」
ジョンが身を乗り出した。
「ここに、芸術や科学の分野において傑出した人物に関する、特例も述べられている」
ヨーコも身を乗り出した。

2人は互いにアイ・コンタクトをかわしてから、私に、「電話番号を教えてほしい。私たちに力を貸してほしい」と言った。


私は帰宅してすぐに、妻に自慢した。
「僕は、ジャック・レモンとヨーコ・モトの弁護人になったんだぞ!」
(この弁護士に頼んで、大丈夫だったのか笑)

妻は呆れて、私にこう言った。
「あなたって、やっぱり、違う世界線に住んでたのね。それ、世界一有名なカップルよ……」

この後、彼の作品を聴いた。いい歌だった。

流行にはうといが敏腕な弁護士のおかげもあり、ジョンは、グリーン・カードを手に入れた。


レーガンも、「薬物使用はアメリカの全てを否定するもの」と主張した。ニクソン時代の反薬物政策を、さらに強化・拡大した。例)1986年の薬物乱用防止法

アメリカの全てを否定するもの?私だったら、あんたがヤクやってんじゃないの?と思ってしまう。己のトークに酔っているようにしか、聞こえない。

レーガン政権は、ボリビアに軍事的な援助を行った。ボリビアが、コカの撲滅作戦を展開することを条件に。ボリビアの人々にとっては、コカ畑は欠かせないものだった。人々は反米的になったし、反米を掲げる人物が大統領選に当選していった。

(父) ブッシュ政権は、パナマ共和国の独裁的な将軍が米国に麻薬を密売していたことを理由に、パナマ侵攻を行った。

クリントンは、「犯罪に厳しく」を掲げて、当選した。制定された犯罪法案は、12万5,000の新しい独房、スリー・ストライク法による終身刑、死刑に値する60の犯罪の決定などを生んだ。


1980年→2000年の間に、非暴力の薬物関連犯罪で収監された人の数は、50,000人→400,000人に増加。彼ら彼女らが、連邦刑務所人口の、ほぼ半数を占める状態。

前段からわかると思うが。「悪人」が増えたというよりは、「悪人と認定される人」が増えたのだ。それだけではなかろうが、それもある。

収監率が大幅に増加しているにもかかわらず、結果はよくなっていない。ほとんどの州において、薬物収監率と薬物使用率の間に、有意な相関関係は出ていない。

多額の資金を投じて長期行なわれている、茶番劇だ。


そこには、人種の不つりあいも見られる。

アフリカ系アメリカ人とヒスパニック系アメリカ人が、刑務所人口の7割近くを占めている。

米国の統計によると。有色人種は白人種に比べて、同様の大麻所持でも、逮捕される確率が3倍以上高い。

これ系は特に、百聞は一見にしかずで。
社会には、データーには載りきらない複雑さがあるというのに、これ以上に適切な例はないかもしれない。これも真実・あれも真実状態。あの国には、さまざまな異なる真実が、混在している。

今は、ドラッグに関係する話だけをしよう。


はじめ、麻薬密売人は外国人や少数民族であるという固定概念をもっていた人たちが、自分たちが選挙で選んだ役人に、その取締まりをさせたがった。

かつてこのようだったのは、どちらかというと、リベラル派の方だ。彼ら彼女らは、よりよい社会をつくるつもりだった。

その頃の米国は、白人種の割合が、今よりずっと高かった。(50%以下 = 白人が少数派になる未来は、すぐそこまできている)

そんなリベラル派も、時が経つにつれ、現実を把握していった。麻薬取締に人種間格差がある現実を。

今では、米国の多くのリベラル派は、このように考えている。白人も有色人種も等しく被害者であり、必要なのは、刑務所ではなくケア施設だ。

後述するが、この考えは、保守派も同様だろう。


マリファナが、若者に一番人気の薬物になった。

有権者である親世代が最も取締ってほしいのは、マリファナになった。

両党の政治家が最も関心をよせる薬物は、マリファナになった。

カリフォルニア州やニューヨーク州の議員たちは、密売人からティーン・エイジャーを守ると、アピールした。

当然だが、若者の検挙率が急上昇した。

すると、どうなったか。
刑事責任を問われた子どもの親は、一転して、取締りではなく寛大な処分を求め出した。

コントじゃないんだから。笑

ちなみに、メディアはというと。

①有色人種の売人が、白人の若者を麻薬に溺れさせる。②それが女性の場合は、ほぼ確実に売春をするにいたる。という人生崩壊ストーリーを放送し続けた。


危険ドラッグの過剰摂取で命を落とす人の数は、増え続けた。60年代などより今の方が、ずっと多い。

オバマ政権は、「薬物戦争」という表現を控えるとした。逆効果になると。

最新の世論調査でわかったこと
・米国民の8割以上が、麻薬戦争は失敗したと思っている。
・米国民の6割以上が、単純な薬物所持に対する刑事責任の撤廃を支持している。

これらは、薬物をゼロにすることは不可能という、現実的な前提に立った考え方であろう。

政府は、罰することから救済することへ方針を変えるべきである。ほとんどの人が、今や、そのように考えているようだ。

そもそも、刑事法制度の問題としてではなく、公衆衛生の専門家によって管理されるべき、公衆衛生問題として扱われるべきだった。


現在。バイデン政権によって、「薬物戦争」の最新章が書かれている。

バイデン政権は、マリファナの単純所持で有罪判決を受けた人全員に、恩赦を与えると発表した。恩赦の対象となる人は、推定6,500人。

へー、という気持ち。また、一過性の有権者のゴキゲンとりが、たまたまそういう内容なだけじゃないの?という気持ち。

いつまでも絶対に変わらない、とまでは思わないが。過去数十年ダメダメだったものに、何を言ってきたとて、安易に期待や信頼などできない。


相変わらず、どっちもどっちと言うか、大差ないと言うか。米国民には、このクズを選ぶかあのクズを選ぶかの、二択しかない。

バイデン政権は、米国が直面する犯罪の最大の脅威は、メキシコの麻薬カルテルであるとした。国境を越えて麻薬がやってくるのを防ぐために、多くの資源を投入することを提案している。

共和党の大統領候補は、それ以上のことを望んでいる。メキシコに侵攻し、カルテルを壊滅させること。国境では、密輸の容疑者を射殺することを空想している。

…………

よその国のせいにするのは、敵を作りあげてごまかすのは、もうやめろ。半世紀以上、本質から目をそむけ続けるな。自分たち(一般国民のことではない)の汚点と向き合え。その先にしか、成長はない。

「米夷封豕長蛇」でいいのか。

1から全面的に見直す必要があると思う。なぜなら、こんなにも大失敗してきたのだから。

追記

今回は、長くなりすぎるため、この話を入れなかった。ある世代が何かをほしがって、それをその親の世代に抑止された場合 → その世代は自分たちの子の世代にそれを存分に与えようとする。この構図が、米国では、ドラッグにも見られたのだ。そのような現象を書いた回が、他にある。興味があったら読んでほしい。