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うつわマガジン2019

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#陶芸

うつわに寄りかかる

うつわに寄りかかる

つかれたら、悲しくなったら、寄りかかりたくなるでしょう。元気なら、愉快なときなら、寄りかかってもらえてうれしいと思うでしょう。

「静かに寄りかかる」30年前、20年前、10年前、5年前と、うつわの存在が良い方向に変わってきている。土鍋の扱かわれかたもどんどん明るい世界に動いている。

小売についてではない。なんとなく、うつわがスポットを浴びてがんばっているなと。一時期のゴールデンエポックには、

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旅する土鍋2019 「途立つ誕生日のスケルツォ」(後編)

旅する土鍋2019 「途立つ誕生日のスケルツォ」(後編)

(前編よりつづき)

後半目次

3. ドレスと口紅時速100〜 120キロくらいで飛ばせば、リグーリアからミラノまで2時間ほどで到着する。そんな道中も、おかしな話は継続的に、まじめに語られた。

ミラノに着いて一度解散。わたしは、居候している師匠宅のギャラリーの窓を開け風を通したり、洗濯物をゴソゴソやっていた。数時間後、驚くことにイーゥインちゃんは背中が大きくあいたドレスを身に着け、真っ赤な口

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旅する土鍋2019 「途立つ誕生日のスケルツォ」(前編)

旅する土鍋2019 「途立つ誕生日のスケルツォ」(前編)

イタリア語「スケルツォ」は「冗談」という意味かつ、音楽の世界では快活で急速な三拍子の楽曲を示す。おどけた感じが「冗談」という言葉と重なる。ショパンの「スケルツォ第2番 変ロ短調」などがそのひとつ。

前半目次

1. 肉眼と無限遠なレンズ私たちはリグーリアの海にいた。
前の晩に書いた七夕の短冊を見ながら「願いは叶うのだろうか」なんて、無限遠に合わせたレンズでもって話していた。娘のように年齢が離れて

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ヨーグルトがピンク色にそまるときの味

ヨーグルトがピンク色にそまるときの味

白いまちと白いヨーグルト

春の気配がないままに3月のビリニュス(リトアニア)には真白な世界が広がっていた。眼前の景色のような真白なヨーグルトを朝食でたっぷりいただく。

リトアニアは酪農国。
古くから日本同様に発酵文化をもつ国。

塩味でいただく白い世界

ヨーグルトといえばギリシアと思われるが、ご多聞にもれず東欧もヨーグルト国家。そのひとつにヤギ皮の袋に乳と菌を入れて発酵させていたケフィアヨー

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ちょっとブレイク「土鍋でみかんサラダ」

ちょっとブレイク「土鍋でみかんサラダ」

表面ではわからない酸っぱさ表にでている分かりやすい現象に飽きることがある。ただの天邪鬼かもしれないし、だからモノをつくる仕事をしているのかもしれない。

「夏みかん」は、晩秋には色づいても酸味が強くて食べられない。冬に収穫したあと貯蔵して酸をぬく、または木なりで春から初夏まで完熟させてから収穫する。表面ではわからないのだ、酸っぱさは。

むいてしぼってわかる酸っぱさ

写真は、先月、料理家である友

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ちょっとブレイク「春の土鍋」タンポポちらしのポタージュ

ちょっとブレイク「春の土鍋」タンポポちらしのポタージュ

冬のバターナッツと春のタンポポがスープの中で出会ったら

冷暗な場所で冬のあいだ保存していた古参バターナッツかぼちゃと、庭の新人タンポポが出会う。春の新タマネギも仲介役で。出会いというものは、理想から現実の味にかわる瞬間だ。

「バターナッツのポタージュ」
Cocciorinoの土鍋(白)

かれこれ15年~16年くらい、山梨の個人農場に野菜の宅配をおねがいしている。彼らの有機農法(一部自然農法)

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ちょっとブレイク「春のおとない」

ちょっとブレイク「春のおとない」

春うららであるが、こちらは泥どんよりとでもいおうか。

生きたものを相手にする仕事とは、つめるなと言われても、根をつめなければならないことがある。相手がどんどん育ってしまうのだから、全ての体力でおいかける。子どもを育てることにも似ている。土の中の根っこも、人も、つめられたら苦しいだろう。

イタリア人の陶芸師匠の仕事っぷりにはこの「つめる」がなく「おす」くらいなんだよなあと、冷たい水道水で手を洗い

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ちょっとブレイク「春のうつわ」八重の山吹

ちょっとブレイク「春のうつわ」八重の山吹

天寿というものがあって、人はいつか旅つわけで。遠くて近いところへ。親をはじめ、生きるものはさようならと手をふってゆく。

意図せずに、新しく元号がかわる前の日、義理の両親の家は引き払われた。

分け枝をして我が家のちいさな庭に植えた山吹。もう15年くらい経つだろうか。なにかを告げにきたかのごとく、今年も我が家のちいさな庭に、静かに低く咲いていた。

彩度を落とし控えめに光を透く桜。それと同時季に咲

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ちょっとブレイク「新元号とこどもたちの未来」

ちょっとブレイク「新元号とこどもたちの未来」

ブローチをにぎったとき

ふだんあまり書かないこどもたちの未来とやらを一筆。

昨年末、個展の直後、同ギャラリーのチャリティー展に参加した。みなさまのご来廊、ひいてはギャラリーの尽力で、27名の作品売り上げの一部が、震災地のこどもたちにに寄付されたことをブログで報告した。

コッチョリーノの売り上げは「ふくしまこども寄付金」に。家族がこの地で生まれ育った経緯も重なり、復興とこどもたちの未来を深く願

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100グラムはけっこうしあわせだから

100グラムはけっこうしあわせだから

静かに時をかけて根づくということ

動いてもすぐに答えの出るものばかりではない。ひとつものだけ輝くのではない。そんな中でみなが泳いでいるのだと思う、うようよと。

アートという仕事も。生きるうえでは、枯渇しきったり、また浮いてきたり。芽が出て花が咲いたら、それだけで喜べる仕事なのかもしれない。気がつくと欲がなくなるような、そのわりに肉体労働きわまりない。おそらく、芸術を生業とするということは、どろ

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一生かけてもこえられない師がいるから

一生かけてもこえられない師がいるから

昨年末、ミラノの師匠グイド・デ・ザンが、イタリアの出版社コッライーニから作品集「UN' IDEA DI LEGGEREZZA」を上梓した。彼は、これまでに数冊の本をだしているが、このように立派な本は初めて。

工房40周年を記念したもので、バイオグラフィから作品についてのテキスト(伊語/英語)の内容はすべて彼の偉大なる経験の賜物だ。ブルーノ・ムナーリの本を多数あつかう大好きな出版社ということで

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