マガジンのカバー画像

或る若者の思索

77
私が日常生活の中で感じた何気ないことを、日記よりちょっとだけ推敲して書いてます。
運営しているクリエイター

#生活

「待てど暮らせど」の「ドゥクラッセ」の部分

「待てど暮らせど」の「ドゥクラッセ」の部分

 真空ジェシカのラジオを聴いていたら、「待てど暮らせど」の"暮らせど"の部分について言及しているシーンがあった。
 待つのはわかるとして、暮らすまでいってしまうとこれは完全に変質者である。そういえばこち亀で、月面に置いていかれた両さんが迎えを待ちながら月を開拓していって、しまいには普通に月で暮らしを始める話があったが、これは完全に変質者である。月面調査隊が残した食料をもとにそれを培養するだけでは飽

もっとみる
マスク社会は鏡花水月の術中に

マスク社会は鏡花水月の術中に

 コロナ禍も小康になり、人々がマスクをはずす場面も増えてきた。企業によっては従業員のマスクを不要とするお触れを出すところもあったり、飲食店でもパーテーションが徐々になくなったりしてきて、世界は元に戻りつつあるようだ。(もちろん基本的な感染対策は欠かさないようにしたいところ)
 
 コロナがあろうとなかろうと世界は回っていく。人々は進学・就職・転居などのプロセスを経て順々に人生のステージを歩んでい

もっとみる
白湯(さゆ)じゃなくてお湯だろうが

白湯(さゆ)じゃなくてお湯だろうが

 ただの熱い水に何個も名称をつけるんじゃない。お湯はお湯、ひいては熱湯であろう。最近のガキャは何でもすぐにこうやってオシャレに言い換えようとする。ベロアじゃなくてコーデュロイ、援助交際じゃなくてパパ活みたいに。

「優雅にお湯をわかしてコーヒー飲むのよ」

 温度が高いお水はお湯である。これは紛れもない事実で、たとえば浴槽を満たすときも「お湯張りをします」というアナウンスが流れるし、チェーン店のウ

もっとみる
リンク切れの街で

リンク切れの街で

 あの交差点の角にあった喫茶店はいつの間にか、ずっとシャッターが下りているようになった。可愛らしい看板は店頭に置かれたままになっているが、ランプの明かりは灯っていないし、軒下のプランターに咲いていたはずの大きな花はとうに枯れ果てていて、もはや見る影もない。
 薄汚れた窓にはレースの白いカーテンがかけてあって、中の様子は全く見えない。穏やかな街の一角、まるでここだけリンクが切れてしまったようだ。それ

もっとみる
望郷初期症状

望郷初期症状

 一人暮らしの住居から実家に帰る電車の終電の時間を調べてみると、意外と遅い時間までセーフであることがわかった。その気になればすぐにでも帰れる。この安心感こそが、この望郷初期症状なのかもしれない。

 灯台もと暗しと言うように、親元を離れて暮らしていても、実家までの距離が近すぎると逆にあまり帰省しなくなる。これはある種のイタズラ心のようなもので、大人になっても抜けきらない反抗期の残り香でもある。
 

もっとみる
解像度の低いこの街は淀み

解像度の低いこの街は淀み

 アジカンの或る街の群青を聴きながら歩いていると、この淀んだ汚い街の植物が、建物が、空気が、すべてのものが嫌に鮮明になったような気がしてくる。裏路地にぼうっと立つすすけた看板でさえ、まるで大繁盛店であるかのように見えるし、軒下の暗い雑草でさえ、大地にしっかりと息づく生命の力強さというものを感じさせる。この街が確かに生きているということを感じさせる。
 陽が落ちて、街が群青色の空に覆われる。まるで丁

もっとみる
どこから行っても遠い町

どこから行っても遠い町

 川上弘美さんの著書「どこから行っても遠い町」を読んでから随分経つ。その心地よいタイトルを書店で一目見た瞬間に引き込まれ、気が付いたら本を片手に書店を出ていた。正直に言うと、購入してそのとき一度読んで以来まったく読み返してはいないのだが、どこかノスタルジックなそのタイトルが、今も私の心に棘を残している。

 どこから行っても遠い町…か…。

-

 「どこでも住めるとしたらさ、どこに住む?」

 

もっとみる
盆・ボヤージュ

盆・ボヤージュ

悲しいことは、悲しいことがあれから一度もないことさ。最後に悲しみに暮れたのはいつの日か。お盆の時期になると、なんとなく肌身で感じるやるせなさ。このやるせなさの輪郭が年々、形取られていくようになってきた。

 「夏休みのターニングポイント」くらいにしか、お盆というものを認識していなかった。気づいたらなんとなく夏だったのだが、気づいたらなんとなく秋の口が見えている。夏、この度めでたく24度目の解散。

もっとみる
こっから先、どうする?

こっから先、どうする?

 ここしばらく、割と忙しくて(早々にネタばらしすると別にそこまで忙しくはなかった)、Twitterとかインスタで即物的な言葉を投げ捨てるぐらいしか、思想のアウトプットが出来ていなかった。って小洒落たこと言ってるけど結局はめんどくさかっただけ。まとまった文章を推敲して練り上げていくのにも心の余裕というものが要る。堕落した文章を書くなら、節度を持って余裕のある堕落を。破滅型の作家に憧れる暇あったら、理

もっとみる
私のゴールデンタイム

私のゴールデンタイム

 
 ジャック、ジャック、電波ジャック、ゴールデンタイムです。時刻は夜の22時。テレビ番組でいうところの「ゴールデンタイム」が終わり、今日一日を締めくくるニュース番組や、肩肘を張らないお笑いバラエティなどの放送が始まる時間だ。Stay Tuned...!

 私の22時はというと、夜ご飯を済ませて食器を片付け、入浴も済ませ、つかの間の怠惰に浸るための時間。「まだ22時」という感覚と、「もう22時」

もっとみる
センチメンタル、じゃあね

センチメンタル、じゃあね

  夕暮れの新御堂は、ビルに阻まれて地上の隅々にまで夕日は差さないけれど、その脇に並ぶ植え込みの葉は鬱蒼としていて、しかし青々としている。都会のど真ん中の植物は本当にたくましい。排気ガスをばら撒く鉄の塊が24時間365日、傍を走り回っているのに、くたびれることなくそこにある。

  そういうものなのだろうか。清流にしか適応できない魚と、ドブ川にしか適応できない魚がいる。"そこに生まれたからにはそこ

もっとみる
業務スーパーと洋ポルノ

業務スーパーと洋ポルノ

 業務スーパーのようなディスカウントストアと、洋モノのポルノは似ているな、と思った。

  業務スーパーの商品は、インパクトがあって、わかりやすく量が多くて、私たちの目にそれは魅力的に映る。「こうやったら買うんだろ?」という思惑をヒシヒシと感じる。確かにそうだ、トレーにギッチギチにパック詰めされた100グラムあたりいくらかの脂身だらけの豚肉を見ていると、人間の、こう、根底に訴えかけてくるというか…

もっとみる
月の裏側が見たい

月の裏側が見たい

 イントロやサビを聴くと、「あぁ、あの曲ね!」となるのは当然のことだけれど、ならばBメロだとどうだろうか、とふと考えた。なんとなく頭に思い浮かんだ曲のBメロを思い出そうとしてみた。
 大塚愛のフレンジャー…GReeeeNの刹那…FLOWのCOLORS…。サビの強さが強烈すぎて、Bメロが降りてこない。それだけ曲の"サビ"が持つインパクトってのはすごいんだな、と思った。あくまでサビを引き立たせるための

もっとみる
ガチで孤独のグルメ

ガチで孤独のグルメ

 私が勤めている会社の昼休みは、正午になった途端、フロアの約半数の明かりが落とされて(節電のため?)、少々薄暗くなったところからスタートする。

 お昼時のフロアには、少ない時で5人ほど、多い時は10人ほどの人がいる。が、お昼休みにフロア内で会話が交わされることはまずない。みな自分の席で黙々とご飯を食べる。よくドラマなんかで、オフィスビル内のフードコートのような場所でOLたちが井戸端会議をしながら

もっとみる