記事一覧
真実よりも整合性の高い“虚構”
最近、虚構推理というアニメにハマっています。
虚構推理とは、シリーズ小説が原作のアニメで、怪異たちの知恵の神となった少女岩永琴子と、不死身の男性桜川九郎の二人を中心にしたミステリ恋愛物語です。
数年前に、アニメ一期を見ていたのですが、二期も現在出ていると知り、一気見してしまいました。
このアニメの主人公、岩永琴子は妖怪から、時には人間から頼られて、妖怪にまつわる問題を解決していきます
大切なのは『真実に向かおうとする』意思だと思っている
お久しぶりです。
いえ、六日ぶりと言った方が正確ですね。
最近は、noteの更新ができなくて、すみません。
五日間ほったらかしにした挙句、昨日出した記事が文章読解の回答(しかも、めっちゃ長ったらしいやつ)だったので、もしかしたらガッカリされた方もいるかもしれません。
その方には、改めて謝罪をお伝えいたします。
お気づきかもしれませんが、ずっとルー・タイスの文章読解に挑んでおりました
絶望したって、なにも始まらないんだなあ。大切なのは、そこからなにを得たか
『チ。』という漫画に登場するキャラクターは、観客の視点から眺めると、死んでしまったり、拷問されたり、と不幸な人生を送り、不幸な最期を迎えるように見えます。
けれど、もしあなたが、当事者の視点に立って読んでみると、どうでしょう?
つまり、そのキャラになり切って読んでみると?
不幸とか幸福を語ること自体がそもそも論外だと感じるように、わたしは推測します。
漫画を読んでいて思うのは、絶望
ほんの一部を掴むことができれば、すべてを掴んだのと同じ
文章を書いていて困るのは、定期的に、なにを書けばいいのか、分からなくなることです。
闇の中をひたすら彷徨い歩いているようで、これだと思った光に向かって進んでも、近づけば、砂漠の蜃気楼のように消え失せます。
というと、ちょっと文学的ですので、もっと地に根ざして語ると、あるテーマについて書いてみようとします。すると「なんか違うな」と首を傾げ、また新たなテーマを探すことになるのです。
わたし
永遠の命を得た魔法少女
『魔法少女まどか☆マギカ』は、現代の神話のようにわたしは思います。
もし、遥か大昔に神話を描いた人が、現代でも神話を作ろうとするならば、まどマギのような神話を作るのではないでしょうか。
ただ、わたし自身、べつに神話に深い造詣があるわけではないので、あくまでこれは、わたし個人の感覚の話になります。
根拠らしい根拠はありません。
強いて言えば、まといのばのブログの一文です。
(引用開始
エゴは否定するべきものではなく、意識的に操作するものかも
『魔法少女まどか☆マギカ』とは、徹頭徹尾、少女たちのエゴを扱った物語のように思いました。
エゴというと、最近はブルーロックを思い出しますが、ああいう剥き出しのエゴではなく、もっと見えにくいエゴの話です。
たとえばわたしたちは、謙遜する人からエゴを観ることができます。
「いえいえ、わたしなんて」
「いや、あなたはすごいよ」
「いえいえ、わたしなんて、そんな」
心の底から褒め讃えているの