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白杖使用者の冒険―通りすがりにわざわざ…!
#視覚障害者が嬉しいと感じた配慮 #障害理解 #視覚障害 #視覚障害者の日常 #バリアフリー いつもいつも、さり気ない支えの暖かさ、本当に嬉しいのですが、これに輪をかけ…
読書の重要性―「読書」というだけのことが如何に「ヒト」が生きる上で必要なすべての要素を育てるか
私はここ2週間程、毎日、点字図書で借りてきた「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治・著)を読んでいる。
私の目的としてはまず第一には点字を読む、ということ自体の訓練。
そこで、あらゆる事情が重なって、第一弾として宮沢賢治の銀河鉄道の夜を選ぶ運びとなった。
そのあらゆる事情というのはこの記事では割愛するが、そのうちの理由の中で大きなひとつが、今回の記事でお話したいことでもある。
元々その目的もあったのだが、毎
言葉が変われば現実世界が変わるーあなたの人生の困りごとは、言葉ひとつの使いようで解消していく
最近、ラジオで良く聞くフレーズ
新しい自分に今会いに行こう
勇気がなかったら後回しにしよう
勇気を探しに今歩き出そう
曲の歌詞の一部なのですがね。
これを聞いた時、なんともにやりとした。
この人もやるなあ、なかなか詐欺師だな、と(笑)
良い意味でね。
セラピストは、ある意味、時として詐欺師、ペテン師です。
というのも、言葉の使い方を巧みに心得ているから。
そして、同時に、潜在意識と対話
昨夜流れた涙、さっき、そして今、流した涙は、何の涙だろう。
顕在意識では、あらゆる理由の涙と錯覚する
が、
きっと、全部、全部、今生きている、感謝の涙
これに気付くまで、30年以上、かかったのだな
視覚障害者があなたの写真も楽しめる機能―ALT 代替テキスト
先日、ふと、あるかたと話していて、私たちは案外もう当たり前のように使っていたのですが一般には実は知られていないかもしれない、と感じた発見がありました。
そのため、本日は、代替テキスト機能というものを紹介してみたいと思います。
紹介できるほど詳しいわけではありませんので、興味があったらぜひその先へその先へと、もっと楽しい面白い便利な使い方へと進んでいただきたいものです。
代替テキスト機能、ALT
あなたの能力、育てるとか身につけるものだと、思っていませんか?
現代日本人にとても多いように感じていることですが…
例えばあなたは、
「私は別に何の能力も得意教科も特技もない。社会に貢献できることも自分の仕事として大成できるような要素も何も持っていない。私は平凡で、何もできないなあ。大勢の中のひとりだなあ。」
…などと、思っていませんか?
(今の日本人は、そう思わされるよう思わされるような潜在的教育が家でも学校でも社会文化全体でも行われるようになっていますか
白杖使用者の冒険―通りすがりにわざわざ…!
#視覚障害者が嬉しいと感じた配慮 #障害理解 #視覚障害 #視覚障害者の日常 #バリアフリー
いつもいつも、さり気ない支えの暖かさ、本当に嬉しいのですが、これに輪をかけて感動した出来事がまた、ありました。
ある時、車通りも歩行者通りも少ないが歩道のない道路を歩いていると、後ろから自転車の車輪の音が。
ん、と思って歩く速度をゆるめると、私の右側を通り越しながら女性の声が「あ、ごめんなさいね、通り
「痛い」「眩しい」という言葉の一般的語弊
つい先日、私の主宰コミュニティで、ゲストも交えての座談会の収録を行った。
第1回目として、まずは、私自身の「視覚」の状態について。
私は、「眼球使用困難症」という呼び方をする他ない、という、要するに国の判断基準には当てはまらないが「視覚」自体を使うことが実質困難な、文字通り「眼球(というより視機能)使用困難状態」であるわけだ。
この辺りについては私の過去の記事をお読みいただきたい。
さて、とこ
点字教室 5回目…と、点字図書の疑問
さて。点字教室。
気付いたらもう5回目。
そして、先週の点字教室の帰りに点字図書「銀河鉄道の夜」を借りてきて、その夜から少しずつでも読み進めるという点字訓練会を始めたので、そこからもう一週間…毎晩1時間ずつ配信していたので、こちらも7日続けたということ。そして、この1週間で第1話「午後の授業」をちょうど解読し終え、2週目で第2話に入るという、心地の良いタイミングの揃い踏み。
今までの経緯はどう
🎏5月のイベント・ワークショップ開催情報🎏
2024年度もあっという間に2か月目の5月となりました。
途端に暖かくなってまいりましたね。
私の主宰しておりますコミュニティのメンバー達もそうですが、今こそ新しい、自分の人生の可能性をあらゆる角度から拓いていくことをしてみたい、何かしら動いてみたい、という感覚をお持ちのかた、多いと思います。
短い時間のワークショップもあれば、本当に濃密な内容を凝縮しているワークショップや講座もあります。
が、す
今こそ、自分を解き放つとき―身体からあなたへの合図
父親や母親や近親者に対して幼い頃、
その人に<縛られる>ことを自分に課して(縛られ言いなりになったり利用されることで自分が生き延びたり人生を有利に運んでいく術として自身にプログラムパターンとして埋め込んで)来たひとが、
その対象者(例えば親)がいる間は、その相手への(無自覚の)遠慮・罪悪感で自分を縛り続けたまま成長するが、
その対象者がいなくなったり自分がひとり暮らしを始めたと時を同じくして
相手が見えていない・聞こえていないから、気付かれないからといって…?
時々、ふと、思い出す、交代人格たちの記憶。
恐らくはこの器自体が、昔から(自覚ではそうは思っていないままに)視機能の異常があったからであろうと思われるのですが、視覚障害人格は多かった。
更には、脳性麻痺などの影響かわかりませんが、身体障碍の人格は多かったのでした。
半身不随の人格もいたし、聴覚障害の人格も数名おりました。
その中でも、聴覚障害の人格のひとりと、全盲の人格のひとりのエピソード。
正義の尺度は声の多数ではない
正義の尺度は声の多数ではない。-シラー
「周りの人たちが言っているから」
これが、いつの間にかあなたの中で、”世の中の常識””当たり前””正しい(正解)”の基準になっていませんか?
もしくは、「自分より権力がある人や影響力のある人がそう言ったから」
それが正しい、と、なっていませんか?
あなたの周りの何十人がそれを言おうと、それはその人たちが言っているだけなのですよ。
そして、例え世論がそれ
点字ブロックについて/道端でのお声かけ
本日は点字ブロックについて…と、道端での声掛けについて。
点字ブロックとは
点字ブロックは、正式名称を、視覚障害者誘導用ブロックといいます。
1967年(昭和42年)、つまり今から60年弱前ですね。3月18日に、日本人によって考案され世界初、日本に敷かれたものだそうです。
ちなみに最初に敷かれた場所、つまり発祥の地は岡山だそう。
今や、誘導ブロックは視機能を使えない・使いにくい当事者たちにと