東急の駅名を1927年にしたらどうなるか?
いま気取ってるおしゃれ路線も昔はカッコ悪い名前だったんじゃ?東急東横線の闇を暴きます。
こんにちは。東急より京急が大好きな いなつち☆稲田智 です。
東急東横線と言えば、若者の街 渋谷、おしゃれタウン 代官山、芸能人多し 中目黒、スイーツまみれ 自由が丘、高級住宅街 田園調布 など、周りを寄せ付けないトップ人気路線です。
でも、もとはと言えばただの田舎を東急が開発した地。昔はそんなにカッコいい駅名じゃなかったはず、と思い立ち、調べてみました。
で、以下が、東横線が開通した1927年当時の渋谷ー多摩川間です。新丸子以降は割愛。
渋谷、代官山、中目黒まではいいんですが、
そこから、学芸大学、都立大学、自由が丘、田園調布ってなるいつものプレミア駅がありません。
問題は、「碑文谷」「柿の木坂」「九品仏前(くほんぶつまえ)」の闇三兄弟。その中でもとりわけ「九品仏前(現 自由が丘)」が気になったので調べてみました。
今の自由が丘は、もともと1889年に碑文谷(ひもんや)村と衾(ふすま)村が合併した「碑衾(ひぶすま)村」が由来。その後、碑衾町。
※Wikipediaより
てか、「ひぶすま」って!
こんな田舎くさい地名ある?っていうレベルの名前です。
自由が丘あたりの住所は以下だそうです。
荏原郡碑衾町大字衾字谷畑中
えばらぐんひぶすままちおおあざふすまあざやばたなか
おばあちゃんちの住所みたい(笑)
で、その後、東横線開業を機に、この地に自由教育を理念とする「自由ヶ丘学園」が誘致され、ただの農村が徐々に市街地化されていきます。
東横線開通後、「九品仏前(現 自由が丘)」駅に目黒蒲田電鉄二子玉川線(現 大井町線)が接続することになります。
この二子玉川線は、「九品仏前(現 自由が丘)」駅よりもさらに近く、九品仏浄真寺の目の前に「九品仏」駅を作ることになります。
「九品仏」と「九品仏前駅」と「九品仏駅」の関係を地図にすると以下のようになります↓
「九品仏前(現 自由が丘)駅」より「九品仏駅」の方が九品仏のすぐ近くにあるなんて変!ということで、東急は「九品仏前駅」の改称を提案。
その名も
「衾(ふすま)」駅!
ひぶすまになる前のふすま村から取ってきたー!
いや、センス!もうちょいセンス!(笑)
やはり、ダサいとか古臭いと思う感覚は今も昔も変わらないようで、この駅名は地元の大反対に合います。
そして結局、自由ヶ丘学園の名から1929年
「自由ヶ丘」駅
となります。当時は「が」じゃなくて「ヶ」。
その後、1932年には「自由ヶ丘」は地名にもなります。
いまはおしゃれなスイーツタウンですが、学校名の「自由ヶ丘学園」が駅名になり、さらに地名にもなっていくという不思議な運命の街でした。
思えば、東急って、アカデミーを誘致して高級ブランドにしていく戦略に長けている企業だなーと思います。
都立大学、学芸大学、日吉の慶應義塾もしかり。
学術機関を誘致して、そこからブランド化していくという新しいまちづくりの端緒を開いたのが自由ヶ丘、そして東急だったのかもしれません。
東急の駅名を1927年にしてみたら、思いもよらない歴史を垣間見ることができました。
いま自由が丘は押しも押されもせぬ真のスイーツタウンとなりました。
こんなパンケーキや
こんなモンサンクレールのケーキや
こんなレインボーベーグルや
こんなソフトクリームや
こんないちごたっぷりスイーツや
こんなパフェや
こんなロールケーキや
こんなタルトが食べられるのも、
ぜーんぶ「自由が丘」と名乗ってくれたおかげです!
碑衾(ひぶすま)とか衾(ふすま)のままだったら、スイーツタウンになれなかった、「衾」駅に反対運動してくれた先人がいなかったら、この地はきっとダサいままだった。
言葉や名前には魂が宿る。だから名前って偉大!自由の街、自由が丘はとても幸せな至高の街になりました。
東急ありがとう!東急万歳!!
おわり。
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※2019年8月12日 一部表現を削除。都立大学と学芸大学の順番が逆だったので修正。
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