記事一覧
やりたいことも夢も仲間も失った虚無の果てに残ったのは、諦めの悪い自分だけ
年明けから、いくらか日が経って、気持ちも少し落ち着いてきたので、書こう書こうと思ってかけていなかったことをnoteに綴っていけたら、と思う。
そして、これを読む方で必要な人に、自分の指針のようなこの歌の歌詞にある言葉が誰かの心に届いたら良いなと思う。
私の人生は、一度終わっているここで言う"人生が、一度終わっている"の意味合いは、
「人生の意味とか、生きている意味とか、そういうものがすっかりと
顔がわかるだけでなく、確かな信頼のある経済圏で生きたい
よく都内のビルの狭間にある心ばかりの小さな公園で行われるようなマルシェだと「作り手の顔が見えるマーケット」だとか、スーパーの生鮮食品コーナーでは「生産者さんの声」といった”作り手(生産側)”に目を向けようとする動きがある。
生産と消費が遠すぎる現代において、それらは意味のある動きだとは思うけれど、それでも、そういった”生産と消費を縮めようとするような動き”が現れてから数年経つが、実際の所はという
はじめから正解の選択肢はないとおもう
過去の自分は、いわゆる"正解"の選択肢だとわかってから、選択することが多かったと思う。
けれど、今の私は、前のように「これでしょ!」という直感的な正解がない。
そして、現代に生きていると、とかく早く答えが欲しくなる。
あらゆるものが工業化した資本主義社会では、何もかもが効率化して、様々な商品やサービスにコストパフォーマンスをつい求めてしまう。そんな社会では、失敗するゆとりだったり、心の余白は意
私が思う優しさが、誰かにとっては破壊的でも貫きたい
かなり昔からのことなのだけど、自分の思う優しさが優しさとして伝わらないことが多々あった。
伝わることもあるが、肝心な重要なときに伝わらないという体験は多かった。
私は、自分自身に誠実であることが優しさだと表現は異なれど、感覚的には昔からそう思っている。
自分の心根に正直であることが誠実さであり、それはたとえ誰かにとって傷になるものでも、耳の痛いことでも、自分自身への誠実さのほうが大切だと、自
早く、人間が人間らしく安寧に生きる為に #データサイエンス
振り返ると、あまり生きた心地がしなかった生がしばらく続いた。(今も若干残っているのだけど)
その時は、戸籍はあるから”生きていることになっているはず”なのに、生きているという実感がなかった。
もっとも、生きていて基本的に「生きていたくない≒生きている実感がない」だったのだと思う。
どちらも共通しているのは、生きていたかった自分が生きていられなくなる度に、強くそう感じてきたということだった。(重
信じられる世界を失くした果に出逢えた、もう一人の私
約3年前に逢った彼女は、
私が知る人の誰よりも強くて、
誰よりも弱いと感じる人だった。
たまたまお互いに物凄く弱い面と物凄く強い面の両方を知ることができた、という言い方が正確かもしれない。
誰もが併せ持つような”至極弱い部分”と”至極強い部分”をたまたま視ることができた世界線にいたのだと思う。
彼女のお陰で、何かを信じられる私が創られたように感じる。
彼女に逢ってから、世界の視え方が本当に変