見出し画像

心のクリニックにいくいかない。体の異常と心の異常を取り巻く環境の非対称性。

(読んでハッピーになれる記事でもなければおもしろいわけでもない、ただめんどくさい女がうだうだ言ってるだけの読み物なのでご注意を。また、心のクリニックを受診したことがないにもかかわらず、憶測でものを語っているので、事実と異なることを書いている部分があれば申し訳ないです。)

先日、風邪をひいてしまい4日間近く熱が続いた。その際に、時期も時期なので、親が、新型コロナ感染疑いでの相談・受診の目安について調べてくれた。もちろんその目安は絶対基準ではないし、随時変化する。しかし、不確定要素が多いながらも一応政府は我々に示してくれている。

コロナの疑いで専門機関を受診する目安はお国が丁寧に教えてくれるのだが、心のクリニックを受診する際の目安は何なんだろう。結論から先に言えば、少なくとも私にはわからない。

数日前に上記の「理由のない死にたい」というタイトルで出した記事にも書いたのだが、私はここ数年ずっと、やる気が出ず、なんとなく憂鬱で、楽しい時よりも死にたい時のほうが圧倒的多数を占める日々を送っている(と思っている)。でも、特にとりわけ苦しい辛い経験をしたわけでもなければ、どちらかというと人よりストレスフリーなスローライフを送っている。自分のことを、抑うつ状態なのかなと思ったりもしたけど、ほんとに何もできなくて起き上がれない日々を経験したのは数日だけで、普段は、食欲は普通にあるし、学校にも行けるし、人と会って話せる。なんなら、noteも毎日更新できる。新しく届いたコスメで化粧した日には自撮りもとる。でも常に、カジュアルに死にたいとは思う。時よりその強さは信じられないほどに増して道端やベッドでどうしたらいいのかわからなくなる。検索エンジンやSNSだけでなく、noteでも「自殺」と検索すれば「もしも悩んでいるようなら、一人で抱え込まないで信頼できる機関に相談をしてみましょう。」と表示されることを私は知っている。なんだかぼんやりしていて、なかなか作業に集中はできずに、起動させたパソコンを前にしばらく停止してしまう。ずっとしてみたかった留学が決まったのにその決定に気分は追いついていない。それでもやっぱり起きて学校に行ってバイトをこなせはする。でも、やっぱり、リストカットはするし、自分で自分の首をタオルや手で絞めるし、名前も知らない男の部屋に行って自分をすり減らすようなセックスを自らする。ダイエットできるくらいに気分のいい日がきたらきたで、のめり込めばこむほど、食べた後に自分で指を口に突っ込んで吐いたりも普通にする。自分が摂取したものさえもどしんと構えて受け入れられない女なのだ。(死んでくれ)

私は、私の精神状態は、”異常”なのだろうか。

たまに、自分当てはまるんじゃね?と思うような病名を見つけては、ちょっと安心して、でもたぶん、私はどれにも当てはまらないし、至って正常だきっと。(自分を自分で正常だと判断するほど愚かな行為はないが)正常でなくとも異常ではない。強いて言うなら、ちょっと今の期間だけ、ちょっと普通じゃない、いつもとちょっと違う、そんな程度だろう。

きっと、”普通でない”と言われることで”普通をできない自分"に苦しむことを止められる。普通に生きようとがんばらなくてもよくなる。それを私は密かに望んでいるのだろう。でも、おそらく、精神科のお医者さんお墨付きの普通でない女の子になった瞬間、せいぜい待ってるのは<普通からの解放>でなく<社会から追放>だろう。

そして、こんなにも自分を普通でない扱いしているが、実際の私はものすごく凡庸で、精神科案件ではないし、不適合視という名の特別視をしているだけの、ありふれた醜い人間なのだ。どこまでも愚かだ。もうかえって、人間をまっとうしているねと褒めてあげたくなるくらいだ。

ところで、最近気づいたのだが、「こころ」と「からだ」を取り巻く環境は驚くほどに非対称である。

というのも、

体:「症状が目に見える」「定期健診有り」「主にプロやマシンが発見」

心:「症状が見に見えない」「定期検診無し」「自己申告制」

風邪をひいたら熱が出る。体温計で測ることができる。ケガをすれば血が出る。確かに重い病気でも初期段階では気づかないかもしれないが、時間が経てば、それは表面に出てくる。少しでも何らかの不具合があれば、病院に行けば、医師が目視でチェック、続いて、機械が見えない異常を察知してくれる。そして、結構、簡単に薬を当たり前のように処方してくれる。なおさら、体の異常発見に人々は親切で、定期健診なるものを会社や学校が行ってくれる。自ら異常を察知して自ら専門機関に行かなくとも、向こうから事前にチェックしにやってきてくれるのだ。異常がなくとも”検診”という名を借りて、病院に行くことは正当化され、受診のハードルがかなり低い。とにかく、体の病気を取り巻く環境はかなり受動的であり、親切なのだ。(もちろん我々患者からしてってこと)

一方、心に関してはどうだろうか。心が不具合をきたしたら、赤い血はでてくれるのだろうか。心の温度は上がってくれるのだろうか。確かに、よっぽど重度であれば、周囲が異変に気付くこともあるが、体の不具合に比べて、ものすごく不透明でわかりにくい。病院に行ったところで、心に手を当てて異変を察知する医師や、心を透視するマシンはあるだろうか。一度、学内のカウンセリング等も行っている心理臨床センターに電話を掛けたことがあるが、相談内容を事前に説明することを求められた。病院に行ったところで、尋ねてはくれるが、全て口頭による自己申告制だ。何に苦しんでいるのか完全なる主観の感覚ベースの話を言葉で伝えなければならない。なおさら、定期健診なんてものはない。待っていても誰もチェックしに来てくれない。血が出てくれないもんだから、自分は病院案件なのかわからないのに、常に自らクリニックに足を運ばないといけない。加えて、とにかく病院に行ったらなんとかしてくれる治りうるなんていうなんとなくの安心すらも与えてくれない。せいぜい、自分の意志と関係なく病院にかかるのは、自殺未遂を犯したときくらいだろう。心の病気は我々に常に能動性を求める。心を取り巻く環境は常に理不尽なのだ。

ぜひとも、学校や会社の健康診断の場に、フィジカルチェックだけじゃなくてメンタルチェックもいれてほしいとつくづく思う。いじめや虐待、過労死、パワハラ等々、外部の専門家の目が入ることで、気づけることもあるかもしれない。いじめが起こってから、いじめに関するアンケートなんてものを、いじめている側といじめられている側が居合わせているかもしれない一つの箱のなかで、いじめている側のこともいじめられている側のことも知っている担任なんかがやるなよと言ってやりたい。

体のケアはすぐプロが介入するのに、心のケアは基本個人任せってなんだよ。神様、あんたがほんとにわしらを創造したんなら、心が壊れたら緑の血が流れたり、ひびが入ったらバキバキっと周囲にも聞こえるような音が流れるように作ってくれよな。

ほんとうにもう、、、


構成を考えてから書き始めないがゆえに、またもや着地点を見失ってしまいました、、、ひとまず、最後まで読んで頂きありがとうございます!多くの県では緊急事態宣言が解除されましたが、できるだけ移動を控えて引き続きがんばりましょう~おやすみなさい!

(ごく普通の人だってなにかあれば精神に不具合が生じるのに、この書き方だと、正常や普通、凡庸をごっちゃにして書いてしまっているので、様々な誤解を招いてしまいそうですが、あくまで私が言いたかったことは、「私は私が思っているほどに特別ではなくごく普通のありふれた人間です」ということです。あと、全体を通しても普段の私と今の私の精神状態をもう少し切りわけてみてみるべきですよね。うむ。しかも、普通でないことと特別(ポジティブな意味合い)であることは異なるにもかかわらず(普通でないものの一部が特別)、普通ができない自分は特別みたいな見方をしているのが伝わってきて気持ち悪いですね。普通なのに。もう全面出ていますが、普通であるコンプレックスを感じているようですね私は。思い込み激しい系、過剰に意味づけしちゃう系女ですね。あと、言いたいことはもっと簡潔にしろって感じ。)

私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。