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2019年11月の記事一覧


福井映画祭13thのDay1へ。自主製作映画の魅力は監督の感情や言葉がダイレクトに作中に表れている所だ。誰の心にも潜んでいるようなふとした考えを作品のテーマと結び付ける。構想は練れても完成品にもっていくまでには相当な時間を要する。役者とスタッフ、そして観客がいて成立するのだ。


やっていたことを振り返ろうと思って占いを見てみたことがある。書いてあることと同じことをしていたようだ。第三者に自分の行動が見透かされているのか、はたまた運命なのか。そこに良し悪しは無くて、必然性が伴っていたから自発的に起こしたこと。
要は自分を信じて行ってきた記録なのだ。


鏡の向こうの世界はどうなっているのか。誰も争うことのない平和な世界なのだろうか。たまにパラレルワールドという言葉を耳にするが、実はひそかに存在しているのかもしれない。その場所は1人1人の頭の中で。一つだけじゃない世界をいくらでも編集することができて思い通りに操れる世界が。


その気になれば真っ新になって1から人生を始めることができる気がする。「絶望して諦める」という意味ではなく、生まれ変わった自分を如何に成長させられるか。過去で培った考えを訪れる物事の判断に活かすことで人生がよりよくなる可能性がある。
要はある程度のやり直しがきく人生なのだ。


誰しも心のどこかはプラスの方向を向いているはずなんだ。自分自身を悲観して傷つけても、目の前のいくつかの可能性や希望に包まれているのだから。あなたがいることで勇気をもらっている人だっているはず。少しでもいい、心を温かくして周りを見てみる。それだけで景色は変わる。明日を見つめて。


如何に暮らしをシンプルにしようか悩んで行動すればするほど、迷走して質が悪くなってしまうことがある。あれもこれもいいなとメモを増やしてしまうことで、実践量としては肥大してしまう。関連性を見つけて集約したり、本当に必要な事案かを自問しながら再考することも必要。突破口は意外な所に。


冬に桜が咲く。この世には当たり前だと思っていた事象とは違うことが起きることがある。それは自然なこと大半だが、人為的な場合もある。果物や野菜も育て方や時期を工夫してずらすことによって一定の流通量を保てるようになっている。仕組みの効率化は人間にとってありがたいこと。感謝を。


今日は「食」「本」「体験」の3つのイベントへ。多くの人と交流を持てるのはプラスなことだ。一生懸命に準備をし、来てくれた方のためにもてなしをしてくれる。行く側からしてこれ以上の嬉しいことはない。そこで見られる'笑顔'や'楽しさ'は心からの表現だから。ある日の"思い出"として。


目的先で忘れ物したみたいだ。しかも自分にとって結構大事な物。仕事の関係上、行く手段もなく速達か何かで送ってもらわないと。ついでに社用車の中にも忘れ物をしたみたい。プライベートでそんなヘマはしないのに。帰ってきてから気づくから尚更面倒だし。嫌々やってるからこうなるんだろうな。


静かな町の夕方。
キッチンでトコトコと準備する奥さん、鳥たちの共鳴、帰宅ラッシュの車の音、「またね。」と手を振って帰る子供たちの姿。この場所でのいつもの風景。
そして迎える夜。食事と入浴を済ませ、それぞれのプライベートな時間を過ごす。自分にとって大切な場所、そして思い出。


稀に現れる虹を見ていて思うのは、気まぐれで完全ではないこと。これは人にも当てはまることで、気分のムラは誰にでもあるし完璧な人もいない。今できることを精一杯表現しているからあそこまでの美しさを出せる。見た目だけの話じゃない。どれだけ全力を出して物事に取り組めているかなのだ。


現代は監視社会だ。SNSを個人名でやろうものなら、交友関係や趣味まである程度分かってしまう。恋愛での出会いも珍しくなくなった。有名な人はファンとの距離が言葉間まで縮まってきたし、逆にエゴサで今の評価を知れるようにもなった。
昔はもっと純粋でいれたのかなぁ。原点はそう遠くない。


「若いうちに苦労しておけよ」みたいな言葉がある。嫌な意味として捉えればそれまでだが別の考え方もできる。20代はまだ身体の自由が利く時期だ。ここで多くの経験や失敗をして糧にしていくことで将来の生活にも繋がっていく。項目の取捨選択はその人自身の自由だ。人ごとではないということだ。


子供の頃に憧れ、描いた夢は大人になっても変わらないものである。描けるんだから、叶えられないはずがないのだ。そこへたどり着くための手段を私たちは知り得ていないだけの話。それを勉学を通じて見つけていく、物語みたいに。
また、ポケモンで夢の続きでも見ようかしら。