ヤマダヒフミ
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「ハムレット」と「こころ」 ー近代文学の始まりにおける"宿命"ー
福田恆存に「人間、この劇的なるもの」という評論がある。これは福田の文章の中で最も優れているものではないかと思うのだが、その中で福田は、近代文学というものはその始まりに位置する、シェイクスピア「ハムレット」、セルバンテス「ドン・キホーテ」の二作で、既にその可能性は徹底的に探索されつくされていた、と言っている。
何故「ハムレット」と「ドン・キホーテ」なのか。それは特に、作品内部に批評性が盛り込
書評 「生成と消滅の精神史」 下西風澄・著
下西風澄の「生成と消滅の精神史」を読みました。書評を書いていこうと思います。
まずこの本はどういう本でしょうか。「精神史」とあるように、人間の精神の歴史を取り扱った本です。この場合の精神とは、心・内面・意識といったものです。ただ主に取り扱うのは哲学なので、哲学的に取り扱われる意識というのが、この本における「精神」に最も近いかと思います。
もっとも、著作中では「精神」という言葉よりも「
朝三暮四氏のなろう批判について
自分は「小説家になろう」というサイトを利用しているのだが、最近はどうもこのサイトは人気がなくなってきたな、と思う。使っている肌感覚の話だが。
それで興味本位で「なろう批判」でウェブ検索してみたら、朝三暮四という方のなろう批判をしている記事が目についた。これを読んでみると、非常に真っ当な「小説家になろう批判」になっていた。正直に言って、自分はネットでここまでまともな批判がお目にかかれるとは思っ
パスカルの信仰について
パスカルの「パンセ」を読み返しているが、「パンセ」は、おそらくはパスカルの意図に反して、様々な知性・思考の宝庫となっている。パスカル本人は最後にはキリスト教に服し、そこにたどり着くまでの道程を全て焼却したかったのかもしれないが、彼が流星のように宗教にたどり着き、冥府に至るまで、彼がばらまいた知性や思考は、科学・数学・哲学といった様々な功績となって残された。
現世に生きる凡人である我々は時に
思考は自由でなければならない
私は普段、実生活をしている。端的に言うと、労働をしている。
人は学生生活を終えて社会に出ると、自分が世界という名の大きな機械を動かすためのほんの小さな歯車に過ぎない事を知る。自分が極めて限定された小さな存在である事を思い知る。
普通の人間はその事にそれほど不満を抱かない。あるいは彼らも内心ではその事に不満を抱いているのかもしれない。自分という存在を中心に、全宇宙が転回しない事を心の中
「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365」を読んで教養は身につかない
noteというサイトを漁っていたら「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365」という本の紹介がされていた。この本を読むと教養が身につくらしい。
もちろん、そんなくだらないものを読んで教養が身につくわけはない。そんな事は多少なりとも教養がある人間にはすぐに分かる事だ。だからこういう本を手に取る人は"全く"教養のない人なのだろう。
人と喋っていて、誤解しているなと思うのは、教養というのは知
社会的解決としての「愚かさ」
テレビでは健康食品のコマーシャルがよく流れている。七十代でもまだ元気、八十代でもまだ元気。いつまでも元気でいられるような、体に良い健康食品がやたら宣伝されている。
先日、テレビを見ていたら老後にはいくらぐらい金が必要かというのを、専門家が教えていた。この専門家というのは金融のプロだそうだ。
あるいは、医者は、人間の身体を良くするようなアドバイスをくれたり、薬をくれたり、そういう施術を
もし「痛み」という哲学があったら
もし「痛み」という哲学があったら、と考えてみよう。
「痛い」という哲学が存在する。「痛み」とは何か。それについて色々な議論が可能だが、それを理解するのにもっとも簡単な方法は、誰かに腕をペンでつついてもらう事だろう。
「いてっ」 彼はそう言って、「痛み」を理解するだろう。「痛み」とは何かがわかるだろう。私は、『わかる』とはそういう、随分わかりやすい事ではないかと思っている。
別の
偽神から外れて ー具体と抽象ー
小林秀雄は「美しい花がある。花の美しさというようなものはない。」と言った。小難しい事を言っているようだが、よく考えれば普通の事だ。
小林秀雄が言いたかったのは、「花の美しさ」というような抽象的な「美」はないという事だ。しかし、美しい花はある。具体的な「花」という存在を越えて美があるわけではない。美はあくまでも具体的な花の中に見いだせるものだ。
先日、「マインド・イズ・フラット」という