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「つまらない」とは、自己分裂の感覚である
わたしは心底つまらないと感じるものに対して、つまらないという理由によってそれを無感動に投げ捨てることは決してしない。むしろ、なぜつまらないのかどこまでもどこまでも突き詰めてみたいと自然思うのである。もし、つまらないという感覚が、それを生む対象を投げ捨てることの許容を意味するのだとしたら、人生や自己なんていうものはどれだけ容易に捨て去られることだろう。
今訳あって苛めが主題の小説を読んでいる。苛め
もしもイエス・キリストが我々のように賢ければ十字架で磔にされず生き延びていただろう
賢い我々は十字架を巧妙に逃れて生き延びている。愚かな人たちには伝わるはずのない真意を隠し、対立を引き起こす問答などはじめから避ける。だから民衆の中では生きない。少なくとも仮面なしでは対面せず、本音では語らない。人と人の間に降りて行き、その中で無能者として死んで行くことに命をかけて抵抗する。大衆を蔑視あるいは憎悪する我々が求める物語は、有能者が奇跡的な力によって大衆を捻じ伏せ従えるものである。イエス
もっとみる大衆というものをどう捉えるか
大衆について語るとき、個人は大衆から切り離される。しかし大衆とはそうした個人の集合体である。自分は大衆の一員であるという視点がない人間は大衆の中の一人一人から容易に個性を剥奪する。人類愛を持つ人間がこれっぽっちも隣人愛を持たないことがあるという卓越した洞察。これは、人類に対する愛ではなく憎悪についても同じことが言えるだろう。すなわち、一丁前に大衆を批判するくせに自分に利益のある隣人には易々と迎合す
もっとみる小話〜ふいに吐き気を覚えた男の話〜
ある初秋の晩、月明かりを映す川に架かる橋の上でひとりの青年がふいに吐き気を覚えた。彼は傍目に見ても病人という風貌ではない。これまでの人生で吐いたことなどまるでなかった。だから、この感じは何だろうと戸惑いながら、これは吐き気なのだと理解していった。それをはっきりと認識するに従いその不快はますます激しくなった。
経験の上で彼は吐き方を知らなかった。知識を頼りに道の端で試してみたが駄目だった。涙だけ
15日目〜行くところまで行かねば気が済まぬ〜
前回の続き。物集女町の丘陵地にある竹林地帯を南下して向日神社を目指す。日暮れまで映画一本分の時間しか残されていなかった。なぜ日暮れまで二時間と書かなかったのか。それは私が根っからの天の邪鬼だからである。
二ヶ月以上が経過したこの日の出来事についてこれ以上何ら書く意欲がない。だからこそ私は捨象すべき事象も含めて残る記憶を全て詳細に書き記そうと思う。数少ない読者の興味を削ぎ落とし、うんざりさせ、睡魔
間話〜INFJとINFPの異なる内面生活〜
INFJであるK君とINFPであるY君は毎年秋になると一か月ほど紅葉麗しい京都の町家で共同生活を営む。
ユング心理学に精通したK君が自身をINFJ、Y君をINFPとタイプした。
K君がINFJとINFPの違いを明確に説明した上でY君は自分のタイプに一応納得している。
K君はネット上のMBTI関連で有名な16 personalities もPersonality Database も信用してい