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「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その3)~「正義」から「責任」へ(その12)
前回、パワーハラスメントが深刻化して、加害者と被害者の両方が互いに「あの人はおかしい、あの人のせいでわたしはこんなに迷惑している。ゆるせない。」と思っている場合、つまり、双方が自分を「被害者」だと思っている場合は、第三者が関わっていくしかないと書きました。今回は、前々回にあげた例にもとづいて、パワーハラスメントを解決するために第三者がどのように関わっていくのがよいのか、また、そこで出てくる問題点、
もっとみる「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その2)〜「正義」から「責任」へ(その11)
前回、考えやすく単純化したパワーハラスメントの例をあげて、どんな対処が問題の解決をむずかしくするのかを書きました。ではどうすれば問題が解決に向かうのか。また、そうする上で出てくる問題点と困難点について考えてみたいと思います。
人権トラブル解決の「目的地」どうすれば人権トラブルが解決に向かうのかについて考えるためには、まず、どういう状態になれば問題の解決と呼べるのか、つまり「目指す目的地」をはっき
「痛い、やめて」と言ったのに、なぜさらに親はたたくのか 〜「正義」から「責任」へ(その8)
なにかで親がカッとなって小さな子どもをたたいてしまい、子どもが「痛い、やめて」と言ったのに、親がそれに腹を立てて、さらに子どもをたたいてしまうようなケースがあります。そんな場合、親にその理由を聞けば、親は「(子どもは)悪いことをしたのに、わかっていないから」とか、「なまいきだから、反省させたかった」とか、答えそうです。しかし、たぶん本当の理由を親はわかっていないのです。
なぜ、親に「責任」が生ま
加害者に自分の「責任」を実感させるには 〜「正義」から「責任」へ(その7)
前回、人権問題の解決は、加害者の心の中に「反省」ではなく、「責任」を感じさせることによって可能になるだろうと書きました。もちろん、ここで問題にしたい解決は、社会の中での人権問題の解決(社会的運動や法律の制定等)ではなく、具体的な「人と人の関係」の中での人権問題の解決です。(この二つの解決の違いについては、前回の「個人の『正しさ』と社会の『正しさ』」をご覧ください。)
人権侵害がどのようにして起き
信じるということは危険な「賭け」なのか? 〜「正義」から「責任」へ(番外編)〜
前回、人に助けてもらうには、人を信じて率直に「助けて」と言うことが必要だと書きました。率直に「助けて」と言うことができなければ、だれも助けてくれないからです。しかし、一方で、実際にだれかから助けてもらったことがなければ、だれかを「信じる」ことはなかなかできません。これは、人を「信じる」ということにつきまとう根本的な矛盾です。
「相手にまかせる(ゆだねる)」ことのむずかしさ「相手を信じる」というこ
なぜ、だれもわたしを助けてくれないのか 〜「正義」から「責任」へ(その5)〜
前回の最後に書いたように「困っていれば、だれかが必ず助けてくれる」のが、人の世界です。それは、人の世界がもともと「責任」の世界だからです。そのことが信じられなくなった時、人は孤独になり、絶望します。
現代というこのひどい世界で、孤独になり、絶望しないために、われわれは人の世界が、本来は「責任」の世界だということを改めて知る必要があります。ただ、こんなことを書けば、「そんなのはウソだ。現に、わたし