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人権について考える中で、自分の中のさまざまな「ものの見方」が変わってきた気がします。「…

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人権について考える中で、自分の中のさまざまな「ものの見方」が変わってきた気がします。「正しさ」から抜け出した目で、人が生きるということを見ていきたいと思っています。

マガジン

  • 人権問題の解決とは 〜「正しさ(正義)」から「責任」へ

    人権問題の解決は、どうすればできるのでしょうか。人権尊重という「正しさ(正義)」を相手に強制してもそれはむだです。「正しさ(正義)」から「責任」へと考え方を切り替えることで、初めて人権問題の解決が可能になります。

  • あなたはあなたのままでいい 〜「義務」から「責任』への転換

    人権尊重が叫ばれても、なぜ人権侵害や差別はなくならないのでしょうか。人権尊重の観点を、「義務」から「責任」へと変えることで、この行きづまりを変えることができるのではないでしょうか。合い言葉は、「あなたはあなたのままでいい」です。

  • パワーハラスメントについて考える

    パワーハラスメントは、人が生活する場のどこにもあります。パワーハラスメントはどうしたら、その進行を止め、解消に近づけることができるかを、加害者でも被害者でもない立場から考えてみたいと思います。

  • 高校生のための人権入門(全27回)

    人権についてわたしが考えたことを、高校生だった自分にもわかるように書いてみました。興味のあるテーマについて書いてある回から読んでいただいても、大丈夫です。

記事一覧

学校の「いじめ」の解決方法とは 〜おとなの「責任」のあり方〜

前回、ある教員の「教師は(子どもに)だまされていいんだ。それが教師の仕事なんだ」という言葉を紹介しました。この言葉をとおして、今回は、教員やおとなの「責任」と、…

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1日前
3

なぜ、学校の「いじめ」が解決しなかったのか

これまでわれわれは、実際に起きている人権侵害や差別をなくすことばかりに力を注いできました。その反面、「加害者」と「被害者」の間に具体的にどういう関係をつくること…

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8日前
10

「自己愛の罠(わな)」について 〜「恨み」から解き放たれるために〜

「自己愛(自分への満足欲求)」は、人の「生きる力」と分かちがたく結びついています。そして、「自己愛」は人の「幸せ」と「不幸せ」の両方の原因となります。「自己愛」…

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2週間前
10

「正しさ」よりもわたしとあなたの「幸せ」を〜「正義」から「責任」へ(その14)

前回、20世紀フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズがスピノザの著書『神学・政治論』について書いた言葉、「なぜひとびとは隷属こそが自由であるかのように自身の隷属を『…

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3週間前
6

「自己愛」を「更新する」必要がある〜「正義」から「責任」へ(その13)

何回かにわたって、パワーハラスメントを防ぎ、解決するためにどうすればいいいのか、またそこで出てくる問題点、困難点について考えてみました。困難点は大きくわけてふた…

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4週間前
6

「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その3)~「正義」から「責任」へ(その12)

前回、パワーハラスメントが深刻化して、加害者と被害者の両方が互いに「あの人はおかしい、あの人のせいでわたしはこんなに迷惑している。ゆるせない。」と思っている場合…

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1か月前
7

「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その2)〜「正義」から「責任」へ(その11)

前回、考えやすく単純化したパワーハラスメントの例をあげて、どんな対処が問題の解決をむずかしくするのかを書きました。ではどうすれば問題が解決に向かうのか。また、そ…

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1か月前
5

「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その1)〜「正義」から「責任」へ(その10)

前回、人権トラブルを解決するためには、解決の観点を「正義(正しさ)」や「義務としての責任」から「本来の責任」へと切り替えることが必要だと書きました。それは実際に…

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1か月前
9

「本来の責任」が人権トラブルを解決する 〜「正義」から「責任」へ(その9)

前回、われわれの中に深く根づいている「権利ー義務」という「正義(正しさ)」の観点を、新たな「責任」の観点へと切り替えることが、人権問題の解決につながると書きまし…

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1か月前
5

「痛い、やめて」と言ったのに、なぜさらに親はたたくのか 〜「正義」から「責任」へ(その8)

なにかで親がカッとなって小さな子どもをたたいてしまい、子どもが「痛い、やめて」と言ったのに、親がそれに腹を立てて、さらに子どもをたたいてしまうようなケースがあり…

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2か月前
5

加害者に自分の「責任」を実感させるには 〜「正義」から「責任」へ(その7)

前回、人権問題の解決は、加害者の心の中に「反省」ではなく、「責任」を感じさせることによって可能になるだろうと書きました。もちろん、ここで問題にしたい解決は、社会…

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2か月前
6

個人の「正しさ」と社会の「正しさ」〜「正義」から「責任」へ(その6)

「『正義』から『責任』へ」という副題で書き継いできた文章も、前回の「番外編」を入れるとこれで7回となりました。noteを書く上でのわたしのテーマは、人権問題や人権ト…

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2か月前
9

信じるということは危険な「賭け」なのか? 〜「正義」から「責任」へ(番外編)〜

前回、人に助けてもらうには、人を信じて率直に「助けて」と言うことが必要だと書きました。率直に「助けて」と言うことができなければ、だれも助けてくれないからです。し…

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2か月前
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なぜ、だれもわたしを助けてくれないのか 〜「正義」から「責任」へ(その5)〜

前回の最後に書いたように「困っていれば、だれかが必ず助けてくれる」のが、人の世界です。それは、人の世界がもともと「責任」の世界だからです。そのことが信じられなく…

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3か月前
8

自分の「責任」を無視して力をふるう人たち 〜「正義」から「責任」へ(その4)〜

われわれが生きている現代の世界が、こんなひどいものになってしまっている原因はなんでしょうか。わたしは、それは「強い立場」にいる人、つまり力を持っている人が、自分…

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3か月前
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「正しさ」抜きの「よさ」を考える 〜「正義」から「責任」へ(その3)〜

前回、「毒親」に人権の尊重という「正しさ」にもとづいて、反省や謝罪を求めてもむだということを書きました。子どもから、「あなたは間違っているから反省してわたしに謝…

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3か月前
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学校の「いじめ」の解決方法とは 〜おとなの「責任」のあり方〜

学校の「いじめ」の解決方法とは 〜おとなの「責任」のあり方〜

前回、ある教員の「教師は(子どもに)だまされていいんだ。それが教師の仕事なんだ」という言葉を紹介しました。この言葉をとおして、今回は、教員やおとなの「責任」と、学校の「いじめ」の解決方法を考えてみたいと思います。

子どもが、教員やおとなを「信頼」できるためには「いじめ」の解決は、子どもの集団の中で「強い立場」の加害者の子ども(たち)が、変わらない限り不可能です。そして、加害者の子ども(たち)を変

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なぜ、学校の「いじめ」が解決しなかったのか

なぜ、学校の「いじめ」が解決しなかったのか

これまでわれわれは、実際に起きている人権侵害や差別をなくすことばかりに力を注いできました。その反面、「加害者」と「被害者」の間に具体的にどういう関係をつくることが、人権侵害等の「解決」になるのかを、ほとんど考えてこなかった気がします。その結果、いくらなくす努力をしても、人権侵害や差別が一向になくならないというおかしなことが起きてきたのです。

「仲直り」をさせても、「いじめ」はなくならない学校での

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「自己愛の罠(わな)」について 〜「恨み」から解き放たれるために〜

「自己愛の罠(わな)」について 〜「恨み」から解き放たれるために〜

「自己愛(自分への満足欲求)」は、人の「生きる力」と分かちがたく結びついています。そして、「自己愛」は人の「幸せ」と「不幸せ」の両方の原因となります。「自己愛」が満たされた時、人は「幸せ」となり、「自己愛」が満たされなかった時、人は「不幸せ」となるからです。今回、題名にした「自己愛の罠(わな)」につかまってしまうと、人は「不幸せ」から抜け出せなくなります。

人権侵害を生む「自己愛の罠」「自己愛の

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 「正しさ」よりもわたしとあなたの「幸せ」を〜「正義」から「責任」へ(その14)

「正しさ」よりもわたしとあなたの「幸せ」を〜「正義」から「責任」へ(その14)

前回、20世紀フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズがスピノザの著書『神学・政治論』について書いた言葉、「なぜひとびとは隷属こそが自由であるかのように自身の隷属を『もとめて』闘うのだろう」(G・ドゥルーズ『スピノザ 実践の哲学』平凡社ライブラリー、P23)を最後に引用しました。(注:この言葉が含まれる一文は、この文章の末尾の注1をご覧ください。)

ここでドゥルーズが言っている、「人はなぜ『自らの意志

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「自己愛」を「更新する」必要がある〜「正義」から「責任」へ(その13)

「自己愛」を「更新する」必要がある〜「正義」から「責任」へ(その13)

何回かにわたって、パワーハラスメントを防ぎ、解決するためにどうすればいいいのか、またそこで出てくる問題点、困難点について考えてみました。困難点は大きくわけてふたつになります。まず個人のレベルでは、自分の中の「正しさ(正義)」を括弧に入れて、「自分をゆるすこと」のむずかしさ。次に集団、組織、社会のレベルでは、その集団等が持つ「正義(正しさ)」を括弧に入れ、その「正義(正しさ)」の徹底に制限をつけるこ

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「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その3)~「正義」から「責任」へ(その12)

「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その3)~「正義」から「責任」へ(その12)

前回、パワーハラスメントが深刻化して、加害者と被害者の両方が互いに「あの人はおかしい、あの人のせいでわたしはこんなに迷惑している。ゆるせない。」と思っている場合、つまり、双方が自分を「被害者」だと思っている場合は、第三者が関わっていくしかないと書きました。今回は、前々回にあげた例にもとづいて、パワーハラスメントを解決するために第三者がどのように関わっていくのがよいのか、また、そこで出てくる問題点、

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「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その2)〜「正義」から「責任」へ(その11)

「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その2)〜「正義」から「責任」へ(その11)

前回、考えやすく単純化したパワーハラスメントの例をあげて、どんな対処が問題の解決をむずかしくするのかを書きました。ではどうすれば問題が解決に向かうのか。また、そうする上で出てくる問題点と困難点について考えてみたいと思います。

人権トラブル解決の「目的地」どうすれば人権トラブルが解決に向かうのかについて考えるためには、まず、どういう状態になれば問題の解決と呼べるのか、つまり「目指す目的地」をはっき

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「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その1)〜「正義」から「責任」へ(その10)

「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その1)〜「正義」から「責任」へ(その10)

前回、人権トラブルを解決するためには、解決の観点を「正義(正しさ)」や「義務としての責任」から「本来の責任」へと切り替えることが必要だと書きました。それは実際にはどういうことなのかを、今回は職場におけるパワーハラスメントを例に考えてみたいと思います。

一般に人権侵害や差別というものは、「強い立場」の人が自分の「正義(正しさ)」にもとづいて、「弱い立場」の人を自分の力で無理やり動かそう(変えよう)

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「本来の責任」が人権トラブルを解決する 〜「正義」から「責任」へ(その9)

「本来の責任」が人権トラブルを解決する 〜「正義」から「責任」へ(その9)

前回、われわれの中に深く根づいている「権利ー義務」という「正義(正しさ)」の観点を、新たな「責任」の観点へと切り替えることが、人権問題の解決につながると書きました。ただ、この「責任」がどういうものであるかが、わかりにくかったと思います。わたしが前回述べた「責任」は、世間一般で言われている責任とは、だいぶ違ったものだからです。

目の前の苦しむ人を放っておけない「本来の責任」わたしがこのnoteでず

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「痛い、やめて」と言ったのに、なぜさらに親はたたくのか 〜「正義」から「責任」へ(その8)

「痛い、やめて」と言ったのに、なぜさらに親はたたくのか 〜「正義」から「責任」へ(その8)

なにかで親がカッとなって小さな子どもをたたいてしまい、子どもが「痛い、やめて」と言ったのに、親がそれに腹を立てて、さらに子どもをたたいてしまうようなケースがあります。そんな場合、親にその理由を聞けば、親は「(子どもは)悪いことをしたのに、わかっていないから」とか、「なまいきだから、反省させたかった」とか、答えそうです。しかし、たぶん本当の理由を親はわかっていないのです。

なぜ、親に「責任」が生ま

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加害者に自分の「責任」を実感させるには 〜「正義」から「責任」へ(その7)

加害者に自分の「責任」を実感させるには 〜「正義」から「責任」へ(その7)

前回、人権問題の解決は、加害者の心の中に「反省」ではなく、「責任」を感じさせることによって可能になるだろうと書きました。もちろん、ここで問題にしたい解決は、社会の中での人権問題の解決(社会的運動や法律の制定等)ではなく、具体的な「人と人の関係」の中での人権問題の解決です。(この二つの解決の違いについては、前回の「個人の『正しさ』と社会の『正しさ』」をご覧ください。)

人権侵害がどのようにして起き

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個人の「正しさ」と社会の「正しさ」〜「正義」から「責任」へ(その6)

個人の「正しさ」と社会の「正しさ」〜「正義」から「責任」へ(その6)

「『正義』から『責任』へ」という副題で書き継いできた文章も、前回の「番外編」を入れるとこれで7回となりました。noteを書く上でのわたしのテーマは、人権問題や人権トラブルの「解決」です。そして、実際の人権問題は常に具体的な「人と人の関係」の中で起きます。そのため、人権問題の解決は具体的な「人と人の関係」の中で行われる必要があります。

人権問題の解決とは、どうなることをいうのか人権問題の解決とは、

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信じるということは危険な「賭け」なのか? 〜「正義」から「責任」へ(番外編)〜

信じるということは危険な「賭け」なのか? 〜「正義」から「責任」へ(番外編)〜

前回、人に助けてもらうには、人を信じて率直に「助けて」と言うことが必要だと書きました。率直に「助けて」と言うことができなければ、だれも助けてくれないからです。しかし、一方で、実際にだれかから助けてもらったことがなければ、だれかを「信じる」ことはなかなかできません。これは、人を「信じる」ということにつきまとう根本的な矛盾です。

「相手にまかせる(ゆだねる)」ことのむずかしさ「相手を信じる」というこ

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なぜ、だれもわたしを助けてくれないのか 〜「正義」から「責任」へ(その5)〜

なぜ、だれもわたしを助けてくれないのか 〜「正義」から「責任」へ(その5)〜

前回の最後に書いたように「困っていれば、だれかが必ず助けてくれる」のが、人の世界です。それは、人の世界がもともと「責任」の世界だからです。そのことが信じられなくなった時、人は孤独になり、絶望します。

現代というこのひどい世界で、孤独になり、絶望しないために、われわれは人の世界が、本来は「責任」の世界だということを改めて知る必要があります。ただ、こんなことを書けば、「そんなのはウソだ。現に、わたし

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自分の「責任」を無視して力をふるう人たち 〜「正義」から「責任」へ(その4)〜

自分の「責任」を無視して力をふるう人たち 〜「正義」から「責任」へ(その4)〜

われわれが生きている現代の世界が、こんなひどいものになってしまっている原因はなんでしょうか。わたしは、それは「強い立場」にいる人、つまり力を持っている人が、自分の「責任」を感じることなく、ただ自分の力を振るっているからだと思います。

力には必ず責任がともなうこのことについて考える前に、まず確認しておかなければならないことがあります。それは、「力には必ず責任がともなう」ということです。くわしくは以

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「正しさ」抜きの「よさ」を考える 〜「正義」から「責任」へ(その3)〜

「正しさ」抜きの「よさ」を考える 〜「正義」から「責任」へ(その3)〜

前回、「毒親」に人権の尊重という「正しさ」にもとづいて、反省や謝罪を求めてもむだということを書きました。子どもから、「あなたは間違っているから反省してわたしに謝罪し、今後、わたしへの態度を改めなさい」と言われて、「はい、すみませんでした。わたしが間違っていました」と謝る親は、まずいません。
「正しさ」で相手を動かし、変えるためには、相手に自分の間違いを認めさせなければなりません。しかし、人は例外な

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