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未来のリーダーへのメッセージ:私たちが福沢諭吉から学ぶべきこと【学問のすすめ2.0:五編】

五編
 『学問のすすめ』はもと民間の読本または小学の教授本に供えたるものなれば、初編より二編三編までも勉つとめて俗語を用い文章を読みやすくするを趣意となしたりしが、四編に至り少しく文の体を改めてあるいはむずかしき文字を用いたるところもあり。またこの五編も明治七年一月一日、社中会同の時に述べたる詞ことばを文章に記したるものなれば、その文の体裁も四編に異ならずしてあるいは解げし難きの恐れなきにあらず。畢竟ひっきょう四、五の二編は学者を相手にして論を立てしものなるゆえ、この次第に及びたるなり。  世の学者はおおむねみな腰ぬけにてその気力は不慥ふたしかなれども、文字を見る眼はなかなか慥かにして、いかなる難文にても困る者なきゆえ、この二冊にも遠慮なく文章をむずかしく書きその意味もおのずから高上になりて、これがためもと民間の読本たるべき学問のすすめの趣意を失いしは、初学の輩はいに対してはなはだ気の毒なれども、六編より後はまたもとの体裁に復かえり、もっぱら解しやすきを主として初学の便利に供しさらに難文を用いることなかるべきがゆえに、看官この二冊をもって全部の難易を評するなかれ。

福沢諭吉『学問のすすめ』
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 『学問のすすめ』は、もともと一般向けの読み物や小学校の教材として提供されることを意図していた。そのため、初編から三編までは、わかりやすさを重視し、口語的な表現を多用していた。しかし、四編では文章のスタイルを少し変更し、難しい単語も取り入れた。この五編も、明治7年の1月1日に社中会同で話した内容を文字にしたもので、スタイルは四編と同様で、読むのが難しい部分もあるかもしれない。結局のところ、四編と五編は学者をターゲットとしているので、このような形になっている。

 一般の学者たちは、しばしば元気がなく、その精神力は不確かだが、文字に対する理解力は確かである。どんな難しい文章も理解できるから、この二編も難解な文章を気にせず書き、その内容も高尚になっている。これにより、本来の目的であった一般向けの読み物としての『学問のすすめ』の趣旨から外れてしまい、初心者にとってはとても読みづらいものとなってしまったかもしれない。しかし、六編以降は、再び初編のようなわかりやすいスタイルに戻り、初心者の利便性を考えて書かれている。だから、この二編だけで全体の難しさを判断しないでほしい。

明治七年一月一日の詞
 わが輩今日慶応義塾にありて明治七年一月一日に逢あえり。この年号はわが国独立の年号なり、この塾はわが社中独立の塾なり。独立の塾に居いて独立の新年に逢うを得うるはまた悦よろこばしからずや。けだしこれを得て悦ぶべきものは、これを失えば悲しみとなるべし。ゆえに今日悦ぶの時において他日悲しむの時あるを忘るべからず。
 古来わが国治乱の沿革により政府はしばしば改まりたれども、今日に至るまで国の独立を失わざりし所以は、国民鎖国の風習に安んじ、治乱興廃、外国に関することなかりしをもってなり。外国に関係あらざれば、治も一国内の治なり、乱も一国内の乱なり、またこの治乱を経て失わざりし独立もただ一国内の独立にて、いまだ他に対して鋒ほこさきを争いしものにあらず。これを譬たとえば、小児の家内に育せられていまだ外人に接せざる者のごとし。その薄弱なることもとより知るべきなり。
 今や外国の交際にわかに開け、国内の事務一としてこれに関せざるものなし。事々物々みな外国に比較して処置せざるべからざるの勢いに至り、古来わが国人の力にてわずかに達し得たる文明の有様をもって、西洋諸国の有様に比すれば、ただに三舎を譲るのみならず、これに倣ならわんとしてあるいは望洋の歎を免れず、ますますわが独立の薄弱なるを覚ゆるなり。

福沢諭吉『学問のすすめ』
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 私はこの日、慶応義塾にいた。明治七年一月一日、これは我が国の独立を意味する年号である。そしてこの塾も、私たちの独立精神を持つ場所である。独立を誇る学びの場にいて、新たな独立の年を迎えることは、何とも喜ばしいことである。だが、今この瞬間を喜ぶことができるのも、もしもこれを失ってしまえば、その喪失が悲しむべきことに変わるからである。だから、今日の喜びの中にも、いつかの悲しみが訪れることを忘れてはならない。

歴史を振り返ると、我が国は多くの政治的変動を経験してきた。しかし、今日まで国の独立を保持できたのは、長い間我が国が他国との関係を避け、自国だけの世界で生きてきたからである。他国との関わりが少なければ、国の繁栄も衰退も、すべては国内だけの問題であり、外部の力に左右されることはなかった。それは、まるで外の世界と接触がない子供が家の中だけで育つようなもので、その弱さは当然知られるべきことである。

 しかし、現在は外国との関係が急速に深まり、国のあらゆる事務が国際的な視点で考えられるようになった。すべての事物は他国との比較の中で位置づけられ、これまでの我が国の文化や技術の成果も、西洋の国々と比べると、追いつくどころか、追い越すことさえ難しい状況にある。このような状況下で、我が国の独立の脆弱さを感じるのは当然である。

 国の文明は形をもって評すべからず。学校と言い、工業と言い、陸軍と言い、海軍と言うも、みなこれ文明の形のみ。この形を作るは難かたきにあらず、ただ銭をもって買うべしといえども、ここにまた無形の一物あり、この物たるや、目見るべからず、耳聞くべからず、売買すべからず、貸借すべからず、あまねく国人の間に位してその作用はなはだ強く、この物あらざればかの学校以下の諸件も実の用をなさず、真にこれを文明の精神と言うべき至大至重のものなり。けだしその物とはなんぞや。いわく、人民独立の気力、すなわちこれなり。
 近来わが政府、しきりに学校を建て工業を勧め、海陸軍の制も大いに面目を改め、文明の形、ほぼ備わりたれども、人民いまだ外国へ対してわが独立を固くしともに先を争わんとする者なし。ただにこれと争わざるのみならず、たまたまかの事情を知るべき機会を得たる人にても、いまだこれを詳つまびらかにせずしてまずこれを恐るるのみ。他に対してすでに恐怖の心をいだくときは、たとい、我にいささか得うるところあるもこれを外に施すに由なし。畢竟、人民に独立の気力あらざれば、かの文明の形もついに無用の長物に属するなり。

福沢諭吉『学問のすすめ』
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 国の進化や発展をただ外見だけで評価すべきではない。学校、工業、陸軍、海軍など、これらは文明の外見に過ぎない。このような形態を作り上げるのはそれほど難しくなく、お金を使って手に入れることも可能だ。しかし、ここで考えるべきは目に見えない、耳で聞くことのできない、売ったり買ったりすることのできない、あるいは貸し借りすることもできない非物質的な要素がある。この要素は国の中のどこにでも存在し、その影響は非常に強い。この要素がなければ、学校やその他のものは真の価値を持たない。この最も重要な要素こそが、文明の本質であり、それは国民の自立した精神、つまりその気力である。

 近年、我が国の政府は学校を増やし、工業を奨励し、陸海軍の体制も大きく改善してきた。文明の外見としてはほぼ整っているが、国民がまだ外国に対して自立の精神を持ち、積極的に競争しようとは思っていない。また、外国の事情を知る機会がある人々も、その事実を深く理解する前に、まず恐れを感じることが多い。他国に対して恐れる気持ちを持っていると、もし何か利益を得ることができても、それを実際に活用することはできないだろう。結局のところ、国民が自立の精神を持っていなければ、外見の文明も結局のところは無駄なものになってしまう。

 そもそもわが国の人民に気力なきその原因を尋ぬるに、数千百年の古いにしえより全国の権柄を政府の一手に握り、武備・文学より工業・商売に至るまで、人間些末の事務といえども政府の関わらざるものなく、人民はただ政府の嗾そうするところに向かいて奔走するのみ。あたかも国は政府の私有にして、人民は国の食客たるがごとし。すでに無宿の食客となりてわずかにこの国中に寄食するを得るものなれば、国を視ること逆旅げきりょのごとく、かつて深切の意を尽くすことなく、またその気力を見あらわすべき機会をも得ずして、ついに全国の気風を養いなしたるなり。

福沢諭吉『学問のすすめ』
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 最初に、我が国の人々が活気を欠いている理由を考察すると、長い歴史を通じて、国の全権力は中央政府が一手に握ってきた。武力や学問から、産業や商業に至るまで、たとえそれが些細な事務であっても、政府の関与を逃れることはなかった。人々は、政府が示す方向にただ追随するだけで、まるで国が政府の私物であり、人々はその客人のようになってしまった。結果として、人々はこの国での生活の中でただ生き延びるだけを目指し、国を自分のものとして深く思うことなく、自らの活力を発揮する機会を得ることなく、全体としての国民の意識や気質が形成されてきたのである。

 しかのみならず今日に至りては、なおこれよりはなはだしきことあり。おおよそ世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞ちょたいする者はあるべからざるの理なり。今、日本の有様を見るに、文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は日に退歩に赴おもむけり。請う、試みにこれを論ぜん。在昔、足利・徳川の政府においては民を御するにただ力を用い、人民の政府に服するは力足らざればなり。力足らざる者は心服するにあらず、ただこれを恐れて服従の容かたちをなすのみ。今の政府はただ力あるのみならず、その智恵すこぶる敏捷びんしょうにして、かつて事の機に後おくるることなし。一新の後、いまだ十年ならずして、学校・兵備の改革あり、鉄道・電信の設あり、その他石室を作り、鉄橋を架する等、その決断の神速なるとその成功の美なるとに至りては、実に人の耳目を驚かすに足れり。しかるにこの学校・兵備は、政府の学校・兵備なり、鉄道・電信も、政府の鉄道・電信なり、石室・鉄橋も、政府の石室・鉄橋なり。人民はたしてなんの観をなすべきや。

福沢諭吉『学問のすすめ』
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 さらに現代の状況を見ても、より深刻な問題が浮かび上がる。基本的に、何も進化しないものは退化し、退化しないものは進化する。進化も退化もしない状態、つまり停滞は理に反する。現在、日本の状態を観察すると、文明の外見は進んでいるように見えるが、文明の本質である国民の気力は日々後退している。考えてみてほしい。過去、足利や徳川の政府下で、国民を支配するのには力が必要で、その力の前に国民は服従していた。力に劣る者は心から服従しているわけではなく、ただ恐れから従っていたに過ぎない。現在の政府はただの力だけではなく、非常に賢明で、事の成り行きに後れることはない。新しい体制が始まってまだ十年も経たないうちに、学校や軍の改革、鉄道や電信の導入、そして石造りの建物や鉄の橋の建設など、その迅速な決断とその成功は人々を驚かせるものである。しかし、これらの学校や軍、鉄道や電信、建物や橋、すべては政府のものであり、国民としてどう感じるべきなのだろうか。

 人みな言わん、「政府はただに力あるのみならず兼ねてまた智あり、わが輩の遠く及ぶところにあらず、政府は雲上にありて国を司り、わが輩は下にいてこれに依頼するのみ、国を患うれうるは上の任なり、下賤の関わるところにあらず」と。概してこれを言えば、古いにしえの政府は力を用い、今の政府は力と智とを用ゆ。古の政府は民を御するの術に乏しく、今の政府はこれに富めり。古の政府は民の力を挫くじき、今の政府はその心を奪う。古の政府は民の外を犯し、今の政府はその内を制す。古の民は政府を視みること鬼のごとくし、今の民はこれを視ること神のごとくす。古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。この勢いに乗じて事の轍てつを改むることなくば、政府にて一事を起こせば文明の形はしだいに具わるに似たれども、人民にはまさしく一段の気力を失い文明の精神はしだいに衰うるのみ。

福沢諭吉『学問のすすめ』
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 多くの人々はこう主張する。「政府は単に力を持つだけでなく、知恵も持っている。私たちが到底及ぶことのできない存在である。政府は高い位置にあり、国を統治しており、私たちはその下でその指示に従うだけである。国の運命は上層部の責任であり、私たち下層の人々の関与する場ではない」と。要するに、古代の政府は力に依存していたが、現代の政府は力と知恵の両方を使用している。古代の政府は民衆の管理方法が不十分であったが、現代の政府はその方法に長けている。古代の政府は民衆の物理的な力を抑え込んでいたが、現代の政府は彼らの心を捉えている。古代の人々は政府を恐れる存在、鬼のように見ていたが、現代の人々はそれを尊敬し、神のように見ている。古代の人々は政府を恐れていたが、現代の人々は政府を尊敬し、時に崇拝する。この流れが変わらなければ、政府が何か新しい方針を立てたとしても、外見は次第に洗練されていくかもしれないが、国民としての活力は失われ、真の文明の精神は次第に衰退していくであろう。

 いま政府に常備の兵隊あり、人民これを認めて護国の兵となし、その盛んなるを祝して意気揚々たるべきはずなるに、かえってこれを威民の具とみなして恐怖するのみ。いま政府に学校、鉄道あり、人民これを一国文明の徴として誇るべきはずなるに、かえってこれを政府の私恩に帰し、ますますその賜に依頼するの心を増すのみ。人民すでに自国の政府に対して萎縮いしゅく震慄の心をいだけり、豈あに外国に競うて文明を争うに遑いとまあらんや。ゆえにいわく、人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るもただに無用の長物のみならず、かえって民心を退縮せしむるの具となるべきなり。

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 現在、政府は常設の軍隊を持っている。国民はこれを国を守る軍隊として評価し、その力強さを祝福して誇りに思うべきだが、逆にこれを国民を圧迫する手段として恐れている。同様に、政府が学校や鉄道を持っている今、国民はこれを我が国の文明のシンボルとして自慢するべきだが、逆にこれを政府の特権と考え、ますますその恩恵を求める心境になっている。国民は既に自国の政府に対して不安や恐れの感情を抱いている。そんな中、どうして外国との競争で文明を争う余裕があるだろうか。だからこそ、国民に独立心や自立の意識がなければ、文明の外見を築くことはただの役立たずの装飾であり、さらには国民の意識を後退させる手段となるだろう。

 右に論ずるところをもって考うれば、国の文明は上かみ政府より起こるべからず、下しも小民より生ずべからず、必ずその中間より興りて衆庶しゅうしょの向かうところを示し、政府と並び立ちてはじめて成功を期すべきなり。西洋諸国の史類を案ずるに、商売・工業の道、一として政府の創造せしものなし、その本もとはみな中等の地位にある学者の心匠に成りしもののみ。蒸気機関はワットの発明なり、鉄道はステフェンソンの工夫くふうなり、はじめて経済の定則を論じ商売の法を一変したるはアダム・スミスの功なり。この諸大家はいわゆるミッヅル・カラッスなる者にて、国の執政にあらず、また力役りきえきの小民にあらず、まさに国人の中等に位し、智力をもって一世を指揮したる者なり。その工夫発明、まず一人の心に成れば、これを公にして実地に施すには私立の社友を結び、ますますその事を盛大にして人民無量の幸福を万世に遺のこすなり。この間に当たり政府の義務は、ただその事を妨げずして適宜に行なわれしめ、人心の向かうところを察してこれを保護するのみ。

福沢諭吉『学問のすすめ』
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 こう考えると、国の発展や文明は、上層の政府だけから生まれるわけではなく、また最も下層の人々だけから生まれるわけでもない。むしろ、それは中間層、すなわち中流階級から生じ、彼らが示す方向に大衆が従い、政府と協力することで真の成功が得られる。西洋の歴史を見ると、商業や産業の進歩は政府の直接的な創出ではなく、むしろ中流階級に属する研究者や学者たちの創意工夫から生まれている。蒸気機関はワットによる発明であり、鉄道はステフェンソンのアイデアであり、経済学の基本原則や商業の方法を革命的に変えたのはアダム・スミスの功績である。これらの偉大な人々は、いわゆるミドルクラスに属し、国の政策決定者でもなく、また一般の労働者階級でもない。彼らは国民の中間層に位置し、その知識と才能で時代をリードしていた。彼らのアイデアや発明は、まず個人の思考から始まり、それを公にし、実際に実行するためには、個人や民間の協力が必要であり、その結果として多くの人々の福祉に寄与し、長い間続く貢献を残してきた。このプロセスにおいて、政府の役割は、これらの取り組みを妨害することなく、適切に実行されるように支援し、人々の意向を理解し、保護することである。

 ゆえに文明の事を行なう者は私立の人民にして、その文明を護する者は政府なり。これをもって一国の人民あたかもその文明を私有し、これを競いこれを争い、これを羨みこれを誇り、国に一の美事あれば全国の人民手を拍うちて快と称し、ただ他国に先鞭を着けられんことを恐るるのみ。ゆえに文明の事物悉皆しっかい人民の気力を増すの具となり、一事一物も国の独立を助けざるものなし。その事情まさしくわが国の有様に相反すと言うも可なり。

福沢諭吉『学問のすすめ』
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 文明を推進するのは一般の国民であり、その文明を守るのは政府である。この考えに基づくと、一国の国民はその文明を自らのものとして持ち、これを競い合い、これを誇りとし、国に何か素晴らしいことが起これば、全国の国民がその成功を祝福する。ただ、他国に先を越されることだけが懸念である。このような視点から、文明に関連するすべての事柄が国民の意識や意欲を高める要因となり、その一つ一つが国の独立を支える。この概念は、我が国の現状とは逆の考え方であるとも言える。

 今わが国においてかのミッヅル・カラッスの地位に居おり、文明を首唱して国の独立を維持すべき者はただ一種の学者のみなれども、この学者なるもの時勢につき眼を着すること高からざるか、あるいは国を患うれうること身を患うるがごとく切ならざるか、あるいは世の気風に酔いひたすら政府に依頼して事をなすべきものと思うか、おおむね皆その地位に安んぜずして去りて官途に赴き、些末の事務に奔走していたずらに身心を労し、その挙動笑うべきもの多しといえども、みずからこれを甘んじ、人もまたこれを怪しまず、はなはだしきは「野やに遺賢なし」と言いてこれを悦ぶ者あり。もとより時勢の然らしむるところにて、その罪一個の人にあらずといえども、国の文明のためには一大災難と言うべし。文明を養いなすべき任に当たりたる学者にして、その精神の日に衰うるを傍観してこれを患うる者なきは、実に長大息すべきなり、また痛哭つうこくすべきなり。

福沢諭吉『学問のすすめ』
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 現在、我が国におけるミドルクラスの地位にいるとされる学者たちが、文明の推進と国の独立を守るべき役割を持つとされている。しかしこの学者たちの中には、時流に対する洞察が足りない者や、国の課題に対して真剣に取り組む意識が乏しい者、あるいは単に政府に頼って物事を進めるだけの者もいる。多くの彼らは、その中流の地位に満足せずに、公職を求め、細かい業務に追われて身体や精神を消耗している。彼らの行動には疑問符をつけたくなる部分も多いが、彼ら自身はその状況を受け入れ、一般の人々も特に疑問を持たない。更に驚くべきことに、「このような状態でも、真の賢者は存在しない」と言いながら満足する人さえいる。確かに、この現状は時代の流れとして仕方ない部分もあるだろうが、我が国の文明発展の観点から見れば、これは大きな問題である。文明の発展を牽引すべき学者が、その役割を果たせずに精神的な衰退を見せているこの状況を、ただ傍観するだけの人々が多いのは、本当に問題であり、深く憂慮すべき状況である。

 ひとりわが慶応義塾の社中はわずかにこの災難を免れて、数年独立の名を失わず、独立の塾にいて独立の気を養い、その期するところは全国の独立を維持するの一事にあり。然りといえども、時勢の世を制するやその力急流のごとくまた大風のごとし。この勢いに激して屹立きつりつするはもとより易やすきにあらず、非常の勇力あるにあらざれば、知らずして流れ識しらずして靡なびき、ややもすればその脚を失するの恐れあるべし。そもそも人の勇力はただ読書のみによりて得べきものにあらず。読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり。実地に接して事に慣るるにあらざればけっして勇力を生ずべからず。わが社中すでにその術を得たる者は、貧苦を忍び艱難かんなんを冒して、その所得の知見を文明の事実に施さざるべからず。その科とがは枚挙に遑いとまあらず。商売勤めざるべからず、法律議せざるべからず、工業起こさざるべからず、農業勧めざるべからず、著書・訳術・新聞の出版、およそ文明の事件はことごとく取りてわが私有となし、国民の先をなして政府と相助け、官の力と私の力と互いに平均して一国全体の力を増し、かの薄弱なる独立を移して動かすべからざるの基礎に置き、外国と鋒ほこさきを争いて毫ごうも譲ることなく、今より数十の新年を経て、顧みて今月今日の有様を回想し、今日の独立を悦ばずしてかえってこれを愍笑びんしょうするの勢いに至るは、豈あに一大快事ならずや。学者よろしくその方向を定めて期するところあるべきなり。

福沢諭吉『学問のすすめ』
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 慶応義塾の私たちだけが、この困難な状況を避けてきた。数年間、独立の名を保ち、独立の精神を栽培してきた。私たちの目指すところは、全国の独立を維持することにある。しかし、時代の流れは猛烈であり、その力は急流や強風のように強大である。この流れに抵抗して立ち向かうことは容易ではない。強い意志と努力がなければ、流されたり、倒されたりするリスクがある。勇気や力は、単に読書だけで得られるものではない。読書は学びの手段であり、学問は実践の手段である。現場の経験がなければ、真の力は得られない。私たちの仲間で既にこの知識を持つ者は、困難を乗り越え、学んだことを現代の実際に適用しなければならない。商業、法律、技術、農業、著作、翻訳、新聞の発行など、あらゆる文明の側面を採用して私たちのものとし、国民の先駆けとして政府と協力して、公的と私的な力をバランスよく使い、国の全体的な力を高め、独立を不動のものとする基盤を築くべきである。外国との競争で譲歩せず、数十年後には、今日の状況を振り返り、当時の独立を自嘲するほどの力を持つことが、最大の喜びである。学者として、その方向性を明確に持ち、期待するところを持つべきである。

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