記事一覧
失ってからでは遅いを失いつつありながら感じている
生殺しだ。でもそうさせているのは、私だ。
もしあなたの気持ちはとっくに離れていて。
こうやって文字に起こすことすら本当は苦しい。
私が待って、と引き止めている状況だと自覚してしまう。
『人として、愛している。味方でいる。』
あなたはそう言うけど、でも、
『好きとは自信を持って言えない。』
どこまで素直で、誠実なんだ。
私を苦しめるその誠実さが、あなたの好きなところでもあるから本当に困ってしまう
幸せの型にはまりたい。
今日は国際女性デー。本当はこの日にあった前向きで心が暖かくなる話をしたいところだが。
息が詰まる。
何をしても満たされない感覚。
ただ覚える焦燥感。
そんな現状なもんだから、ミモザが似合うようなポカポカとしたものなどかけるはずもなく。
幸せを具現化するとこういう感じ、という形にとりあえずハマりたくて、ミモザのものを見つけては、まだこの文化を忘れていない自分を好きになろうとしている。
心が乾
生きたくないではなく、息を吸うのが苦しいだけだ。
このもやもやは何だろう。なんとなく苦しくて、どこからともなく怒りがわいてくる。生きているのが結構しんどい。怒りというものは生命エネルギーの高さを表すともいうが、今の私には生命エネルギーの高さなどこれっぽちも考えられない。じゃあこの怒りはどこから来るのだろう。
「死にたい」とは考えていない。ただ、息をすることが難しいだけだ。生きづらい、よりも、生きることが容易でなくなってきている。
今日の私は、
あなたの目から流れた私の涙。
もぐらちゃんがお母さんから言われた言葉でどんな気持ちになったかって想像したら泣けてくる、と何度も目をふいていた私のお姉ちゃん(お姉ちゃんとは、姉的な存在の2個上の友達)。
お母さんにじゃなくて、これからは私に相談して。私じゃ頼りないことだったら、知り合いの専門家に繋げられるから。
私の話を真剣に聞いてくれて、真剣に解決策を考えてくれて、受け止めてくれた。
本当に嬉しくて、思い出して涙が出る。
環境の異常さに気づくこと
自身が置かれている環境が異常だと気づくことは容易でない。
一方で、環境が違うことは、意外とすぐにわかるものでもある。
友人との会話、メディアから発信される「普通」、そこかしこに自身との違いに気づくきっかけはある。違いには、気づくのだ。でも、その違いは個人差、家庭差の範疇に収まるのか、その判断がむずかしい。
よそはよそうちはうちに集約されるのではないか。そんなのみんな我慢して生きているんだよ、そう
あなたを傷つけてまでも染み付いているから困っているのに
分かってくれよとは言わない。分からないだろうから。
私の優先順位は、生存のために親が1番なのだ。
親に怒られないためには、親が機嫌よくいるためには、それを常に考えて動くから、きっと彼はきついんだと思う。私が彼にしてあげられることは親の動向でだいぶ変化するし、きっと彼よりも少ないから。
私の都合で動いている、そう思われる。私が生きていく上での優先順位に従っているからそう思われても仕方ない。でも、
耳で恋するのをやめた
私は今まで、私が求める言葉を言ってくれる人を好きになっていた。
大丈夫?守るからね。かわいいね。本音は違うでしょ?
でもそんな言葉、誰でも言える。いや、少し違うな、そんな言葉が言えるのは、そんな言葉でしか伝えられない人達なのだ。行動では示せない、ただ言葉として示すことしか出来ない、または、しようとしない人達。そんな簡単に吐ける言葉に私は恋をしていた。短絡的だった。
人間性は、言葉の巧みさじゃ
あなたといると丁寧な自分で生きたいと思える
背伸びではなくて、あなたといると、なんだろうな、心の奥のキラキラした穏やかな川のような部分が刺激される。
バカ騒ぎしたり、強がったり、いろんなことに挑戦したり。それも私の一部なんだけど、背筋を伸ばしてみたり、丁寧な言葉を使ったり、ゆったり過ごす私も好きな私なのだ。人前だと、前者の私がよく顔を出す。人懐っこいような私が活発に活動するようになる。でも、1人でいるとき、後者の私はどこかそっと存在している
100%の上書き保存はないから。
今までの私は、何か嫌なことがあった日付を、1年後、2年後の同じ日付に最高の思い出を作ることで、打ち消そうとしてきた。それが最大の復讐であり、喜びにもなると思っていた(サイコパスみたい笑)。
だから、もちろん今回もとびっきり最高な日にしてやろうと意気込んでいた。
最近仲良くなった子とLINE交換しちゃおうかなぁとか、好きな人に話しかけてみようかなぁとか、ワクワクすることでいっぱいにしようとしていた