「施餓鬼」 「すごく怖くて、でも、なんだか哀しげなもの達が、いたんです」 住職の横に座った初老の女性は、ひざの上で重ねた指先を見つめながら、ぽつり、ぽつりと話…
「かなしみの棘」 犬を見てほしい、と連絡がきたときは、どんな珍しい案件かと、少しわくわくした。 なにしろ彼女は、野生動物の保護などに関わる獣医師で、犬につい…
「立春の小鬼」 毎年の開花を楽しみにしている梅が、散歩道にある。 天満宮の鳥居の下に植えられて、おそらく100年は経っているだろう。今年も順調につぼみが膨らみ…
「小さな龍」 湖のほとり、少し岩場のようになったところに、小祠が祀られていた。 知る人ぞ知る、という言われ方をすることも多く、たしかに遠方から拝みに来る人も…
「気弱なほとけ」 その家では代々、家の仏壇に入る者達はみな、三回忌までは成仏しない、と言われてきた。 成仏、する。 では、成仏とは何か。 「なんだろうねぇ。…
「想い雪虫」 古い山城の跡に立つ山桜の葉が色づいて、もう半分ほども落ちている。 この数日の朝晩はめっきり冷え込んで、北の空にかかる鈍色の雲は、いまにも雪を降…
「地下鉄」 数年ぶりに訪れた都市で、地下鉄に乗った。 もう半世紀以上も走り続ける路線で、駅の改札も、構内も、車輌も、ずいぶんと古びた印象を受ける。久しぶりだ…
「八の字の眉」 夏に熱中症で倒れたご隠居が、いよいよ老衰で危ないというので、見舞いに出かけた。 もう90もなかばで、あちこちが弱っている。それでも頭はまだし…
「北を待つ鴨」 収穫を終えた田んぼの横の水路に、一羽の鳥がいた。 光沢のある緑色の頭、黄色いくちばし。 マガモのオスだ。 そういえば昨年も、今頃にやっ…
「器物たちの蔵」 明け方、枕辺に見知らぬ女が立った。 目覚めていたから、いわゆる夢枕ではない。ようやく東の空がほのかに明けたくらいで、部屋は暗い。もしや鬼の…
「お迎え」 駅から歩いて30分ほどの畑の中に、ぽつんと一軒、今は住む人のない古い家が建っている。 あるじは丁度一年前、秋晴れの下で天に還った。生きていれば今…
「跡目の仔」 神社の前を通りかかったとき、中から言い争うような声がした。 「早くから修行を始めないと、この子のためにならない」 「そんなこと、させるもんかい」 …
「お喋り金木犀」 入院していた知人が、退院すると連絡をくれた。 出産のための入院で、逆子なので帝王切開をした。その後数日、退院の予定が延びたのだが、もう心配…
「じいさま獅子」 知人が住職をしている寺を訪ねた。 駅から歩くと30分ほど。そこに山門があるのだが、そこからさらに石段を二百ほど上がらなければならない。裏手…
「萩の道」 駅からまっすぐ延びた通りを10分ほど歩き、左へ入ってしばらく行った突き当りに、古い寺がある。 日頃は訪れる人がほとんどいないが、秋口になるとにぎわ…
「涙花草」(なはなくさ) 涙花草、というものがある。 草、というからには、植物だろうと思われるが、実際何なのかは知らない。実物を見たのは、これまでで2度。秋…
綾部理
2024年4月27日 21:29
「施餓鬼」「すごく怖くて、でも、なんだか哀しげなもの達が、いたんです」 住職の横に座った初老の女性は、ひざの上で重ねた指先を見つめながら、ぽつり、ぽつりと話し続けた。「父は、24歳で南方から復員したんだそうです」「戦友がたくさん死んで、父も死にそうになったって」「ガリガリに痩せて、でも、帰って来られたんだって」 父親の結婚は遅く、女性が生まれたのは、父が43歳のときだった。「
2024年3月24日 21:22
「かなしみの棘」 犬を見てほしい、と連絡がきたときは、どんな珍しい案件かと、少しわくわくした。 なにしろ彼女は、野生動物の保護などに関わる獣医師で、犬についても知識は豊富だ。あるいは、生きている犬ではないのか、と考えもしたが、とにかく訪ねてみると、予想に反してとても日常的な、けれど痛ましい話であった。「未緒は、犬と暮らすのをすごく楽しみにしていたの。でも、初めてにしては、ハードルが高すぎ
2024年2月10日 23:31
「立春の小鬼」 毎年の開花を楽しみにしている梅が、散歩道にある。 天満宮の鳥居の下に植えられて、おそらく100年は経っているだろう。今年も順調につぼみが膨らみ始めていた。 立春の朝、もう遠目にも春が萌している。さて咲いてはいないものかと近付いていくと、梅の根元に、中型犬くらいの大きさの、何かがいた。「まあまあ、そう、へこまずに。おまえがよく働いたということじゃないか」 これは梅の声
2024年1月13日 23:16
「小さな龍」 湖のほとり、少し岩場のようになったところに、小祠が祀られていた。 知る人ぞ知る、という言われ方をすることも多く、たしかに遠方から拝みに来る人もいる。地域の昔話では、湖の成り立ちと共に語られており、小さく質素な小祠ではあるが、歴史は古い。 ここには、龍神が祀られていた。 ときおり姿を見かけるし、数回は話しをしたこともある。青磁の冴えた輝きを放つ、美しいうろこの龍だ。 こ
2023年12月16日 21:13
「気弱なほとけ」 その家では代々、家の仏壇に入る者達はみな、三回忌までは成仏しない、と言われてきた。 成仏、する。 では、成仏とは何か。「なんだろうねぇ。なんか、姿を見せなくなると、成仏したって言うよね」 仏壇の前であぐらをかいた長男が、そう言った。「あら、私はおばあちゃんから、この家の先祖はみんなのんびりしてるから、仏さまになるのに時間がかかるって聞いたわよ。仏さまになって、
2023年12月9日 20:29
「想い雪虫」 古い山城の跡に立つ山桜の葉が色づいて、もう半分ほども落ちている。 この数日の朝晩はめっきり冷え込んで、北の空にかかる鈍色の雲は、いまにも雪を降らせそうに重かった。 季節が動き、最初に降る雪は、なるべくこの山城の跡で迎えることにしていた。特に、親しい人を見送った年は、想いのかけらを受け取りに行く。 しかし、親しい人とはどのような人か。気がつけばこのところ毎年、ここに来ている
2023年12月2日 20:51
「地下鉄」 数年ぶりに訪れた都市で、地下鉄に乗った。 もう半世紀以上も走り続ける路線で、駅の改札も、構内も、車輌も、ずいぶんと古びた印象を受ける。久しぶりだから、余計にそう感じるのかもしれないが、ホームに立って壁を見ると、何ヶ所も水がしみ出していて、やはり経年劣化だろうと思う。 なんとなく、天井が低い。 なんとなく、照明が暗い。 生き物と同様、鉄道も駅も、年を取っていくのだろう。
2023年11月25日 20:07
「八の字の眉」 夏に熱中症で倒れたご隠居が、いよいよ老衰で危ないというので、見舞いに出かけた。 もう90もなかばで、あちこちが弱っている。それでも頭はまだしっかりしたもので、床の中で穏やかな笑顔を見せてくれた。「体に、なんだか力が入らんで、もう、お迎え待つだけかなぁて」「なに言ってんの。もちょっと頑張って。よりちゃんの赤ん坊の顔、見なきゃねぇ」 枕辺に座った娘が、気楽な口調で励ます
2023年11月18日 20:58
「北を待つ鴨」 収穫を終えた田んぼの横の水路に、一羽の鳥がいた。 光沢のある緑色の頭、黄色いくちばし。 マガモのオスだ。 そういえば昨年も、今頃にやって来た。昨年は確か、もっと紅葉が早かったのではなかったか。思えば一昨年も、ここでこのマガモを見た覚えがある。 毎日ではないが、よく通る道だ。この水路は幅が広く、ちょっとした小川のようで、景色が良い。カモという鳥は、なぜか水辺の風景
2023年11月11日 21:27
「器物たちの蔵」 明け方、枕辺に見知らぬ女が立った。 目覚めていたから、いわゆる夢枕ではない。ようやく東の空がほのかに明けたくらいで、部屋は暗い。もしや鬼のような面構えなら見たくないな、とじっとしていると、あちらも立ったままで動かない。しばらくそうしていて、なんだか我慢くらべも馬鹿らしくなったので、床から起きると、いきなり女と目が合った。「ごめんくださいませ」 いまさらな挨拶だ。
2023年11月4日 20:52
「お迎え」 駅から歩いて30分ほどの畑の中に、ぽつんと一軒、今は住む人のない古い家が建っている。 あるじは丁度一年前、秋晴れの下で天に還った。生きていれば今年が古希の祝いで、少し離れた市街に住む子や孫に囲まれ、幸せに過ごしていたはずだ。 子も孫も、あるじが大好きだった。そして、あるじだけでなく、あるじと共にいつもいた、たくさんの生き物達が大好きだった。「あぁ、すみません。お待たせしまし
2023年10月28日 20:23
「跡目の仔」 神社の前を通りかかったとき、中から言い争うような声がした。「早くから修行を始めないと、この子のためにならない」「そんなこと、させるもんかい」「何を、罰当たりな」「おまえのバチなんざ怖くないわ」 きいきいとした声は、どうやら常のものではなく思われたので、のぞいてみることにした。「この有難いお話しを」「なにが有難いもんか」「あ、」「きゃっ」 小さな、茶色いも
2023年10月21日 20:01
「お喋り金木犀」 入院していた知人が、退院すると連絡をくれた。 出産のための入院で、逆子なので帝王切開をした。その後数日、退院の予定が延びたのだが、もう心配ないということだった。 結婚前から、夫婦ともに付き合いがあったので、結婚後も気安く、しばしば互いに行き来していた。今回は、安産守りを引き取り、ひとり増えた家族全員の健康守りを渡すために、訪ねる約束をしていた。 聞いていた時刻より早
2023年10月14日 20:53
「じいさま獅子」 知人が住職をしている寺を訪ねた。 駅から歩くと30分ほど。そこに山門があるのだが、そこからさらに石段を二百ほど上がらなければならない。裏手に車の通れる山道があって、たいていの人はそちらで上の駐車場まで行くようだ。けれど、山門をくぐって、歩いて上がるのは好いものだ。一歩、一歩と歩いていくことで、境内の空気に馴染んでいくような気持ち良さがある。「いらっしゃい。やっぱり、歩い
2023年10月7日 21:22
「萩の道」 駅からまっすぐ延びた通りを10分ほど歩き、左へ入ってしばらく行った突き当りに、古い寺がある。 日頃は訪れる人がほとんどいないが、秋口になるとにぎわいをみせる。そこは、萩の寺として知られているのだ。 山門の手前から本堂にかけて、歩けば5分もかからない距離だが、大人の背丈ほどまで伸びた萩が、次から次へと花を咲かせるので、なかなか野趣に富んだ好い景色となる。ほとんどが赤紫の花だが、中
2023年9月30日 20:44
「涙花草」(なはなくさ) 涙花草、というものがある。 草、というからには、植物だろうと思われるが、実際何なのかは知らない。実物を見たのは、これまでで2度。秋明菊にそっくりだった。 秋明菊は、キクと名につくが菊ではない。涙花草も、草とつくが植物ではないかもしれない。 水のきれいな沢のあたりにあるというが、見たのは鉢に植えられていた。切って水に差してもよいのだと聞いた。 心が壊れそうなく