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人生のフィナーレはピンピンコロリ

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人生のフィナーレは、どんな人でも苦しまずに死にたいものだ。ピンピンコロリが理想的だろう。あるいは、夢の中で眠っているうちにネンネンコロリでもいい。全25回にわたる短編シリーズです。
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記事一覧

ピンピンコロリとネンネンコロリ【最終章②】

このシリーズでは、死に際、やり残し、身辺整理、遺書、死に場所、最後の晩餐について、それぞれの章で述べてきた。

最後の晩餐について述べたときは、生前葬やタイムカプセル郵便についても触れたが、これが意外と反響が大きかった。(第6章②を参照)

やはり、自分の身体がどこまで持つかというのは、この先、誰にも予測できない。

だからこそ、こうして文章をしっかりと書ける今のうちに、万が一の場合にお願いしたい

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【最終章①】

あなたがもし急に体調に異変を感じたとき、かかりつけ医にすぐに電話できるだろうか。

または、誰かすぐに駆けつけてくれる人に電話できるだろうか。

自分の携帯電話(スマホ)の電話帳に、そういった人の電話番号が登録されているなら、意識朦朧となっている状態でも、なんとか電話はできるだろう。

だが、手帳のどこかに書いていて、その手帳を探さないと電話できない状態であれば、今すぐに登録したほうが良いだろう。

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第6章②】

生前葬をやるならば、恥ずかしい死に方だけはしたくないものだ。

台風のニュースになると、毎年のように、田んぼを見に行って高齢者がそのまま帰らぬ人になったという情報に接する。

また、若い人でも、深夜に友人と車を飛ばしながらドライブして、スピード超過のままカーブを曲がりきれずに崖に転落したり、電柱などに激突したりして帰らぬ人になるパターンがある。

大丈夫だという過信は、絶対に身の破滅につながるから

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第6章①】

ある日コロッと逝った人は、人生の最後の晩餐を望みどおりに経験することなく終わってしまう。

また、最後の晩餐になると予期できていたとしても、高齢のために咀嚼する力がなかったり、胃が受け付けなかったりすると、なかなか思いどおりに人生を終えられないものだ。

だから、「生前葬」を元気なうちに開催して、生前葬で食べるものを「最後の晩餐」と捉えるほうが、満足して死を迎えられると思う。

では、そのときに何

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第5章②】

今日は、東日本大震災からちょうど11年半、そして、アメリカの同時多発テロから丸21年である。

どちらも「こんなはずではなかった」という衝撃や落胆のもと、亡くなられた方々が多くいらっしゃる。今年もまた、彼らのご冥福をお祈りする。

そして、生き残った私たちは、無念の思いで亡くなられた方々のために、それぞれの人生を精いっぱい全うする責務がある。

それと同時に、明日は我が身という覚悟も常に持ちながら

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第5章①】

このシリーズも、残すところあと3週間である。9月25日を最後の回にする。

まず、エリザベス女王のご冥福をお祈りしたい。最後は家族に見守られ、スコットランドの自然に囲まれたバルモラル城で安らかにお眠りになったことだろう。

ああいう死に方に、憧れるものである。

歴史上の人物に、西行法師という歌人がいたが、西行が自分の死ぬ日と死に場所を歌に詠んで、ほぼそのとおりに亡くなったという話は有名である。

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第4章②】

「遺書」の前段階として、今は書店でも手軽に入手できる「エンディングノート」がある。いわゆる「終活ノート」である。

ただ、人によっては、該当しない項目もあり、買ったノートの様式に縛られて、なんとなく受け身で綴る感じもしなくはない。

それよりかは、「未来への自分の手紙」として、便箋とかスマホのメモ帳アプリとかに残したほうがよいかと思う。

ただし、重要なことは、自分が読むのではなく、他人が読むわけ

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第4章①】

「死に際」「やり残し」「身辺整理」と続いて、今週は第4章として、「遺書」をテーマにしたい。

「遺書」は、推理小説(ドラマや映画でも)ではよく登場するし、自殺するときに書くイメージが強いが、別に、生前の元気なうちに書いたって、「書を遺(のこ)す」という意味では問題ないわけである。

これが「遺言状」となると、相続の意味合いが強く、ドラマでもこれは無効だとか有効だとかで、親族間で揉め事が起こる。

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第3章②】

デジタル遺産をどうするか?という問題は、自分以外の人と共有していない場合、悩ましい問題である。

私の祖父は、そもそもネットなどしたこともなく、与えられた携帯電話に家族の電話帳が登録されていただけである。

だから、パスワードなど無縁だったのだ。

ところが、今の時代は、このnoteもそうであるが、いろいろとサイト内のログインでパスワードが求められる。

ネット銀行の口座がある人や、インターネット

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第3章①】

第2章では、「やり残し」をテーマに話をした。

今日と明日は、第3章になるが、「身辺整理」がテーマである。

やり残したことを死に際に後悔して亡くなっても、家族や友人など後に残された人は、困ることはない。

たが、自分の私物、家具や書籍などが膨大に残されたら、遺品整理をする人は負担が大きい。

特に、老後に独り身で生活する場合は、体が動くうちに、身の回りのものは誰かに譲ったり、リユース店で売ったり

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第2章②】

映画やテレビドラマでもよくあるが、ガンで余命宣告されたら、死ぬまでにやりたいことリストを作っている人もいる。

ただ、病状によっては、外出制限や食事制限があるから、すべてをコンプリートすることは叶わない場合が多い。

最近の例でいえば、コロナと東京オリンピックである。

コロナがなければ、楽しみにしていた東京オリンピックも思う存分に観戦できたかもしれないが、まさかコロナで早々に命を落とすことになろ

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第2章①】

序章、第1章と続いたが、今週は第2章である。

第1章は「死に際」がテーマだった。第2章のテーマは、「やり残し」である。

コロリと死ぬのは、一見、ラクに死ぬように思えるが、忘れた頃に突然訪れる死ならば、もしかしたら、死ぬまでにやりたかったことができずに人生を終えてしまう可能性だってあるのだ。

自分の健康を信じて疑わず、これは数年後の楽しみに取っておこうと思っている人は、少なくないだろう。

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第1章②】

自分の死に際についてどうありたいかを考えて、その理想に向かって精一杯生きることが、結果的には悔いなく人生を終えることになるのだろう。

しかし、多くの場合、死の直前は、相当苦しみが伴う。

その苦しみの一つは、死に対する恐怖からくるものである。

ピンピンコロリとネンネンコロリは、その恐怖を感じることなく自然死するようなものだから、最も理想的なのかもしれない。

死に際に、家族が駆けつけて見守って

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ピンピンコロリとネンネンコロリ【第1章①】

私の祖父は、自宅で亡くなった。もとから病院嫌いだったので、病院で最期を迎えるという選択肢はなかった。

だが、最期は、周りに家族が駆けつけて見守られながら息を引き取ることにはならなかった。

万全の態勢は整えていた。

自分の容態に異変を感じたら、携帯のボタンをワンプッシュするだけで、私の母親の携帯に電話がつながるようになっていた。

しかし、その日に限って、携帯電話を自分の手の届くところに置いて

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