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昔語り: 外国語と海外生活

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昭和から平成にかけて、これまで経験してきた外国語との付き合いや、海外生活の思い出を纏めています
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記事一覧

英語格闘記:帽子とアスコット競馬

英語格闘記:帽子とアスコット競馬

昔々,昭和時代の終わりぐらいの事。

筆者は十代の途中で家族の転勤でイギリスに移り住んだ。

高校生の頃、ラジオを聴くのが好きだった。

インターネットの無かった時代、外国語を覚えるために使えるものの一つにラジオがあった。

天気予報から始まり、ニュースやバラエティ、ラジオドラマ、音楽、DJのおしゃべりやラジオ局に音楽のリクエストをしてくるリスナーとのやりとり。様々なスタイルの外国語を耳にすること

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バブル期の昔語り:耳から学ぶ英語

バブル期の昔語り:耳から学ぶ英語

年寄りの独り言として聞いていただきたい。もうかれこれ40年程前の話だ。

筆者家族は三年と言う短期間でイギリスに住むこととなった。

この当時、日本がちょうどバブルの真っただ中だった。

当時住んでいたイギリスは景気が悪かっただけではなく、いきなり日本からの輸入や日本企業の進出が増えた事に戸惑っており、景気の良い日本に非常に気を悪くしている人達もいた。

大きな理由の一つとしてあげられるのが第二次

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昔語り : イギリス英語が間違った英語だった時代

昔語り : イギリス英語が間違った英語だった時代

今から約30年前ほどのこと。

筆者は大学で英語を専門に学ぶ学科に入ったのだが、そこで一か月以内に同級生からかなり厳しい言葉を浴びせられた。

ある同級生が授業の後つかつかと寄ってきて、大声で「あなたの英語は間違っているのよ!」と言った。

大学に入る前、筆者は親の仕事の関係で中学の途中からイギリスで暮らしていた。かの地ではなかなかアメリカ英語に触れることも無く、そのまま地元の発音やスペリングを学

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昔語り:エッセイ : 大学がレジャーランドと呼ばれていた時代

昔語り:エッセイ : 大学がレジャーランドと呼ばれていた時代

1980年代後半から1990年代の初頭まで、大学はレジャーランドと呼ばれていた。

筆者か通ったのは東京の都心、山手線の中央付近にある私立のミッション校だった。ここは学科にもよるが、筆者のいたクラスはかなりのレジャーランドだった。

授業に出席し、下手すれば教授に提出する出席証を友達に代筆してもらい、授業に出席すれば欠席とはみなされず、下手するとレポートさえ出せば単位がもらえる授業が溢れかえってい

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小説:バブル期の日本 : 帰国子女はずるい

小説:バブル期の日本 : 帰国子女はずるい

あたしは人に負けない。絶対。

小さなころからあたしはアメリカに憧れてた。

昭和の時代、日本はアメリカの情報で溢れていた。



アメリカはやっぱりすごい。

何においてもすべての分野で世界で抜きん出て優れている国。

スケールが日本の何倍も大きくて、自由がある国。

世界一強くて影響力のある国。

豊かで、一流の物が数限りなくある国。

模範にすべき国。

追いつけ、追い越せの国。

素晴ら

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エッセイ:「ありがとう」と「お願いします」を巡る階級闘争

エッセイ:「ありがとう」と「お願いします」を巡る階級闘争

飛行機が成田空港を出発し,私達家族は日本を離れた。

昭和の終わり頃,父の急な転勤で私達家族は海外生活を余儀なくされた。

当時は単身赴任という選択肢が無かった様で,子供がどんなに年齢が行っていても海外赴任に同行させられた。

現地の言葉など全く使いこなせない我が家は,到着後,一足先に現地に入っていた父と合流し,新しく住む家に連れていかれた。

屋内で靴を脱ぐ習慣の無い国とは聞かされていたが,玄関

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昔語り:交換留学生と帰国子女は同じか

昔語り:交換留学生と帰国子女は同じか

昭和時代の年寄りの一人言として聞いていただきたい。

学生時代,筆者の周囲には驚くほど海外留学を希望する学生がいた。

筆者の通っていた大学には交換留学の制度があり,それを利用して海外の大学にチャレンジしたい優秀でやる気のある学生が大勢いた。交換留学では自分の目指す勉強ができない人は,自費留学でも海外の大学へと勉強に行くことになった。

交換留学は通常3年生の秋に海外の大学に行き,4年生の春に戻っ

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昔語り:エッセイ : 危険と共に過ごす海外生活

昔語り:エッセイ : 危険と共に過ごす海外生活

パーンという激しい爆発音の後に、地響きのような揺れが起きた。

道行く老人たちは皆、路上に伏せた。

道の反対側にうつぶせになっている老人がこちらに手を振って、「Duck!」と叫んでいる。

とっさに私も路上にうつぶせになった。

しばらくして消防車と救急車のサイレンが鳴り、パトカーが何台も通り過ぎて行った。

道にうつぶせになった人達は何事も無かったかのように起き上がると、その場を急いで立ち去っ

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嫌いな人から学んだこと(企画参加)

嫌いな人から学んだこと(企画参加)

山根あきらさんの「#嫌いな人から学んだこと」の企画に参加している。

人生、折り返し地点に来ているが、十代の頃から苦手を通り越して嫌いなのが日本にいる日本人にアメリカンイングリッシュを強制する英語教師だ。

中学の時、JETプログラムに参加している教師が、英語のクラスにやって来た。

当時のJETプログラムは、アメリカの大学の単位所得の一環だった。短期間来るその教師たちは自分の教えていた期間に生徒

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