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夢と希望たち

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社会に出て、思えばずっと、就労問題で悩んでいる気がする。同じでなくても繰り返してもいる。そんな初期の苦難の中で、もがいてもがいて、何とか希望を見出そうとした。初期ではない今も、夢… もっと読む
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記事一覧

諦めた夢

 家族の為に夢を諦めた…と言う人がいる。
 本当は画家になりたかったとか、ミュージシャンになりたかったとか、引き合いに出されるものの多くが、芸術に纏わる道であったりする。
〝芸術では食えない〟
 必ずしもそうではないと思うのは、実際、芸術で食っている人も大勢いるからだ。しかし狭き門であることには違いないのであろう。  
 芸術への道を諦めた理由が、例えば本人の意思から遠かったりするのは、周囲の環境

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働くということ

〝働く〟という行為が、私は嫌いではない。労働によってお金を手にする…それは勿論のこと、自分の働きが誰かや何かの助けになる…それが遣り甲斐となり、充実感を生み出すのである。
〝働く〟という行為は、私にとってある種、生き甲斐ですらあった。
 仕事は楽しい…いつもそう思っていた。しかし楽しいのは、〝仕事〟なのである。仕事に行って、〝仕事〟は楽しいが、その他の部分が楽しくない…。それは何度も感じたことだ

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大人とは

 子どもの頃、大人とは、とてつもなく大きな存在であった。身体だけの話ではない。何でも知っていて、何でも出来る。賢くて正しい、そんな存在だと思っていた。
 今、自分が大人と呼ばれる年になって思う。
『大人って何やろ…?』
 大人になったら、色んなことが出来るようになると思っていた。夢が叶ってなりたい自分になっている…それが私の大人像であった。キラキラ輝いていて素敵な存在。子ども心に憧れていた大人の世

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面接について

 面接が苦手だ。昔はそうでも無かったのに、年々苦手になって行く。今では恐怖心すら感じる。その場に出ると、足が震え、声が震える。自分を根底から奮い立たせて、女優になったつもりで笑顔を心掛け、真摯な態度で臨んでも、結果が出なかったりする。様々な要因が重なって、私は面接恐怖症になってしまった。
 心から望んだ仕事から、あまりにも疎外されるので、面接必勝法などを調べてみる。自分には自己アピール力というもの

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変わるということ

 よく、「誰かから指摘されたり注意を受けたりしたら、有り難く受け取れ」というようなことを言われる。「言ってもらえるうちが花」「ある意味期待されているということ」…などと言い換えられることもある。
 しかし私は、これらの助言が嫌いだ。自分がすべて正しいと思っているのではないし、捻くれてそう思っているのでもない。事はもっと複雑である。
 誰かから与えられた指摘や注意を、全面的に否定したり拒否するつもり

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就職試験

 就職試験に落ちた。今年に入って五回目である。四回落ちてしたいことが潰え、路頭に迷っていた時に「これだ!」と直感が働いたのが今回の仕事。しかし、直感が働いたのは私だけではなかった。友人を含め、知人の知人を含めても、志望者の中には既に五人も知り合いがいた。結局、募集人数に対して十倍以上の難関となった。
 いつも自信がなくて、落ちることを考えながら通知を待つ私は、今回ばかりは念を送り続けた。
『受かれ

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生きるための希望

 今、私には希望が無い。
 同じ職種で幾度かの転職と停職を経た結果、雇用され、誰かの下で働く…という立場に、すっかり疲れ果ててしまったせいである。
『組織というものに馴染めない…』
 辿り着いた答えがそれであった。
 そもそも、私は人間というものが苦手らしい。考えてみれば、昔からそうだった。人見知りで大人しい性格。真面目で素直に育つことを良しとする世間一般の風潮により、長子は親の接し方や家庭環境の

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干支問題

 占いや迷信を信じない人は多いが、私にとってそれらは、自分の力ではどうにもならない時、気分を変えたり背中を押すような役割を果たす。
 昔は悪いことばかりを信じて、憂いに備えることで自分を守ろうとしていた。しかし、保守的になり過ぎることが必ずしも人生を良い方向へ導くわけではないという現実を知る。予測不可能な事態が連発し、理解が出来ないばかりか、対処の術もないような不幸が降りかかる度、私は狼狽えた。そ

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血液型傾向について

血液型による性格占いに、科学的根拠はないらしい。
 しかし、私の拙い人生経験と狭すぎる人間関係の中では、科学的根拠に反するような其々の傾向が、実は見え隠れする。
 人に因ってものの見方も見え方も違う為、私の主観と社会的評価が合致するとは決して言えないが、此処ではあくまでその主観から導き出した血液型傾向について記したい。
 唯、これを読んで怒り出す人もいるかも知れないので、前以て言い訳してお

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仕事と天職…そして現実

 保育の仕事が好きだ。子どもと関わり、親と関わり、個々の喜怒哀楽を受け止めながら日々格闘し、健全な心身を育む手助けをしながらその成長を見守る。上手く付き合っていくために脳を酷使することで共に学び、その工夫によって保育者自身も成長を促される。努力はそのまま、信頼と愛着という双方の関係に究極の形として反映される。子どもが好きでも、ただ一緒に遊んでいればいい仕事ではなく、実は肉体労働でとても大変である。

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絶望の淵から

 生きているのが辛いときがある。
 自分が世界から除外され、必要とされない人間であると思い知らされるような経験を、私は幾度もした。求めても拒絶され、自分の居場所もわからずに、何処でどう生きれば良いのかと迷子になっていた。今も、まさにそうである。
 生きていることが苦しい。
 希望の光はなく、しかし今後も生きるのなら、私に、無いものを差し出せと、社会が追い駆けて来る。どん底である。
 かといって死ね

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受け入れるということ

 もうかれこれ四年近く、慢性の蕁麻疹に蝕まれている。
 事の発端に心当たりはあるが、実は発症する一年前から、その予備軍とも言える兆候があった。しかし、私はストレスと蕁麻疹の関係性を、知識として持っている人間ではなかったし、実際それは、冬場、布団に入ると全身の痒みにのたうち回って眠れない…というものであった為、表面上に発疹などが無いことから、冬の乾燥肌が原因かと思っていた。しかし、市販の痒み止めで何

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花粉症と鼻炎の話

 酷い花粉症持ちである。記憶を辿れば、既に小学校の半ば頃から、それは悩み事の一部だ。
 当時〝花粉症〟という言葉は、今ほど世間に浸透しておらず、私は毎回何時間も待たされる耳鼻咽喉科に於いて、〝アレルギー性鼻炎〟と診断されていた。実際そうだったのかも知れないが、通院時期が大体春先から夏頃にかかっていた気がするので、そう言いながら花粉症だったのかも知れないと思っている。
 そもそも、〝花粉症〟と〝ア

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家事問題

 料理が好きだ…とは、実は口が裂けても言えない。
私が料理らしい料理に着手したのは、精々三年程前である。
 当時私は、社会人になって二度目の無職を経験し、しかし二ヶ月後には職場復帰を想定していたことから、未来に何ら特別な不安も抱かないまま、失業保険の受給を受けつつ、その機会を待っていた。ただ違っていたのは、一度目の無職を経験した折り、大切な存在をふたりも失った痛手から、一日の殆どをベッドで過ごして

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