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本能寺の変1582 お知らせ №17 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

     お知らせ      №17 

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加筆・修正

  いつも、多くの皆様に御覧いただき大変ありがとうございます。
  さて、表記の件につき、下記の通り、内容の一部を加筆・修正いた
  しましたのでお知らせいたします。

重要 ◎目次小 第15話 

4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 7/7 

はじめに ←目次 ←重要 ◎目次 ←重要 ◎目次小 ← 
→重要 ◎目次小 第1~20話 第21~40話 第41~ 話 
→重要 ◎目次小 ①第1~5話 ②第6~10話 ③第11~15話 ④第16~20話
見えてきたもの 目次 
*「◎」は、重要ヶ所◎マークです。 
 10① ◎ 10② ✓ 11 ◎ 12 ◎ 13 ◎ 14 ◎ 15 ◎ 
*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。

◎第15話  第15話 

 信長の人物像 命に逆らう者を容赦しない 絶対専制君主 恐ろしい男
 信長の性格  執念深い 苛烈 誇り高い男
 光秀の人物像 戦国武将 不撓不屈の男 強靭な精神力 強固な意志 
        実行力
 光秀の苦悩  佐久間信盛の死 信長の仕打ち 

  ◎信長は、執念深い。
  ◎最後まで、信盛を赦さなかった。         『信長公記』
  ◎信長は、苛烈だった。              『信長公記』
  ◎信盛は、逐電した。               『信長公記』
  ◎信盛は、失意のうちに亡くなった。
  ◎これが、織田家重臣筆頭者の末路である。    「多聞院日記」
  ◎多聞院英俊もまた、歴史の証人であった。
  ◎その時、光秀は、奈良にいた。
  ◎そこで、信盛の死を知った。          「多聞院日記」
  ◎光秀は、佐久間信盛の死に様を知っている。
  ◎これが、信長の仕打ち。
  ◎確と、「肝に銘ずべし」。
  ◎光秀の心中、穏やかならず。
  ◎光秀の苦悩は、次第に大きくなっていく。
  ◎光秀は、歴とした戦国武将。
  ◎光秀は、不撓不屈の男。
  ◎光秀の心の内には、秘する思いがあった。
  ◎信長は、命に逆らう者を容赦しない。
  ◎高野滅亡、時刻到来か。             『信長公記』
  ◎「摂津伊丹の牢人ども」             『信長公記』
  ◎高野山は、抗戦の姿勢を見せた。         『信長公記』



  以上。
  今後とも、よろしくお願いたします。
                              20240115

NEW!!

目次 が更新されました。

 これで、全体像がよくわかる!!
 毎日更新!!
 原因・動機の究明は、この一歩から!!

重要 ◎目次 が更新されました。

 「本能寺の変」
 原因・動機は、この中にあり!!
 ご注目下さい!!

見えてきたもの 目次 が更新されました。

 これで、さらに、一歩、近づいた!!
 ご期待ください!!

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