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光の中のアンダーグラウンド 「目じるしのない悪夢」の只中に、わたした ちはいる

緊急的事柄として、この文章を書き残しておきたいと思う。只中の記録として、その最中の記憶として。私はこの中に存在し、その内部の一部としてこれを書く。私は「目じるしのない悪夢」の内部に存在し、そして、私はその部分として存在している。現在、2021年9月9日、午後11時。

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すでに、わたしたちは、「目じるしのない悪夢」の只中に、その悪夢の最中の真ん中にいる。わたしたちは同じ失敗をまた、繰り返そうとしている、いや、繰り返している。わたしたちは、今この瞬間、取返しのつかない、取り戻すことのできない巨大な失敗と間違いの中心にいる。この瞬間も。誤魔化すのは止めた方がいい。見せ掛けの、日々、更新され告示される数字の辻褄合わせに付き合うのももう止めた方がいい。カウントされる死者の数は数字じゃない。それは並べられた遺体の重さだ。その数字は一人では支えることのできない遺体の重さだ。その動くことのない、動かすことができない重さは、本当ならば、存在しない重さだ。なぜ、なぜ、その重さを人は背負わなければならないのだ。今現在、今この時間のこの時刻に、この時間と空間の中で、誰にも知られることなく死んでゆく人々が存在している。行くべきところに行くこともできなく死んでゆく人々が存在している。その厳然たる事実から目を背けるな。その死の多くが人の手によって救うことができたのかもしれない。仮にそうであるのならば、その死は純粋に人の手によって生み出されたものだ。わたしたちはこの手で人を殺している。遠く離れた知らない場所の誰かの手ではなく、この手で、その手で。疑う余地なく。なぜ、人は、そのことに無表情でいられるのか? なぜ、人は、そのことに怒りを表さない? なぜ、人は、そのことを恥じないのか? いったい何時から人は怒らなくなってしまったのだ。自分の大切な人たちがそのカウントされる数字のひとつになった後でさえも。スマートフォンの画面の中に頭を埋没させるのは、もういい加減止めにしてくれ。動画を何度もリプレイすることも、キーボートを叩いて何かの文字を打ち込むことも、アイコンをクリックすることも。24時間、サイレンの鳴り止むことのないこの場所で。

顔を上げろ。                            顔を現実へ向けろ。

けたたましく騒々しい作り笑いを流すテレビを消せ。ニュースの間だけ執拗に緊急事態を示し、ニュースが終われば綺麗さっぱり知らん顔をして祭典を放送していたテレビとそれを観ていた自分たちの後ろ姿のおぞましさを思い出せ。本気で一致団結してリアル・パラレル・ワールドをこの国に出現させたわたしたちのその醜悪さを忘れるな。そのグロテスクさを体に刻み込め。

憎悪しろ。                              鏡の中のわたしたちの姿を。

過ぎ去ってしまったように見えた「荒唐無稽なジャンクの物語」を笑うな。それは終わってしまった過去の笑い話なんかじゃない。それが、現在のわたしたちが抱く夢のような煌めき輝く崇高な物語の内実とそっくりそのままのものであることを知るべきだ。

「目じるしのない悪夢」は終わってはいない。わたしたちはその中にいる。今、再び、その只中に、わたしたちはいる。

わたしたちは何もかも譲り渡し、この世界を〈光の中のアンダーグラウンド〉にしてしまったのだ。

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「今更わざわざこんなことを言うのは馬鹿げているかもしれない。でも私は声を大きくして言いたい。「彼らは本当にそんなことをするべきではなかったのだ。何があろうとも」」(「アンダーグラウンド」村上春樹 講談社 1997年 P724〜P725より引用)



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