Grey Cells

Art de Vivre. を信条に生きる三文文士。 ただ美しいから芸術なのではなく、…

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Art de Vivre. を信条に生きる三文文士。 ただ美しいから芸術なのではなく、常に美しい(普遍)から芸術なのであり、また意思を持たない(無我)が故に心を許すことも出来る。移ろいやすいヒトの世にあって、その対極に位置する芸術の変わらぬ価値を求め、暮らしを満たす日々の言の葉。

記事一覧

無人島へ持って行く本

 読書家が必ずしも蔵書家ではないように、蔵書家もまた読書家であるとは限らなくて、要は一冊の本とじっくり向き合うか、ただ積んでおく(並べておく)だけかという話で、…

Grey Cells
2日前
3

会津路

 福島には三つの土地があって、太平洋に面した「浜通り」と、かつては奥州街道が貫き、今は新幹線や高速道路が貫く東北の大動脈であるところの「中通り」、そして磐梯山の…

Grey Cells
5日前
2

夢のような生活 ― 続「余生という時間」

 仕事もせずに毎日のんびり暮らしてみたい、というのは万人の理想を集約した常套句のように使われている言葉ではあるけれども、稀に仕事が好きでたまらなくて休日を返上し…

Grey Cells
8日前
1

Festina lente

 現代は、とりわけ「速さ」という概念が尊ばれている時代であって、一分二分の時間短縮の為に途方もない設備投資を行っている交通機関はもとより、情報通信然り、物流業然…

Grey Cells
13日前
7

雨の効用

 朝、目が覚めてカーテンを開け放った時、仮に厚く垂れこめる曇天から雨粒が落ちて来るような日であったなら、きっと明るい気持ちになれる向きは少なくて、大方は雨具の用…

Grey Cells
2週間前
3

自然

 此の国から春と秋が消えて無くなり、桜が咲いたかと思えばたちまち夏日になって、秋の日の釣瓶落としを感じる間も無く木枯らしの冷たい風が吹き始める。だから空調という…

Grey Cells
3週間前
3

越後路

 トンネルを抜けても、そこは雪国ではなくて、若葉薫る緑の田園だった。新潟の街に城は無い。初めにそのことは言っておかなければならなくて、大概の向きは県庁のある街に…

Grey Cells
3週間前
4

旅を生きる ― 続々「日常の再定義」

 誰の言葉か知らないけれど、人生は旅路である、とは良く言ったもので、もちろんそれは、今や百年時代を迎えつつあるヒトの生涯を、山あり谷あり、酸いも甘いも、旅路に譬…

Grey Cells
1か月前
7

詩のススメ

 文学というのは、何も小説に限った話ではなくて、随筆でも、論文でも、新聞でも、文学になり得るということは前に書いたことだけれど、要は、言葉を使った芸術が、文学の…

Grey Cells
1か月前
5

伊勢路

 鉄道の旅が、目的地までの到着時刻ばかり気にするようになって、鉄道会社の方でも、ダイヤ改正では何分短縮とか、何本増発とか、ただ、どれだけ速く何人運べるか、という…

Grey Cells
1か月前
2

船旅の心得

 船舶が旅の手段ではなくなり、金持ちの道楽になったのは、歴史を紐解くまでも無く航空産業が発達したからで、今、あえて船を使って目的地まで行こうというのは、離れ小島…

Grey Cells
2か月前
7

時間

 ありふれた冬の一日に、元旦という役割を与えたから、その日は特別な一日になり、それから三百六十五日(今年は三百六十六日)経った、やはり何の変哲も無い冬の一日に、…

Grey Cells
2か月前
3

関ヶ原を歩く

 天下分け目と呼ばれている戦いは世界中に幾らもあって、此の国の歴史の中で当てはまりそうなものは、中国大返しの末に羽柴秀吉が明智光秀を討った「天王山の戦い」か、そ…

Grey Cells
2か月前
10

宿り木

 バーの入口に窓が無く、厚い扉で仕切られている理由は、外界との隔絶を意図としたものであるからで、ひと度、店の中に足を踏み入れてみれば、仄暗い照明に長いカウンター…

Grey Cells
2か月前
5

大は小を兼ねる ― 続「字引を読む」

 大きいことは良いことだ、という価値観は、いかにも戦前の大艦巨砲主義のようで芸が無さそうであるけれども、実際、文学を読む為に使う字引を選ぶに当たっては、そういう…

Grey Cells
2か月前
4

隠れ家

 仮に誰とも接する事なく暮らしが成り立つのであれば、大なり小なり、社会の軋轢と摩擦が芽生える余地は無くなり、それこそ、世界人類の平和が訪れるのではないだろうか、…

Grey Cells
2か月前
4
無人島へ持って行く本

無人島へ持って行く本

 読書家が必ずしも蔵書家ではないように、蔵書家もまた読書家であるとは限らなくて、要は一冊の本とじっくり向き合うか、ただ積んでおく(並べておく)だけかという話で、一体、ヒトは生涯で何冊の本を読めるのだろうか。前に、此の国では年間七万点の新刊が発行されると書いたことがあったけれども、日に直せば、実に二百点近い本が書店に届けられる訳で、無論、中には稀覯本や専門書も含まれているはずだから、その全てが全て、

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会津路

会津路

 福島には三つの土地があって、太平洋に面した「浜通り」と、かつては奥州街道が貫き、今は新幹線や高速道路が貫く東北の大動脈であるところの「中通り」、そして磐梯山の麓に広がる盆地が「会津」である。会津までの道程がとりわけ長く、また遠く感じられるのは、ひとえに磐越西線の走りに拠っていて、東京から郡山までの二百キロを俊足に一時間強で結ぶ新幹線と、郡山から若松までの四十キロ足らずを同じく一時間強で繋ぐ磐越線

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夢のような生活 ― 続「余生という時間」

夢のような生活 ― 続「余生という時間」

 仕事もせずに毎日のんびり暮らしてみたい、というのは万人の理想を集約した常套句のように使われている言葉ではあるけれども、稀に仕事が好きでたまらなくて休日を返上してでも働いているような向きもいれば、なかなか上手い仕事が見つからずに尋ね歩いている向きもいる訳で、誰にでも当てはまる謂いではなく、これは経験から言えることだけれども、自分の適性だとか相性に合った仕事に就くことが出来たならば、言われるほどに仕

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Festina lente

Festina lente

 現代は、とりわけ「速さ」という概念が尊ばれている時代であって、一分二分の時間短縮の為に途方もない設備投資を行っている交通機関はもとより、情報通信然り、物流業然り、一体、明け方に頼んだ荷物を日没までに必要としなければならない向きがどれほどいるというのだろうか。多様化したメディアは不眠不休で速報を配信し、地球の裏側で起きた出来事がリアルタイムで携帯に通知される時代に、輪転機で印刷し、人力で配達される

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雨の効用

雨の効用

 朝、目が覚めてカーテンを開け放った時、仮に厚く垂れこめる曇天から雨粒が落ちて来るような日であったなら、きっと明るい気持ちになれる向きは少なくて、大方は雨具の用意だとか、洗濯物の心配だとか、あるいはその日の予定が思惑通りにならない、つまりは諸々の実際的な障害にばかり意識は囚われて、生産的な活力は減退し、色覚に起因する本能的な不快感がまた鬱なる気持ちを増幅させて、確かに天気予報を見ても、翌日が雨であ

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自然

自然

 此の国から春と秋が消えて無くなり、桜が咲いたかと思えばたちまち夏日になって、秋の日の釣瓶落としを感じる間も無く木枯らしの冷たい風が吹き始める。だから空調という人工の機械に頼らずとも心地良く過ごすことが出来る季節は短く、あるいは無くなってしまったという話で、専門家ではないから、それが温暖化に原因があるのか、地磁気のせいであるのか、からくりは判らないけれども、四季折々の緩やかな移ろいを感じにくくなっ

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越後路

越後路

 トンネルを抜けても、そこは雪国ではなくて、若葉薫る緑の田園だった。新潟の街に城は無い。初めにそのことは言っておかなければならなくて、大概の向きは県庁のある街には城があるものだと思っているから、新潟の街を見渡しても天守閣など見当たらなくて、きっと戦争で焼け落ちたのだと考えたところで無理はない。もっとも、城の無い県庁所在地というのは他に幾らもあって、例えば長野は善光寺のお膝下で賑わった門前町で、神戸

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旅を生きる ― 続々「日常の再定義」

旅を生きる ― 続々「日常の再定義」

 誰の言葉か知らないけれど、人生は旅路である、とは良く言ったもので、もちろんそれは、今や百年時代を迎えつつあるヒトの生涯を、山あり谷あり、酸いも甘いも、旅路に譬えた比喩に過ぎなくて、ただ、よくよく考えてみれば、人生とは本当に旅、旅「のようなもの」、ではなく、旅「そのもの」なのかも知れなくて、それは、旅に出ている間だけが、本当の自分に戻ることが出来るからである。二十四時間という天地万物へ平等に与えら

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詩のススメ

詩のススメ

 文学というのは、何も小説に限った話ではなくて、随筆でも、論文でも、新聞でも、文学になり得るということは前に書いたことだけれど、要は、言葉を使った芸術が、文学のことである。その、芸術という用語が出たついでに、こちらも定義しておくと、文学を小説に限るかのように勘違いしている向きが多いように、芸術とは美しさであると勘違いしている向きもまた多くて、芸術とは、単に美しいから芸術なのではなくて、常に美しい(

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伊勢路

伊勢路

 鉄道の旅が、目的地までの到着時刻ばかり気にするようになって、鉄道会社の方でも、ダイヤ改正では何分短縮とか、何本増発とか、ただ、どれだけ速く何人運べるか、という点にばかり気を取られて、快適さやデザインは二の次になり、リクライニング・シートが何度傾くくらいの小さな話が大きく宣伝されている。それでも、沿線に観光地を抱えるような路線は、それなりに優等列車を走らせて、目新しさを競っているようだけれど、それ

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船旅の心得

船旅の心得

 船舶が旅の手段ではなくなり、金持ちの道楽になったのは、歴史を紐解くまでも無く航空産業が発達したからで、今、あえて船を使って目的地まで行こうというのは、離れ小島に住んでいる向きか、あるいはまた自動車を運ぶ為のフェリーくらいなもので、欧州航路だとか、大西洋航路だとかいう言葉はすっかり過去のものとなっている。戦前は、欧州まで出掛けることを「洋行」と言って、それは別に船旅に特化した言葉ではないけれども、

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時間

時間

 ありふれた冬の一日に、元旦という役割を与えたから、その日は特別な一日になり、それから三百六十五日(今年は三百六十六日)経った、やはり何の変哲も無い冬の一日に、大晦日という役割を与えて、その日を特別な一日にしたことで、一年の始まりと終わりが決まり、同じように、ありふれた真夜中の瞬間に、零時という役割を与えて、二十四時間経った、やはり何の変哲も無い真夜中の瞬間に、また零時という役割を与えたことで、一

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関ヶ原を歩く

関ヶ原を歩く

 天下分け目と呼ばれている戦いは世界中に幾らもあって、此の国の歴史の中で当てはまりそうなものは、中国大返しの末に羽柴秀吉が明智光秀を討った「天王山の戦い」か、その秀吉恩顧を旗印に掲げた石田三成を徳川家康が滅ぼした「関ケ原の戦い」くらいではないだろうか。同じ天下分け目と言っても、前者が一対一、光秀と秀吉(厳密には織田信孝らを含めた連合軍)の戦いであったのに対して、後者は、文字通り全国の諸大名を東西陣

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宿り木

宿り木

 バーの入口に窓が無く、厚い扉で仕切られている理由は、外界との隔絶を意図としたものであるからで、ひと度、店の中に足を踏み入れてみれば、仄暗い照明に長いカウンターと、その向こうに奥ゆかしく佇むバーテンダーがいるという景色は、大なり小なり何処でも同じはずで、初めての客であったとしても、取り立てて迫害される訳でもなくて、好みの一杯でも頼めば、愛想の有る無しはともかく、丁寧に磨き上げられたグラスに美しい色

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大は小を兼ねる ― 続「字引を読む」

大は小を兼ねる ― 続「字引を読む」

 大きいことは良いことだ、という価値観は、いかにも戦前の大艦巨砲主義のようで芸が無さそうであるけれども、実際、文学を読む為に使う字引を選ぶに当たっては、そういう価値観も役に立つようである。字引を使う向きの主たる目的は、知らない言葉の意味を探る為であって、普通に考えるならば、たくさん見出し語を載せている字引が優れているように感じられて、版元の方でもそういう需要を察して、大抵は字引の帯に「何万語収録」

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隠れ家

隠れ家

 仮に誰とも接する事なく暮らしが成り立つのであれば、大なり小なり、社会の軋轢と摩擦が芽生える余地は無くなり、それこそ、世界人類の平和が訪れるのではないだろうか、と真剣に考えていて、事ほど左様に、ストレスというものは、ヒト、対人に起因するもので、未開社会がどうであるのか、原始時代がどうであったのか知らないけれど、少なくとも現代の文明国家においては、独りになりたい時に、独りになれる場所を持っている、知

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