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「ネガティブ」も「ポジティブ」も一緒
二元性を超える「今、幸せになりましょう」
「今、幸せを感じましょう」
純粋な非二元の道、一元論のスピリチュアリティを歩んでいる者であるならば、そういった言葉には十分に熟考していく必要があるといえましょう。
というのも、この世界の夢から目覚めようとしている私たちに求められているものは、ポジティブシンキングとはまったくちがうものだからです。
いわゆる、ネガティブをポジティブに変えるというようなこ
ラマナマハルシが「自己探究(self-inquiry)」と呼んでいたもの
私とはだれか?神とはなにか?「悟り」と言うとき、それは「達観する」「到達する」というイメージがあったりするわけですが、
実際、私自身の感覚で言うならば、「悟り」とはそういうものとはちがって、むしろ、この世界の夢を知覚しているかぎり、それはけっして終わることのない自己探究なのだというふうに思えているのが正直なところです。
それは無限なるものへの探究なのだということです。
それはもはや好奇心や
コースは学ばなければならないものなのでしょうか?
死によってではなく真理によってこの世を去るコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は学ばなければならないものなのでしょうか?
というならば、それはNOです。
コースを学ばなければならないということはまったくありません。
それは義務(必修科目)ではありません、ということです。
たしかに、コースには「必修科目である」(T-in.1:2)というふうに述べてありますが、そのメッセージはコースを口
コースの学びの階梯を上っていくために私たちが成さなければならないこと
コースを学んでいるのは個人の自分ではない私たちは、自分たちを人間だと信じています。
そして、個別の存在としての「個人の自分」を自分だと信じています。
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びのプロセスでいえば、最初は、その個人の自分がコースを学ぶというところからはじまります。
そして、コース形而上学を理解するようになり、その学びが深まっていくにつれて、
コースを学んでいる自分は「
コースの学びが深まっていくとき、この世界をどのように見ていくようになるのか?
この世界を「教室」とする
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくにつれて、やがて私たちはこの世界を「教室」として捉えていくようになります。
「教室」とは、つまり、この世界を目覚めていくためのレッスンの場として捉えるようになるということです。
この世界は自我が作り出した幻想世界なわけですが、その目的を変えることによって、この世界の捉え方がまったく変わるわけです。
その実
二元性を超えた世界を知覚し始めて分かってくるもの
コースの内容がさまざまに解釈されていることについて私自身、その学びは今も尚、深化し続けていると言うことができます。
ただ、この私にとって、その学びがコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)というスピリチュアリティの枠組みに限定することができなくなっているというのが正直なところです。
それというのも、コースに対する認識が少しばかり変わってきていて、『ア・コース・イン・ミラクルズ』というもの自体
見ないかぎり、直視しないかぎり、取り消しはなされない
私たちがしなければならいのは「見る」ことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践で私たちがしていかなければならないのは、「見る」ことをしていくということです。
何を見るのか?というなら、内側にあるものを見ていくということです。
逆に、「見る」ことをしないとき、それを「否認、抑圧、隠蔽」と呼び、私たちは見ないことによって実在しない幻想を保持し続けていると言うことができます。
コースで
自分の内側の葛藤と抵抗がわき起こってくるということは学びがはじまったということ
コースを学んでいく上で知っておくべきこと私たちは、幸せになりたい、幸せでありたい、と思って生きています。
それはこの世界にいる誰もが抱いている共通した想いであるといえます。
もちろん、コース学習者たちも当然ながらそうなりたい、そうありたいと思ってコースを学んでいるわけです。
ところが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることを理解するようになると、この世界には自分を幸せにし