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第二共和政とフェミニズムー性から読む「近代世界史」⑯
・普通選挙、社会主義への反動、六月事件
選挙が一週間後に迫った4月16日、五万の労働者たちが市庁舎へ行進した。呼びかけたのはルイ・ブランで、体制から労働者と社会主義者の排除が進められつつあったことに抗議するものだった。既にルイ・ブランは「労働者のための委員会」をつくり、労働時間を10時間に制限するなど、臨時政府の中で一定の成果を挙げていた。彼はこの委員会に現場の労働者や社会主義の思想家を参加さ
二月革命とフェミニズムー性から読む「近代世界史」⑮
二月革命の前後、「青鞜」という言葉が盛んに用いられ始めた。これは英語Blue stockingsの訳語であるが、以前にも少し触れたように、18世紀半ばの英国に実在した「ブルー・ストッキングス」という名の女性主催のサロンがその元である。彼女らはそれまで男性の領域とされていた学問や文芸を志したのだが、ここから意味が転じて、文筆活動に励んで新聞に投稿したり、政治改革を訴えたりする女性を「高飛車で常識
もっとみるマルクスとフェミニズムー性から読む「近代世界史」⑬
・ヘーゲル左派、マルクス、唯物論
ナポレオン帝国という敵を得て、ドイツにいた人々は一つの民族として一体であるという信念を育てた。その潮流は政治や軍事だけでなく、音楽家シューベルトの歌曲やグリム兄弟の童話といった芸術、文学にまで及び(ロマン主義)、ドイツ人としての文化と歴史とが遡及的に形作られていった。そのような思潮の下に生きたフィヒテやヘーゲルの哲学も、政府の支持を受けてナショナリズムの形成に
ドイツ観念論とフェミニズムー性から読む「近代世界史」⑫
・プロイセン、民族と国民国家、軍隊と「男らしさ」
ここまでは、英仏を軸として性とフェミニズムの歴史について語ってきた。資本主義と三つの革命が後世に与えた影響のゆえ、19世紀初頭までの近代の主役は、それらを担ったこの両国だと言っても過言ではないからである。しかしナポレオン帝国以降、いわゆる国民国家Nation-stateの成立によって、無数の地域が覇権をめぐり台頭してくることになる。その流れを代
七月革命とフェミニズムー性から読む「近代世界史」⑩
・七月革命、サン=シモン主義、「自由女性」
ナポレオン帝国の崩壊後、フランスでは王政復古が唱えられ、貴族を中心とした旧体制が返り咲こうとしていた。1824年に即位したシャルル10世はそうした反動的な政策をさらに進め、不作も重なったことで人々は不満を募らせてゆく。高まる民衆の抗議の声に対し、王は出版の自由を奪い、議会を無視することで応じた。これにより、シャルル10世は益々力をつけつつあった資本家
文学と哲学とフェミニズムー性から読む「近代世界史」⑦
18世紀末に始まったフランス革命は、植民地の動乱やナポレオン時代まで含めて考えれば、ヨーロッパどころか西洋世界の総体を巻き込んでその後の歴史に決定的な影響をもたらした。この一連の革命は、裕福な市民層の主導した名誉革命とも、白人男性が中心にいた独立革命とも異なり、身分、性別、人種、貧富貴賤の違いを問わず、ありとあらゆる階層の人々が参加したものであった。社会学者のウォーラーステインはこれを「イデオロ
もっとみるナポレオンとフェミニズムー性から読む「近代世界史」⑥
・ナポレオン帝国、スタール夫人、ハイチ革命
終わらない混沌の中で、一人の軍人が注目を集めた。ナポレオン=ボナパルトである。対外戦争、内乱の鎮圧において目覚ましい成果を上げた彼は、瞬く間に民衆の人気をさらい、1799年にはクーデターにより統領政府を樹立するまでに至る。ナポレオンは「従う女性」をモラルとした。彼が夫を亡くしたグルシー(コンドルセ夫人)と対面したとき、こう言ったとされる。「私は女たち
フランス革命とフェミニズムー性から読む「近代世界史」③
第二章 フランス革命、共和制、ナポレオン帝国ー1673~1815
・アカデミー、「コギト」、忘れられた思想家
名誉革命より少し前の1673年、フランスで『両性平等論』という本が出版された。著者はパリの学生プーラン・ド・ラ・バールFrançois Poullain de la Barre。神学や哲学を研究していたプーランが20代で書きあげたとされるこの本は、真に革命的というにふさわしい内容であ