ジュディ百瀬

歩き出す前にポリオにかかり歩いたことのない母親のこと、その母を支えてきた父のこと、そし…

ジュディ百瀬

歩き出す前にポリオにかかり歩いたことのない母親のこと、その母を支えてきた父のこと、そして私自身がうつ時代に感じたこと、英語にまつわる仕事のことなど、思いつくままに綴ります。

記事一覧

超凡人

今朝、ぶち切れて、モノに当たり散らした。 家人は、私の話には主語がないから分からんと言うので、この頃は特に主語から話し始めるように心がけている。今朝もそれを気に…

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老いる両親

昨日今日と、帰省していました。昨夜は母が、夜用のおむつをした後に大がしたい~ってなって。私がお風呂から上がって、さぁ2階で仕事しよか~って思ってたとこで…。 母…

ジュディ百瀬
3週間前
6

最近のヨロコビ英語編

やっと記事を書く気持ちの余裕が出ました。 豪雪に見舞われた日から、もうどのくらい経ったのかな…。 普段の翻訳仕事のほかに、高2生の英語レッスンを夏から、大人サン…

ジュディ百瀬
3か月前
5

あまりにも忙しく、そして体は正直で、ちょっとしたことでぎっくり腰に💧明後日は大きな雪マークが付いたりしてて、それにも備えて休養が必要のようです😅

ジュディ百瀬
3か月前
4

物事には必ず2面性があり、自分がやりたいこと/楽しいと思えることでも、片方だけの感情を持ち続けることはないでしょう。人生には必ず、楽あれば苦あり。そして、すべてに感謝できるようになるまで、ただ自分の思う道を生きていくのみ。🥹

ジュディ百瀬
4か月前
4

3交代勤務が日勤に

家人の労働パターンが変わり、無我夢中で1か月が経過した週末、2人とも同時にダウン。この間に、それぞれの実家へ帰省しなければならなかった日々もあって、こんな年齢に…

ジュディ百瀬
5か月前
5

すさむ心、緩む。

ここのところなかなか身動き取れず、今日は久々の民生児童委員のお役目。 地域の小学校が創設150周年で(明治政府からのお達しの翌年に建ったので、150年というのは全国ど…

ジュディ百瀬
6か月前
3

激動の10月(前回の記事の続編)

父の脳梗塞の前に、家人の転勤が決まっていて、それを実家にいつ言おうかと考えあぐねていた。転勤先は宮津、ここから車で1時間。冬場は積雪がありもっとかかるため、家人…

ジュディ百瀬
6か月前
4

過日父が脳梗塞寸前で救急搬送され、2~3週間の入院が必要となった。父不在の間の母が過ごせるショートステイ先がすごいタイミングで見つかった。父は後遺症なし、母も今月中は安全に過ごせ、ひとまず私はたまった仕事をこなす。しばらく行ったり来たりもあり、気は抜けない。

ジュディ百瀬
6か月前
4

Quoraからのリクエストに答えて。

人生で、まれにしかない「なんだ、これは!?」という奇妙な情報を得て、試してみたら当たりだった経験は何ですか? というリクエストがきましたので、書いてみました。 …

ジュディ百瀬
7か月前
5

激務を経験して良かったなと思えたことを教えて頂けますか?

Quoraというところで、リクエストをいただきました。以下はそれに対する回答です。久々に文章を書いたので、こちらへもシェアしようと思います。 どのような状態が激務と…

ジュディ百瀬
7か月前
5

昨日母が撮って送ってくれた、京都の有名な枝垂れ桜です。
うつの時代は、満開の桜を見るのがつらかったです。自分にはここにあふれる活気も美しさも明るさもなかったからです。お花見に連れて行かれるの、本当につらかった💧

6

英語のオシゴト。

うつ時代にネットでクラウドソーシングに登録し、それからずっと在宅で英語に関係する仕事をもらっています。 かれこれ6年くらい経つのかな…。 振り返ると、多種多様な仕…

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いざる肢体不自由者。

画像は実家の改修直前の様子。 この時は、母は特養に居て、私と父で断捨離を始めた頃でした。 日本の古い家屋で暮らしている肢体不自由者は、 床をいざりながら移動します…

8

1月25日、91歳。

25日に91歳になる母を祝いました❗ いろいろと不自由なことが増えているのですが、 父が献身的に介護してくれて、 本当にありがたいです。 私も月に2回だけど、 微力ながら…

7

新しい年に。

私の母は赤ん坊の時に両下肢マヒになって、生涯歩いた経験がありません。 母は中国で生まれ、戦争が激しくなったので、日本に船で引き上げてきたのだけど、前後に出た船は…

9
超凡人

超凡人

今朝、ぶち切れて、モノに当たり散らした。

家人は、私の話には主語がないから分からんと言うので、この頃は特に主語から話し始めるように心がけている。今朝もそれを気にしながら話し始めたのに、分からん、と言われ、もう1回初めから話し始めたけれど、もう聞きたくないとそっぽを向かれた。

私が所属するグループLINEからの話だった。実はそのグループの人たちは、私からすると素っ気なく、気が合うなぁと思える人が

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老いる両親

老いる両親

昨日今日と、帰省していました。昨夜は母が、夜用のおむつをした後に大がしたい~ってなって。私がお風呂から上がって、さぁ2階で仕事しよか~って思ってたとこで…。

母は体の事情で、ポータブルトイレに座っても、前へ両足を投げ出すような形になるので、なかなかすんなりとは事が終わらない(気張れない)ので、時間がかかります。
事後、おむつを当て直しました。夜用のはテープでぴったり固定するタイプなので、自力では

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最近のヨロコビ英語編

最近のヨロコビ英語編

やっと記事を書く気持ちの余裕が出ました。

豪雪に見舞われた日から、もうどのくらい経ったのかな…。

普段の翻訳仕事のほかに、高2生の英語レッスンを夏から、大人サンの英語やり直しレッスンを秋から始めています。どちらも格安ですよ~www

オンラインは実際にお会いしないとはいえ、やはり緊張感があります。それぞれ1時間ですが、自分が如何にリラックスしながら出来るかというのもポイントです。以前にもオンラ

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あまりにも忙しく、そして体は正直で、ちょっとしたことでぎっくり腰に💧明後日は大きな雪マークが付いたりしてて、それにも備えて休養が必要のようです😅

物事には必ず2面性があり、自分がやりたいこと/楽しいと思えることでも、片方だけの感情を持ち続けることはないでしょう。人生には必ず、楽あれば苦あり。そして、すべてに感謝できるようになるまで、ただ自分の思う道を生きていくのみ。🥹

3交代勤務が日勤に

3交代勤務が日勤に

家人の労働パターンが変わり、無我夢中で1か月が経過した週末、2人とも同時にダウン。この間に、それぞれの実家へ帰省しなければならなかった日々もあって、こんな年齢になってからの生活パターンの激変は、想像した以上に負担が大きいです。平日9時ー5時(プラス残業)の労働スタイルで来ておられる方はそれが通常なのでしょうけど…私たちにとっては難題です。家人からはとりあえず、しんどい~という言葉が増え、目に見えて

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すさむ心、緩む。

すさむ心、緩む。

ここのところなかなか身動き取れず、今日は久々の民生児童委員のお役目。

地域の小学校が創設150周年で(明治政府からのお達しの翌年に建ったので、150年というのは全国どこでも最古らしい)、その記念イベントとして、全学年がそれぞれのパフォーマンスをしてくれた。声が小さくて聞こえないということは時々あったけれど、どれもなかなか楽しい舞台だった。先生方は大変だったに違いないw

最近は小学校登校に同行出

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激動の10月(前回の記事の続編)

激動の10月(前回の記事の続編)

父の脳梗塞の前に、家人の転勤が決まっていて、それを実家にいつ言おうかと考えあぐねていた。転勤先は宮津、ここから車で1時間。冬場は積雪がありもっとかかるため、家人は少々つらい。

しかしもっとつらいのは、何と、何十年と続いていた3交代勤務から一転、毎日勤に変わったこと~~~💧

これは、わが家にとっては一大事。お互いの負担を軽減するため、両親の通院付き添いのための帰省は特に、家人が勤務している日に

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過日父が脳梗塞寸前で救急搬送され、2~3週間の入院が必要となった。父不在の間の母が過ごせるショートステイ先がすごいタイミングで見つかった。父は後遺症なし、母も今月中は安全に過ごせ、ひとまず私はたまった仕事をこなす。しばらく行ったり来たりもあり、気は抜けない。

Quoraからのリクエストに答えて。

Quoraからのリクエストに答えて。

人生で、まれにしかない「なんだ、これは!?」という奇妙な情報を得て、試してみたら当たりだった経験は何ですか?

というリクエストがきましたので、書いてみました。

奇妙の度合いは低いかもしれませんが…。小さい頃、母の持ち物のイラスト・カット集に描かれている絵を写すのが好きでした。4歳の時、いつもと同様に絵だと思って写していたら、母が「それは絵じゃなくて、花文字といって英語の文字。」と教えてくれまし

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激務を経験して良かったなと思えたことを教えて頂けますか?

激務を経験して良かったなと思えたことを教えて頂けますか?

Quoraというところで、リクエストをいただきました。以下はそれに対する回答です。久々に文章を書いたので、こちらへもシェアしようと思います。

どのような状態が激務というのかは分からないのですが、私がその言葉を目にして思い出したのは、大卒で入社した貿易会社での2年目の、2週間の出張です。

オランダとカナダから来た3人のおじ様方を講師としたセミナーを福岡・大阪・東京・仙台で行うため、私はツアコン?

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昨日母が撮って送ってくれた、京都の有名な枝垂れ桜です。
うつの時代は、満開の桜を見るのがつらかったです。自分にはここにあふれる活気も美しさも明るさもなかったからです。お花見に連れて行かれるの、本当につらかった💧

英語のオシゴト。

英語のオシゴト。

うつ時代にネットでクラウドソーシングに登録し、それからずっと在宅で英語に関係する仕事をもらっています。
かれこれ6年くらい経つのかな…。
振り返ると、多種多様な仕事に巡り合わせてもらいました。
ここ最近、掛軸をただのジャパニーズアンティークとして買うのではなく、書かれた文字の意味を知りたいという人が出てきているようです。
この英訳が、なっかなか手ごわい。
例えばこれ:「海老食らう(海老を食べて)腰

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いざる肢体不自由者。

いざる肢体不自由者。

画像は実家の改修直前の様子。
この時は、母は特養に居て、私と父で断捨離を始めた頃でした。
日本の古い家屋で暮らしている肢体不自由者は、
床をいざりながら移動します。
母は中国生まれで、赤ん坊~10歳まで現地でも
いざりながら過ごしていたので、
約90年の間、手腕が完全に脚の代わりをつとめて、それらも機能不全の状態です。
手先が器用で、多趣味だった母。
余生は編み物くらいしたかったと言っていて、

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1月25日、91歳。

1月25日、91歳。

25日に91歳になる母を祝いました❗
いろいろと不自由なことが増えているのですが、
父が献身的に介護してくれて、
本当にありがたいです。
私も月に2回だけど、
微力ながらサポートするので、
出来るだけ長く
2人ともこの世に居てください♥️

新しい年に。

新しい年に。

私の母は赤ん坊の時に両下肢マヒになって、生涯歩いた経験がありません。
母は中国で生まれ、戦争が激しくなったので、日本に船で引き上げてきたのだけど、前後に出た船は沈んでしまったらしいです。
当時はまだまだ体が不自由な人に対する理解はされていない時代だったのだけど、8歳も年下の男性がプロポーズして結婚しました。
最初に身ごもった子供は、産婦人科の医師から反対されておろしたそうです。当時は母のような人間

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