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日本近代文学

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#推薦図書

vol.81 遠藤周作「深い河」を読んで

vol.81 遠藤周作「深い河」を読んで

宗教とは何か。僕は今まで宗教についてしっかり学んだことがない。知識としては知りたいと思うが、目に見えないものを信仰する覚悟のようなものがないので、遠ざけてきた。そこに少し卑下する自分を感じる時がある。

だからなのか、この小説を深く知りたいと思い、「『深い河』創作日記」も合わせて読んだ。

そこには、「宗教とは思想ではなく無意識である」と書かれていた。「生きていると『目に見えない力』を感じる時があ

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vol.79 三島由紀夫「潮騒」を読んで

vol.79 三島由紀夫「潮騒」を読んで

僕が住んでいる豊橋は、渥美半島の付け根に位置する。その先端に、伊良湖と鳥羽を結ぶフェリーがある。このフェリーは小説の舞台になった神島のすぐ横を通る。鳥羽に向かうフェリーのデッキから『潮騒』の神島をずっと眺めていたことがある。深く濃い伊勢湾に浮かぶ風光明媚な神島はどこか神秘的で、テトラポットに当たって砕ける白波から、他を寄せ付けない頑固さを感じた覚えがある。

この『潮騒』で描かれた歌島(現神島)の

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vol.78 古井由吉「辻」を読んで

vol.78 古井由吉「辻」を読んで

先日、「古井由吉氏 死去」の朝日記事を読んだ。

そこに、「決まり文句や時流の新語に頼らず、自分で考え抜いた言葉で思考をつむぐことの大切さを教えてくれた。」と紹介されていた。

古井由吉氏の文章を読みたくなった。

図書館に追悼企画が設けられており、『辻』を借りて読んだ。

把握しきれない語彙を検索し、いくらか戻って読み返し、広がる風景に自分なりの実体験を重ねながら読んだ。一方で、やっぱりわからな

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vol.77 泉鏡花「高野聖」を読んで

vol.77 泉鏡花「高野聖」を読んで

泉鏡花、耽美的で艶やかなこの名前、ずっと前から気になっていた。初めての「高野聖」、独特な文体に馴染めず、投げ出しそうになった。

YouTubeに佐藤慶さんの素晴らしい朗読音声があったので、それに手伝ってもらいながら文章を追った。

どこまでが過去の話でどこからが現在なのか、迷いながらも、流暢な文体と、体言止めのリズム感の良さに引っ張られた。なんだか神秘的で奥深い芸術作品に触れた気がした。

この

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vol.76 坂口安吾「白痴」を読んで

vol.76 坂口安吾「白痴」を読んで

短編ということもあり、ウイスキーを飲みながら気軽にこの「白痴」を読みだした。しかし、書き出しでただならぬ気迫を感じ、すぐにその背徳的な下町の生態に引きずられた。

冒頭、人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいる町内の人々の、ひどく荒んだ生活から始まった。戦争以前からふしだらだった。「白痴」の女はその町で静かに暮らしていた。

主人公の伊沢は、新聞記者のあと映画の演出家を目指していたが、その日常は空虚なも

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vol.74 夏目漱石「私の個人主義」を読んで

vol.74 夏目漱石「私の個人主義」を読んで

これは、1914年(大正3年)11月25日、学習院での講演録。

明日は、漱石の誕生日。また偏屈な漱石に触れたくなった。久しぶりにこの講演録を読み返した。今度は、YouTubeに素晴らしい音声朗読もあったので、ジョギングしながらそれも聞いた。

この時代、講演の4ヶ月前に第一次世界大戦が勃発している。またこの年に連載された『こころ』で乃木希典のことが書かれている。そして乃木は1912年まで学習院の

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vol.71 中上健次「十九歳の地図」を読んで

vol.71 中上健次「十九歳の地図」を読んで

今日は成人の日、晴れやかな二十歳の映える姿があった。スマホをかざし、グループどおし仲良くピースしていた。

1973年、当然同世代の「ぼく」がいた。この作品は、狭い共同体の中で、十九歳の「ぼく」の行き場のない焦燥と、稚拙に鬱屈した様がただただ描かれていた。

主人公は、十九歳の「ぼく」吉岡。予備校生の住み込み新聞配達員。ノートに地図を書き、配達先の気に入らない家にX印を記し、配達台帳から電話番号を

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vol.69 志賀直哉「城の崎にて」を読んで

vol.69 志賀直哉「城の崎にて」を読んで

偶然にも命拾いした自分と、偶然にも石が当たって死んでしまったイモリがいた。死んで雨に流された蜂や、魚串が貫通しながらも、必死で生き延びようとするねずみもいた。「死ぬことってどういうことだろう?」と考えさせられる小説だった。

「山の手線の電車に跳ね飛ばされてけがをした」志賀直哉が、小さな生き物の死に触れ、一歩間違えば、自分もあのように死んでいたという体験をもとに、生と死について感じるままを淡々と語

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vol.68 夏目漱石「硝子戸の中」

vol.68 夏目漱石「硝子戸の中」

明日は12月9日、漱石103回目の命日。偲んで最後の随筆「硝子戸の中」を再読した。

この作品は、朝日新聞の連作エッセイ(大正4年1月13日から同年2月23日まで連載)で、風邪をこじらせ、板敷き8畳の硝子戸の中で、座ったり寝たりしてその日その日を送りながら執筆したもの。この時、心持ちも悪く読書もしない。外に出ることもない。縁側越しに、庭の狭い景色を見ながら、過去の出来事を振り返ったり、来客を迎えた

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vol.65 小林多喜二「蟹工船」を読んで

vol.65 小林多喜二「蟹工船」を読んで

プロレタリア文学を代表する傑作との紹介がある。1929年の発表、同年発禁。舞台は、オホーツク海でカニ漁をする「蟹工船」という缶詰加工設備を備えた漁船。そこには「雑夫」と呼ばれる海上労働者たちがいた。彼らは、劣悪で過酷な労働に縛られ、常に死と隣り合わせの状況で、会社の「搾取」にも苦しんでいた。その現状を訴えるリポルタージュ的な作品だった。

この小説に主人公はいない。様々な事情を抱えた労働者がいる。

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vol.64 川端康成「伊豆の踊子」を読んで

vol.64 川端康成「伊豆の踊子」を読んで

精神が気になっている二十歳の学生に自分を重ねて、小説の中に入っていった。時代は100年前、卑しい身分と蔑まれた旅芸人と、「孤児根性」という言葉を持った学生が、優しく触れ合っていた。

出会った旅芸人一家に、まっすぐだけど柔らかくて、切ないけれど明るくて、死の匂いもするけど、世間とは相容れない割り切りを感じた。

踊子と別れてからの学生の涙は、どういった涙なのだろうか。

この小説は、実際に川端自身

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vol.63 永井荷風「濹東綺譚」を読んで

vol.63 永井荷風「濹東綺譚」を読んで

ぼくとうきだん。漢字の多い文章から当時の情緒を感じようと、ふりがなに目をこらしながら読んだ。この作品をどう楽しむのか、少し迷う。集大成的な名作と言われるこの作品、荷風の描く古き良き情緒に思いを重ねてみようと思った。

ストーリーは特にない。60近い小説家の男と24、5の娼婦とのウェットな関係を情味を持って描き写した随筆的小説だった。

玉の井(現東京都墨田区)という遊郭地帯に、闇営業的な個人風俗店

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vol.62 又吉直樹「人間」を読んで

vol.62 又吉直樹「人間」を読んで

又吉さんから伝わる空気感みたいなものが好きだ。又吉さんが感覚を言語化するときに選んだ言葉は、とても心地よい。もう何年も前から僕の中でこの気持ちは続いている。だから彼の描く小説にも自然と興味が湧く。

しかし、100年前の小説ばかり読んでいる僕にとって又吉さんの小説は、読み終わったらそのまま流れてしまう感覚がある。作者をあまりにも身近に感じているからなのかもしれない。小説の中にリアルな又吉さんを探し

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vol.60 太宰治「女生徒」を読んで

vol.60 太宰治「女生徒」を読んで

日記を盗み読みしている気分で、ドキドキした。ちょっとしたことで、腹を立てたり喜んだり意地悪だったり・・・。息苦しかった思春期が思い出された。

女生徒の、朝起きてから夜寝るまでの、思ったこと、感じたこと、考えたことが、リズムよく刻まれていた。自分の意識の流れをポンポンと跳ねるようにつぶやいていた。心地のよい文章だった。

短編なので、続けてもう一回読んだ。

今度は、大人になっても忘れてはいけない

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