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人類が少し進化する記事

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#コラム

まず屈服する。そこから全てが始まる話。 #教養のエチュード賞

まず屈服する。そこから全てが始まる話。 #教養のエチュード賞

私は、理想と現実の区別がつけられない人間だった。架空の理想の自分像を、本当の力を発揮した自分と思いたがる性分をやめられなかった。

まだ本気出してないだけ本気出せる環境にいないだけ。もっと出来るはず。認められるはず。もっと強く、もっと深く、もっと魅力的な人間であるはずなのに。いつまでたってもそうなっていないのに、諦めきれない、どうしようもない大人だった。

社会的に認められたかった。大きな影響力が

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次へいくサイン。

次へいくサイン。

この間、女友達と語り合ってたんだドグけど「次へいくサイン」ってあるドグよね。(*´Д`)人生が始まってまだ20数年だとわからないんだけど、30年近くなってくると薄々感づいてきて、40年も生きるとその人なりの「これがこう来て、こうなったら次にいくサイン!」ってのができると思うんだドグ。

ドグ子の場合は、会社を辞める時も東京で所属していた舞踏集団を辞める時も、

「立て続けに悪いことが起こって、次に

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私って、ほんとうに空っぽなのだろうか

私って、ほんとうに空っぽなのだろうか

noteで才能の塊がもがいていたり、漂っていたりする姿を見るたびに心が痛む。「おかしいだろう」という叫びが蘇る。これは、その人の才能と現実の処遇の差への叫びであり、私の中にずっと潜んでいる叫びでもあるようだ。

「いつか思い切りやりたいことをやってやるんだ」その無邪気な気持ちは鎖でがんじがらめにされていて、結局いつだって、なんとなくやりたいことをやっている風の世界に引き戻されてしまう私がいる。

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真実への探究心さえ、ぼくに機能不全を促す

真実への探究心さえ、ぼくに機能不全を促す

 「ほんとうのことを知りたい」と、いつしか思うようになっていた。その願いというか祈りはほとんど偏執狂みたいに10代半ばからのぼくの思考と行動の多くを支配する鉱脈となり、今でもその根元にこびり付いた化石のように存在し続けている。

 真実とは大きく2つの方向性を与える。つまり、自己に関する真実と世界に関する真実だ。どこまでが自己で、どこまでは世界なのか、そういう可分な二項なのかどうかは、特に10代の

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うぬうぬと生きる。

うぬうぬと生きる。

うぬうぬと生きる。

5年前のことですが、夫が謎の腹痛によって1週間ほどの検査入院を
したのですが。その間、入院中の夫に「オレンジページ」と
「レタスクラブ」を買い与え、きっと暇であろうから
手塚治虫の「ブッダ」全巻をお見舞いに持って行ったところ、
夫は手塚治虫全巻を読み終えてこう言ったのでした。

「手塚治虫のブッダは貧しくても我慢して生きれば死ぬときは貧乏人は幸せで
金持ちは不幸になるみたいな

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流されてはいけない言葉。

流されてはいけない言葉。

私は中学生の頃、なぜかクラス委員長的な立場にさせられることが幾度かあった。それは私に責任感があるとか、リーダーシップがあるという理由からではない。(どちらかというと私はまったくその逆だ。)

たぶん、それは私が”まじめ”だからという点と、指名しても、あいつは決して逆らわないという私の性格を知った上でのことで、だから面倒な役はあいつにでもさせとけ、みたいな感じだった。

そんなこんなで、そのとき私は

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自分を超えて、あらたな自分を語ること@傾聴

傾聴の本質とは、ということをマジで考えさせられたnoteに出会った。
なんと言っても圧巻な結論である。
(話し手は)自分自身知らなかった「自分の物語」を語り始める、、、のである。
noteのテキストでは「語り始めることになるかもしれない」とあるが、実際に傾聴のなかでそれに近いかもしれないという感触を経験したこともあるのだ。まだまだな傾聴者ゆえに確信とは言えないのだけどね。
自分の知らない「自分の物

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”どうせ、ダメ” の呪縛 ~超ネガティブ思考~  【前編】

”どうせ、ダメ” の呪縛 ~超ネガティブ思考~  【前編】

母が徹底的におれに仕込んだ教えが、「どうせ、ダメ」だ。

本当にこれには参るぜ、全く。

いつまでも人生を狂わせ続ける、超ネガティブ思考。

おれはそれが「正しい事である」と、勘違いして育ってしまった。

それが間違いだと気付いて愕然としたのは、高3の頃だった。

当時、部活で、

”スポーツには精神のコントロールが必要だ”、という話が持ち上がり、

メンタル・コントロールを日常的に訓練するよう、

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飛び降り in the Summer   ~バンジーとスカイダイビング~

飛び降り in the Summer   ~バンジーとスカイダイビング~

その夏、おれは飛び降りたくて仕方が無かった。

落下したい…!

高い所から低い所へ、重力に引っ張られたい…!

…バンジージャンプと、スカイダイビングをやる事にした。

25歳の夏だった。

なぜそんな欲求に駆られたのか、解らない。

おれは気分屋なので、よくある事だ。

まず、バンジー。

東京・お台場のショッピングモールで、

無料でできるイベントが開催される事を知り、速攻で予約。

数少な

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そのニュースは必要?

ニュースキャスターの、「久しぶりにいいニュースが飛び込んできましたね」と言う常套句。「いいことなんてニュースにならないって思ってるだろ!」とツッコミたくなる。そもそもニュースを伝える側の人の感覚って、ニュースとは悪いものでなければならない、という意識が強すぎるんじゃなかろうか?

SNSツールが発達して、日常のささいな行動や言動が可視化できるようになった。そのおかげかどうか、いまでは電車で席を譲ら

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ピエール瀧は ”悪人” なのか…?

ピエール瀧は ”悪人” なのか…?

TVのニュースを観ていて、違和感を感じた。

街行く人に、「今回の逮捕を聞いてどう思うか?」という質問を投げると、「そんな人だと思わなかったから、ショック」というような回答…

この意味を考えてみると、

1、「法を犯して逮捕されるような人だから、ショック」

2、「薬物をやっていた人だから、ショック」

…2だろうな、と感じる。
例えば、”誤って車で人を轢いてしまい逮捕された” というような場合

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来た道を戻らない、同じ道を通らない

来た道を戻らない、同じ道を通らない

昔からずっと無意識にやっている習慣というか、マイルールがひとつあることに気づいた。

それは、「何がなんでも来た道を戻らない、同じ道も通らない」ということ。物理的な意味で、本当の「道」の話。

知らない街をぶらぶらと歩いているとき。

そろそろ駅や宿泊先に戻ろう、と思ったとき、クルッと振り返ってそのままの道を戻っていく人は多いと思う。そのほうが確実だし、何も考えなくても安全に帰れる。きっとそれが、

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「人と自分を比べてもいい」と言われて考えてしまった…

人と自分を比べてもいい
というnoteを読んで、はたと考えこんでしまった。
表題の言葉は「他者と自分を比べなくてもいいよ」という「他者と自分を比べる」で追い込まれたメンタリティに対して愛に満ちた救済的な言葉がまたしても強迫観念をおび、そこから逃避するために、自己に根付いた「他者と比べる」に戻るという一周回った言葉のような気がする、笑。
なんとなく堂々巡りっぽい気がしなくもない。
そもそも人は「他者

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僕達の連動

僕達の連動

noteはアンテナの感度が高い人が多くて、私のフォロイーは特に抜群で、不思議なことが良く起こる。

書いてはいないけれど、相当起こる。

年の切り替わりにトクベツを感じるほどの余裕もしくは純粋さをそこそこ喪失しているつもりだったけれど、広義な転換を強く感じた。

そしてそれは、年明け二週間に三度高熱を出した私だけのものではなかった。同じように感じている投稿をいくつも見かけたし、今も見かける。

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