みゆ

伊勢物語の研究をしています。 高校と大学で非常勤講師をしています。

みゆ

伊勢物語の研究をしています。 高校と大学で非常勤講師をしています。

マガジン

  • 教職志望の方へ

     教職志望の方のために、教育実習の頃から順に、予備知識として知っておくとよいだろうと思うことを書きました。またnoteでスキを付けた他の方の教育関連記事も追加しています。  教職歴30年以上(うち大阪府立高校教諭歴24年)です。大学の非常勤講師になったのをきっかけに大阪府を退職し、今は大学と私立高校の非常勤講師をしています。  

  • 変人と呼ばれて

     変な人、とか変人と呼ばれてきました。私自身は普通と思っているのですが、確かにいろいろやらかしたり、それは言ってはいけないと指摘されたりします。また、運動が不得意で、不思議な過敏症やアレルギーで大変でした。歳がいくにつれ、普通になってきたつもり、の経験を述べています。

  • 研究と調査関連のお勧め

    note巡りをして、研究や調査をするときの関連で、あれをもう一度読みたい、と思ったものを集めました。自分にも他の方にも役立つ……かもしれません。

  • 高校生の皆さんへ

    「教職志望の方へ」を作った時に、高校生とその保護者向けのマガジンを作ろうと思って書き始めました。またnote巡りをして、これは納得❗️と思った他の方の記事も載せています。

  • 学校「情報」関連のお薦め記事

     学校のICT教育や「情報」の授業や学校のパソコン環境について、述べておられる記事を集めました。  気になった記事をとりあえず集めて、自分が後で読みたいから、マガジン編集したとも言えるかも。

記事一覧

論理国語

久しぶりに現代文というか論理国語を教えて、目を白黒。 論説文は嫌いではないが、国語で哲学を教えるというのはどうなの?と思う。専門家がいるはずなんだから、社会科で…

みゆ
13日前
6

山と海の向こう

 先日の質問で「先生、いつ死ぬの?」の続きがあって、「死ぬの、怖くないの?」と言われた。    今は体調が悪いので、微妙なんだけれど、その時はまあまあだったので、…

みゆ
3か月前
9

落ちた後の思い出

 中学入試の後は、落ちてから中学入学までかなり時間があったような気がする。  それまでは勉強だけしていれば良かったが(店の手伝いは別枠)、父の方針で家事を手伝う…

みゆ
3か月前
9

中学受験の思い出

 昨年度から昨年初秋にかけて、家庭教師をして、うち2人が中学受験だったのだけれど、やっぱり中学受験って過酷だ、でも必要悪かもしれない、と思った。  私自身、大阪…

みゆ
3か月前
18
+11

大阪城梅林

みゆ
3か月前
4

良いモノを見つけた!

   散らかし屋さんの救世主なるか⁉️  学校で教えていたら、ただでさえ、紙と書類(必ずしも紙=書類とは限らない)が溢れかえるのに、研究もしているから、資料が溢…

みゆ
3か月前
4

春先にすること

 大体、冬は冬眠のクマのようになり、お菓子は食べまくる、居眠りしまくる、寝坊する、さらにはマンガやアニメに歴史資料に、四六時中、半分眠りながら浸っているのですが…

みゆ
3か月前
7

お気に入り

よく最近 昔の教え子で好きだった子のことを 尋ねられるんだけれど 女子は上書きする、ってあれはホント イメージがどんどん上書きされていく感じ ただ、一生懸命で、一…

みゆ
3か月前
3

田中登先生の思い出

 田中登先生は、長く関西大学で教鞭を取っていらっしゃった、和歌文学と古筆の専門家でした。  私なんかが語らなくても、お弟子さんもたくさんいらっしゃると思いますが…

みゆ
3か月前
8

大学の選択

 前回書いたように、大学を選んだのは、共通一次と二次試験からの消去法だった。  その結果、どうなったか、という話は後から来る人のために、しておいた方がいいかもし…

みゆ
3か月前
4

共通一次の思い出

 共通一次がセンター試験になり、さらに共通テストになった。今となっては、国語の問題が平安時代ならば、問題作成者は、中古文学会や和歌文学会で知っているあの先生かも…

みゆ
3か月前
5

春と父の思い出

 √ 梅は咲いたか、桜はまだかいな♪チョイなチョイな  父は昔、春になると唄っていた。  端唄や長唄を習っていたと言っていた。いつのことかは分からない。母と結婚…

みゆ
3か月前
9

成人式と振袖の話が、いくら考えても年齢が合わない(相変わらず数字が合わない)ので、とりあえず削除しました。

みゆ
4か月前
2

実家の商売の思い出

 写真は黒電話だが、実家の店の電話は、長い間ピンク色だった。最初、黒電話だったが「電話を貸してくれ」と言ってくる人がよくいて横に10円玉が積まれていた。たまに払わ…

みゆ
4か月前
10

月を売った男

 ロバート・A・ハインラインの作品の中では、同じ「月」なら、『月は無慈悲な夜の女王』の方が有名で、それはそれで今のAIの時代を先取りしていて興味深いのですが、この…

みゆ
4か月前
4

地震の記憶と高校

 昨日地震があって、震源から遠い大阪でも何度か少し揺れ、今日も報道に落ち着かない気分でいます。今後どうなるのでしょうか。  阪神淡路大震災(1995.1.17.5:46)の記…

みゆ
4か月前
9
論理国語

論理国語

久しぶりに現代文というか論理国語を教えて、目を白黒。
論説文は嫌いではないが、国語で哲学を教えるというのはどうなの?と思う。専門家がいるはずなんだから、社会科でやってほしい。
ハンナ・アーレントの名前は知っていたけれど、なんとなくだったし、
アリストテレス?プラトンの方が好きだ。
哲学事典を買ったけれども、出典が書いてあるだけなので、
結局、新書か文庫をまた探しに行かなければならない。

論説文を

もっとみる
山と海の向こう

山と海の向こう

 先日の質問で「先生、いつ死ぬの?」の続きがあって、「死ぬの、怖くないの?」と言われた。
 
 今は体調が悪いので、微妙なんだけれど、その時はまあまあだったので、こう言った。

 「かなり前に手術をして、麻酔から醒めるときに、花畑を見てから、怖くなくなったわ。小学校・中学・高校・大学、オールスターキャストって感じで花畑の中で友だちと遊んでいて、いいところなのに、何度も呼ばれて、嫌々返事して、目を開

もっとみる
落ちた後の思い出

落ちた後の思い出

 中学入試の後は、落ちてから中学入学までかなり時間があったような気がする。

 それまでは勉強だけしていれば良かったが(店の手伝いは別枠)、父の方針で家事を手伝うようになった。

 料理はメインではしなかった(私が本など見て作ると、費用がかかりすぎると叱られた覚えがある)が、食器や鍋の洗い物か、または食器や鍋を拭いて仕舞った。母と洗い物と拭きものを交互に毎日したし、お米を洗ってしかけるのは私の仕事

もっとみる
中学受験の思い出

中学受験の思い出

 昨年度から昨年初秋にかけて、家庭教師をして、うち2人が中学受験だったのだけれど、やっぱり中学受験って過酷だ、でも必要悪かもしれない、と思った。

 私自身、大阪教育大学附属平野を受けさせられ、散々な目に遭った。今、かなり年月が経って、受験する側と受けさせる側の気持ちがようやく分かったので、ちょっと書いてみたい。

 附属平野を受けたのは大昔だが、きっかけは、私はずっと塾の先生が強力に勧めたせいだ

もっとみる
良いモノを見つけた!

良いモノを見つけた!

 

 散らかし屋さんの救世主なるか⁉️

 学校で教えていたら、ただでさえ、紙と書類(必ずしも紙=書類とは限らない)が溢れかえるのに、研究もしているから、資料が溢れかえって、とんでもない状況になるのです。

 しかも、最近オンライン授業なんぞやっているので、もう一台タブレットを買うのとプリントアウトするのとどっちが良いんだろう?と悩んでいて、とりあえず紙ばかり増えています。
 紙の方がハンディで

もっとみる
春先にすること

春先にすること

 大体、冬は冬眠のクマのようになり、お菓子は食べまくる、居眠りしまくる、寝坊する、さらにはマンガやアニメに歴史資料に、四六時中、半分眠りながら浸っているのですが、春になって、そこから脱出する時、どうするか、ですね。

 天気が良くなる日に、できれば朝から、北野天満宮にお詣りがてら梅を見に行くか、大阪城公園の梅林を見に行きます。
 
 梅が咲き始めるころはまだ寒いのですが、日差しが明るく、目が覚める

もっとみる
お気に入り

お気に入り

よく最近
昔の教え子で好きだった子のことを
尋ねられるんだけれど

女子は上書きする、ってあれはホント
イメージがどんどん上書きされていく感じ

ただ、一生懸命で、一途で真っ直ぐだった
それが好きだったんだと
思うばかり

尋ねられて
どの子のことを聞かれたのか
分からないわたしは
薄情なのか
何なのか

何にせよ
一途で真っ直ぐで一生懸命なヤツは
結果を残すから
あの頃
わたしは「あげまん」とよ

もっとみる
田中登先生の思い出

田中登先生の思い出

 田中登先生は、長く関西大学で教鞭を取っていらっしゃった、和歌文学と古筆の専門家でした。

 私なんかが語らなくても、お弟子さんもたくさんいらっしゃると思いますが、前の回でお名前を挙げたこともあるので、先生の思い出を書こうと思います。

 中古文学会関西部会などで、ある時期から、片桐洋一先生や山本登朗先生、田中登先生や他の先生方がいらっしゃって、特に研究発表した後など、片桐先生のいつもの講評を拝聴

もっとみる
大学の選択

大学の選択

 前回書いたように、大学を選んだのは、共通一次と二次試験からの消去法だった。

 その結果、どうなったか、という話は後から来る人のために、しておいた方がいいかもしれない。

 英語(好きな割にはできない)と体育以外の科目は、優で通した、というか、あまり科目を取らず、必要最小限しか取らなかった。何かゆっくり本を読みたかったのだ。後悔していることといえば、司書資格を取らなかったことぐらいだ。
 現役生

もっとみる
共通一次の思い出

共通一次の思い出

 共通一次がセンター試験になり、さらに共通テストになった。今となっては、国語の問題が平安時代ならば、問題作成者は、中古文学会や和歌文学会で知っているあの先生かも知れない、と感じるようになったが、それでもなお、自分が受けた時の気持ちや点数は忘れられない。

 点数が忘れられないのは、同世代なら同じだろう。共通一次を受けたら、自己採点の点数だけで国公立二次試験を受けたし、当時はまだ前期後期などの複数受

もっとみる
春と父の思い出

春と父の思い出

 √ 梅は咲いたか、桜はまだかいな♪チョイなチョイな

 父は昔、春になると唄っていた。

 端唄や長唄を習っていたと言っていた。いつのことかは分からない。母と結婚する前だろうというのは分かっていたが、経歴から、いつ、そんな余裕があったのか、とても不思議だ。
 父の育ったのは堺東だった。車で大阪市天王寺区の南の方を走っていた時、父は言った。「この辺で生まれたんだけど、疎開で堺に移って、そこで(空襲

もっとみる

成人式と振袖の話が、いくら考えても年齢が合わない(相変わらず数字が合わない)ので、とりあえず削除しました。

実家の商売の思い出

実家の商売の思い出

 写真は黒電話だが、実家の店の電話は、長い間ピンク色だった。最初、黒電話だったが「電話を貸してくれ」と言ってくる人がよくいて横に10円玉が積まれていた。たまに払わない人もいたので、昔タバコ屋なんかに置いてあった公衆電話のように、お客がお金を入れるタイプの電話に変えていた。昭和にはスマホがなく、うちの近所に公衆電話がなかったので、長い間、需要があった。

 実家が商売を始めたのは、私が小学校に入学し

もっとみる
月を売った男

月を売った男

 ロバート・A・ハインラインの作品の中では、同じ「月」なら、『月は無慈悲な夜の女王』の方が有名で、それはそれで今のAIの時代を先取りしていて興味深いのですが、この『月を売った男』は、自分が月へ行きたくて、ありとあらゆる方法を使い、資金を集め、ロケットを作らせ、発射台を用意し、とまるで今のイーロン・マスク氏がやっているようなことをしたのです。

 しかし、「月を売った男」は、彼が優れたアイデアを次々

もっとみる
地震の記憶と高校

地震の記憶と高校

 昨日地震があって、震源から遠い大阪でも何度か少し揺れ、今日も報道に落ち着かない気分でいます。今後どうなるのでしょうか。

 阪神淡路大震災(1995.1.17.5:46)の記憶を書いた記事を先程読み返していました。

 阪神淡路大震災の時、高校では、冬休みが終わり宿題考査も終わって返却し、さあ、授業、という時期でした。センター入試はこの年、地震直前に終わっていました。ネットにはこの年の受験がどう

もっとみる