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久しぶりに書いてみようと思う気持ちになった。
久しぶりにnoteのページを開いてみた。
頭の片隅にはnoteの存在はずっとあったのだけど、手つかずでずっとほったらかしだった。
でも開いてみたら懐かしくて、何か書けるのかな、書いてみようかなと思う気持ちになったのでPCに向き合い、カタカタ文字を打ち込んでいる。
「書く」ことは心を空っぽにする作業だと思う。
何も考えずにただ思ったことや考えたことをここに打ち込む。
ここ最近、書きたいこと
書くことが自分の癒しになる。
書くことは心を癒す行為であると思う。
自分の心を整理整頓することができる。
だから私は書く。
心に浮かんだことをそのまま言葉に変えていく。
言葉にしていくことで繋がることがあるし、クリアになっていくことがある。
だから言葉にしていくことを恐れずにやっていきたいなとは思っている。
だけど、言葉にしていくことで、色んな気持ちと対面して、向き合わざるを得ないことになって、しんどさを感じること
人の為に生きることが自分の喜びにもなり、自分の中の愛が満たされることにもなるのだと思っている。
私が大好きな人たちは、愛が大きい人が多いなあと感じる。
気前の良い人が多くて、優しくて、愛が深いなあと感じる。
そういう人らを見ていると自分の器がなんとちっぽけなものかと思ってしまうことがある。
せわしく、小さな中にいて、ずるかったり、せこかったりして愛が小さいなあって思ってしまうこともある。
そんな風に考えていると、どんどん自分が暗くて寒くてつまらないところに追いやられたように感じる。
(看護師+保健師)×○○=私として仕事をしていきたいのだと思う。
現在色々と棚卸中。
自分の強みを増やしたいなと思っている。
今後の仕事の方向性をどうしようかなと考えている。
将来的に向かいたいなと思う先は、地域において何かしらの保健室のようなたまり場のような、相談所というかそんな場所を作れたらいいなと思っている。定年退職後でもいいと思っている。それくらい漠然とした未来の話。
そして、収入源は複数持っていたいなと思っている。これはもう少し前に実現していき
10月はなかなかヘビーだったな、と振り返る。
ここ最近、仕事では何かとヘビーなケースに遭遇することが多かった(諸々現在進行中)。そんなフェーズはたまにやってくる。毎日何かに追われている気がした。知らず知らずに自分が疲弊して消耗していくのがわかった。自分の中の冷静な部分では支援者側はこうやって心を蝕んでいくのだろうなと考えていた。
家に帰ればやることが山積みで、色んなことを同時進行しながら進めていった。勢いだけで毎日を乗り切った。やることがた
忘れものは自分でなんとかするしかないのだ。
息子の忘れ物と雨の中を猛烈に走った話。
私が学んだことは忘れ物があっても息子はひとりでなんとかしているのだということ。余計なことはしなくていいのだということ。
この一週間、天候が不安定だ。急に激しい雨が降ったり、雨が上がるとすごく暑くなったりする。私は雨具を常に持ち歩いている。
一昨日、下校時に雨がやんでいたからと息子は学校に傘を忘れた。
昨日朝は登校時雨がパラパラ降っていた。息子に
支援者として大切にしていること
支援者として、色んな人の人生に関わらせていただく。
長い人生の少しの時間ではあるけれど関りをもたせていただく。
関りはわずかかもしれないが、その関わるご本人の長い人生をさかのぼると様々な歴史があり、色んな人間関係があり、複雑に絡み合った深い思いなどを知ることがある。
ご本人を取り巻くご家族やら地域のこと、その方の歴史を知ると色んなことが複雑でどんな道がよくて、どういう風にアプローチをしていけ