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ショートストーリー

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短いのですぐ読めます。 僕の世界にようこそ。
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匿名マスク

匿名マスク

スポットライトがあたった。真っ暗闇の中に、小さな光の円が縁取られた。ハッとして、ぼくは自分の置かれた状況を手探りに確認し始める。ここは、どこだ。手を伸ばす。何かに触れたいと思う願いもむなしく、手のひらはただ虚空を掴む。指先は何にも触れない。重い空気だけがその指の隙間から通り抜けていく。冷や汗が頰を伝う。ツーっという冷たい筋が、いやにはっきりと感じられる。そこにあるのは無音だ。無限遠まで広がる、しん

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ガロア殺し

ガロア殺し

ガロアは不可能を証明した。

エヴァリスト・ガロア。1811年10月25日にフランスで生まれた夭折の天才数学者。

同級生の男たちが、毎年新たに誕生する女性アイドルに熱をあげ、同級生の女たちが、新卒の若い体育教師にうっとりしていた頃、同じ16歳の僕はガロアに傾倒していた。初夏の誰もいなくなった放課後の教室で、セミの鳴き声に重なった運動部のかけ声を、耳のずっと奥の方で聴きながら、僕はガロアの人生に思

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孤独リフレクション

大学二年生の頃、僕は実家暮らしにも関わらず、大学帰りに頻繁に外食した。単に家に帰りたくない年頃だったといえばそうなのかもしれない。ただ、一つだけ言えることは、家族が当たり前のように安全地帯として機能している家は、恵まれているということだ。

僕は当時大学から一つ隣の駅にあるインドカレー屋によく一人で行った。間接照明の落ち着いた雰囲気の店だった。大抵いつもホウレン草ベースのカレーを注文し、ナンを二枚

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ザ・デイ・アフター・クリスマス

ザ・デイ・アフター・クリスマス

12月26日。朝の電車内。そこでは様々な物語が交錯し、そしていつもと違った空気が流れている。

あるいはいつもと違うのは空気そのものではなくて、その空気を見つめる自分自身なのかもしれない。

昨夜まで都会の隅々に満ちていたクリスマスソングの余韻に浸る人もいれば、浮かれた恋人の祭典が終わってホッと胸を撫でおろしている人もいるだろう。



朝の混雑したホームのあちらこちらで、電車を待つ人々が白い息

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リンゴ泥棒

リンゴ泥棒

喫茶店のテーブルに向かい合って、二人の男が話をしている。

筋肉質な男と瘦せぎすな男だ。筋肉質の男の目は細く、髪は短く刈り込まれている。似顔絵に描きやすいタイプだ。顔の輪郭として楕円を描き、目は横棒で、髪は不揃いの芝生みたいに少し描きたしておけば十分だろう。右肩が若干下がっているのは何かスポーツをやっていたからだろうか。

もう一人の瘦せぎすな男は、二重まぶたの大きな目をしていて髪は長い。多分前髪

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ぬいぐるみの愛

ぬいぐるみの愛

僕は自分がぬいぐるみになって初めて、人を愛するということがどういうことなのか少しわかったような気がする。



「『付き合う』ってどういうことなんだろう。」

中学生の時、僕はいつもそんなことを考えていた。思春期入りたての子供にはありふれた議題だ。でも実際に恋人と仲のいい女友達とでは何が違うのだろう。

デートをするかしないかの違い? それだったらデートってなんだろう。女友達と二人で遊びに行くの

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大人

大人

金曜日の夜。中央線の駅は酔っ払いで溢れかえる。蛍光灯の切れかかったホーム。疲れ顔で立ちすくむ社会人と騒ぐ大学生。車内に入れば、口を開けて寝る人々の間に生暖かいアルコール臭が漂っている。

乗車扉の隅にもたれかかって、僕は真っ暗な窓をじっと見つめる。乳白色に結露したガラスが、色とりどりの街灯と感情を失った僕の顔とを、そっと重ね合わせる。手の甲で優しく触れる。ひんやりとした冷たさが伝わってくる。

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古本屋戦争

古本屋戦争

20××年に起こった古本屋戦争は多くの示唆を含んでいた。

一方のサイドは古本屋賛成派だ。
その多くはお金のない学生などによって構成されている。
「要らなくなった本を売り買いして何が悪いんだ!」

もう一方のサイドは一部の作家だ。
「古本が売り買いされても、私らにはちっとも印税が入ってこないじゃないか。私らは面白い本を君たちに提供した。君たちは対価として私らにお金を払うべきじゃないか?古本屋にでは

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白いイルカ

白いイルカ

正確にはそれがいつなのか覚えていないが、僕がまだ幼稚園児だった頃の記憶で、今でもふとした瞬間に思い出す光景がある。

僕が生まれた時、母方の祖父は既に鬼籍に入っていて、祖母は一人で新潟県の田舎に住んでいた。塩の匂いが漂う港町だった。僕は祖母が大好きだったから、母親と一緒に帰省するのがいつも楽しみだった。

その光景の中で、祖母は僕にこんな話をする。

「大きくなったら、そのうち大きな波がやってくる

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感情スイッチ

感情スイッチ

ある日、私は自分の中に「感情スイッチ」というものがあることを発見しました。

それはレバーみたいな形ではなくて、ボタンのような形をしています。

押すとカチっという音がしてONとOFFが切り換わります。

その音はとても小さいので私以外には聴き取ることができませんが、私には確実に聴こえます。

ところで、感情とは電波のような波形を持っています。

例えば、天にも登る幸福の感情は、プラスに大きく振れ

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動物メガネ

動物メガネ

私は博士だ。

プログラムのバグや古い文学資料と睨めっこしているような博士ではないのである。もちろん研究費について頭を悩ませるようなこともないのである。

どちらかと言えば、赤や青や緑色の奇妙な小動物を子供に分け与える博士に近いのである。時々黄色の動物もあげるかもしれぬ。

そんな私(「わたし」ではなく「わたくし」と読む)が開発しているのはとある特殊なメガネである。

見た目はレイバンのサングラス

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ものさし屋さん

ものさし屋さん

まだ僕が小さかった頃、近所の「ものさし屋さん」がこんな話をしてくれた。

「人はね、生まれながらにそれぞれ自分のものさしを持っているんだ。

不思議なことにそのものさしは人の成長に合わせてすくすく成長するんだ。

それから、君に成長期があるように、ものさしにも成長期みたいなものがある。

でも大抵の場合、君の成長が止まっちゃう頃には、ものさしの成長も止まっちゃう。

もちろん完全に止まっちゃうわけ

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A Waiting Man

A Waiting Man

その男はただ待っている。

時刻表のないバスを。そもそも来るか来ないかもわからないバスを。

バス停にはその男しかいない。おそらくこれから先も永遠に一人だろう。

ヘッドライトの明かりを感じる度に男は期待で目を輝かせる。しかし期待はいつも裏切られる。

雨が降ってきた。それもとびきりの大雨だ。びゅうびゅう吹く風に怯えながら、ぼろぼろトタン屋根の下で一人ぽつんと待っている。突然雷が鳴って、男は泣きそ

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深海のカタチ

深海のカタチ

人間というのは二項対立の間に生きている。その二項対立は誰の中にも、あるいはあらゆるものの中にも存在している。

人間というのは、普通と言う名の狂気と、変態性と言う名の普通の中で生きていると、僕は思う。変態こそ自然であると言った方がいいかもしれない。電車の中で50代のサラリーマンが通勤ラッシュにもかかわらず、アダルトビデオを見ていたとする。これが絶対的に変態なのかどうか、今ひとつ僕にはよくわから

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