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不良になれなかった私のアルゼンチン門司港逃避行日記
不良になれなかった私物心ついたころから、何故だかはわからないが日本の教育や社会に馴染めなかった。都心にある中高一貫の私立の女子校。校則とか時間割とか部活とか意味わかんなかったし、学校にいると自分がどんどんロボットになっていく感じがした。
通学中に満員電車に乗っている大人とか観察してたら、何のために生きてるのかよくわからなくなった。MDのイヤホンでブルーハーツの1985年の『僕たちを縛り付けて一人
家に引き込もれる大義名分がほしい
緊急事態宣言が終わってもなお私は資格試験という名の元に堂々と家に引きこもっている。資格試験が終わって自由の身になったらと想像するだけで、なんだか憂鬱な気持ちになる自分がいる。
思えばこの数年はコロナという隠れ蓑の元に気の進まない約束はお断りし、やる気の出ない事柄は先延ばしにしてきた。好きな人と好きなときにだけ会いやりたいことを気が向いた分だけやる、ぬるま湯のような時間。
来年留学に行くことに決
タイムマシンはいらない
同世代の他人の人生に比べて、自分の人生がややこしく思えるときがある。それもそのはずだ。私は心の奥底では平穏な人生なんて望んでいなくて刺激に満ちた人生を望んでいるのだから。
たった30年そこらの人生だけれども、天を衝き上げるような喜びも地の底に叩きつけられるような悲しみのどちらも経験してきた。それでも私が未だ自分の人生を落ち着かせる方向に舵を切ることができていないのは、刺激に満ちた人生こそが自分を
イカダから流されて溺れる話
昔から「イカダで溺れ死ぬ」という謎の妄想に取り憑かれている。3人でイカダに乗っていて、私ともうひとりが落ちたときに、私じゃない方のひとりは手を握ってもらって助かり、私は激流に流されて溺れ死ぬというものだ。
何が言いたいかというと、私は友人やご近所仲間や同僚やその他たくさんの人に愛されて生きている自覚はあるけれども、危機的状況に置かれたときはみんな家族やパートナーを優先的に助けると思うので、私の手