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「演歌=日本の心」が嘘なのは十分解ったよ。でも「演歌は洋楽だ」「邦ロックを邦楽と呼ぶな」でいいの? ・・・んなわけねーだろ。

演歌と言えば、日本にずっと昔からあるような、ある種の伝統芸能のようなジャンルのイメージとして捉えられていました。

「演歌は日本の心」

というキャッチフレーズは、あらゆる場所で用いられて常套句として通用してきました。

しかし、日本の音楽の歴史をよく紐解いてみると、演歌という音楽ジャンルは伝統的なものでは決してなく、1960~70年代という限定的な時期に流行した、極めて新しいジャンルだということが分かってきます。

この事実は近年になって指摘されるようになり、一部の音楽ファンのあいだでは新しい常識となりつつあります。


こうした視点が広まったきっかけとしては、

輪島裕介『創られた「日本の心」神話~「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』

という書籍が読まれた影響が大きいのかな、と思います。

この書籍において、近代日本の大衆音楽史から演歌の発生、そして「真正な日本の文化」という誤った風評が広まる経緯が描かれています。

演歌を伝統音楽的なイメージで捉えていた多くの日本人にとっては衝撃的な指摘だったことでしょう。音楽系YouTuber・みのミュージックさんもこの件について取り上げています。

まず、演歌を未だに伝統音楽的なイメージで捉えている人は、一旦しっかりと正しい時系列で捉え、この事実を認識をすることは非常に重要だと思います。

しかし、今回問題にしたいのは、その先の話です。


上記のような事実を振り掲げて、過激な主張を行う「音楽好き」が増えてきたように思い、それはそれで疑問を感じるのです。

昨今の日本のバンド音楽に対して「邦ロック」「邦楽ロック」という呼び方が用いられたり、最新Jpop~歌謡曲~演歌までを含めて「邦楽」と呼ばれることが多いことに対し、「それは邦楽ではないぞ。笑」「邦楽と呼ぶのは間違いだ!」というふうに指摘してマウントをとる風潮。それはいかがなものかと思うのです。

「Jpopは邦楽ではない」? 

・・・いやいやおかしいでしょう。

という話です。

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19世紀半ば、黒船来航から明治維新によって西洋音楽が日本に流入し、それまでの日本の伝統文化は断ち切られ、蔑まれるようになりました。

「先進文明」のヨーロッパ諸国が非西洋の世界各地を「野蛮」だとして植民地化侵略していた帝国主義全盛期の当時、欧米にナメられることなく文明国としてグローバルスタンダードに並びたい明治政府は、唱歌教育を通じて「ドレミファソラシド」という「文明的な」西洋音階を日本人に叩き込んでいきました。

当時の世界はクラシック音楽の全盛期。幸か不幸か、ドイツが世界史上、力を持ってしまっていた唯一のタイミングであり、日本の学問的にもドイツ音楽学が模範とされて権威が確立されていってしまいました。

西洋音階は日本人に徐々に定着し、20世紀に入り、日本の音楽は基本的にすべて西洋音階に基づくものとなっていきました。大正期以降に隆盛した流行歌・歌謡曲という分野でも西洋音楽が基となっており、戦後の演歌もその延長線上にあります。

さて、前回の記事に書いた通り、つい最近まで長らく学問において「音楽」といえば「西洋クラシック音楽」のことを意味するのが常識となってしまっていました。それに対し、近年の文系分野の学問では植民地主義の反省から西洋主義批判が巻き起こるようになります。

また、そのような反植民地主義を持ち出すまでもなく、クラシック一辺倒だった戦後音楽教育に対して伝統的な「邦楽」を重視すべきという声も大きくなり、伝統邦楽が見直されるようになりました。

このような文脈において、「音階」をめぐる議論がセンシティブかつ重要な論点となっていて、ジャズ、ロック、ポップス、歌謡曲はもちろん、「日本の心」と擬態された演歌までも、すべて西洋音階が基礎になっていることが昨今、声高に指摘されているのです。

そして、西洋音階の流入以前の伝統音楽こそが「日本の音楽」「邦楽」として呼ばれ、尊重されるべきものだという捉え方がむしろ主流となっているのですが、今回疑義を呈したいのが、まさにこの部分です。

「日本の音楽」「邦楽」というコトバを、伝統原理主義で定義するあまり、「演歌は洋楽である」「Jpopを邦楽と呼ぶのは間違い」「皆が普段聴いている音楽は、"日本の音楽"ではない」という過激な言説がまかり通るようになってしまっていますが、

江戸までの音楽でなければ「日本の音楽」ではない、というのはいくらなんでも暴論すぎではありませんか。


確かに、音階という要素を主体で考えたときには、演歌を含めて近代日本の音楽は日本の伝統音階のシステムではなくなってしまっています。しかし、だからといって「演歌は洋楽である」というふうに定義してしまうのは、明治維新以降の音楽を日本音楽史から排除しようとする、悪質な考え方ではないでしょうか。

このような排他的な考えがまかり通る要因として、伝統邦楽原理主義者の捉える歴史観が、以下のようなものだからだと考えられます。

伝統邦楽原理主義者の捉える歴史観


しかし、ペリーの来航した1853年から現在の2023年まで、既に170年もの歴史があります。

1868年の明治維新から1945年の敗戦までで77年間。

そして1945年の敗戦から、2022年までが同じ77年間。

明治維新から敗戦までよりも、敗戦から2023年現在までのほうが、長い期間が経った地点にすら我々は突入しているのです。

たとえ洋楽の音階理論が基盤であろうと、この長い期間に日本人が日本で鳴らした様々な音楽を、日本音楽史に位置付けて何が悪いのでしょうか。むしろ、この期間の出来事をきちんと歴史として認識することのほうが非常に重要なことでしょう。

演歌や歌謡曲は、たとえそれが伝統邦楽の音階とは異なり、西洋音楽を基盤としたものであっても、戦後日本の一時期に日本人に親しまれた音楽であることは間違いありません。「戦後史」という、れっきとした日本の歴史の一ページにはしっかりと存在しているものです。西洋音階が侵入して以降の音楽も、「日本の音楽」に含めて考えていいのではないでしょうか。

江戸時代に主流だったのは三味線音楽ですが、そもそも三味線も大陸から琉球を経由して日本に伝来した外来の楽器です。さらに上代に遡った「雅楽」ですら、当時の唐や朝鮮など大陸からの輸入音楽なのです。一体何を以てして「邦楽」とするのでしょうか?異国から伝来して日本に根付いた音楽のことを日本の文化だと呼ぶことを拒否してしまうと、弥生時代の音楽しか認められないことになってしまいます。

前回、西洋音楽と民族音楽の対立構図の話の中で、筆者はポピュラー音楽まで含めて捉えることを主張し、その文脈において歴史の時代間隔の距離感を適切に捉えるための図を貼りましたが、そこに日本音楽史の流れをざっくりと加えたものを以下に貼ります。

日本文化・日本音楽の歴史は「多様な伝来文化の集積と日本化」の繰り返しでした。飛鳥時代に仏教とともに大陸文化が伝来し、日本の基礎が形作られました。さらに奈良時代にはシルクロードの最終地点として平城京に異国の文化が集まりました。平安時代に遣唐使が廃止され、独自の日本化が進んだ国風文化が隆盛しました。その後16世紀には、大航海時代によって西洋の文物が押し寄せ、南蛮文化の伝来となります。その後、鎖国によって日本独自の町人文化が栄えました。そして明治維新から再び西洋音楽を吸収し、その基盤で現在の「日本音楽」が発展しているのです。

日本文化というのは「色んな外来文化が流れ着く終着点・堆積」がアイデンティティなのだとすれば、Jpopの実状はとても自然だし、コンプレックス無くきちんと肯定されるべき状態だ、とまで思います。基盤が西洋音楽のシステムなのだとしても、良くも悪くも洋楽になりきれない、日本人の奏でる音楽は胸を張って「邦楽」だと言っていいでしょう。


西洋音楽史においては、20世紀の前衛芸術音楽が「現代音楽」という語を独占しているせいで、現代の大衆音楽に「現代音楽」という語が使えません。

同じく、日本音楽史において、西洋音階の侵入で音階的に断絶しそれまでの伝統邦楽が「邦楽」という言葉を独占するようになったせいで、現代の日本の大衆音楽に「邦楽」という語が使えない。

これらはハッキリ言って、知識人層が大衆文化を見下して弾圧しようとする視点であり、おかしいことだと思います。

しかしたとえば「ロッククラシック」と言ったとき、別にクラシック音楽と関係があるわけではなく、単に語義通りの「ロックの古典的作品」みたいな意味で使うでしょう。

同じように、別に前衛芸術じゃなくても単に「現代の音楽」のことを語義通り「現代音楽」と言ったり、伝統音楽じゃなくても、Jpopや演歌という日本人が日本で鳴らした音楽のことを「日本の音楽」「邦楽」と、本来言って良いと思うんです。

「江戸までの音楽でなければ邦楽でない」というように、西洋近代を敵視して、古来からの伝統というものを重視するのであれば、「レゲエはジャマイカの音楽ではない」だとか「ネイティブアメリカンの音楽でなければアメリカ音楽ではない」という文も成り立ってしまいます。

レゲエはアメリカのR&Bの影響を受けたスカやロックステディが発展して1970年代に成立した音楽です。つまり演歌と同じような時期に同じような経緯で成立した音楽ジャンルですが、だとすればレゲエはジャマイカ古来の音楽ではないため、「レゲエはジャマイカ音楽ではない」のでしょうか

そんな馬鹿なことはないでしょう。レゲエはれっきとしたジャマイカ音楽の一ジャンルでしょう。

同じように、戦後日本78年間に日本が産んだ音楽も、日本人が日本で鳴らしたものを日本音楽史に位置付けて良いだろうということを主張します。演歌は伝統音楽ではないですが、「洋楽」ではなく、れっきとした日本の音楽の1つです。

現在、エド・シーランやブルーノ・マーズ、The 1975やトラヴィス・スコットなどなど、数えきれないほどの「洋楽」が溢れる世界の中で、今ならYOASOBIやAdo、ボカロや邦ロック、少し前ならJpopやロキノン、さらにその前の演歌や歌謡曲までも含めて、今の自分たちが歌ったり聴いたりしている日本人が日本で奏でた音楽のことは「日本の音楽」として考えてみましょうよ。

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