マガジンのカバー画像

法華経・観音菩薩

22
運営しているクリエイター

記事一覧

生への渇望

生への渇望

私の父は幼い頃、がんで亡くなりました。
まだ幼かった私は父親を「父親」としか理解できなかったし、1人の人間だという認識は当然もっていなかった。「お父さん」という存在は「お父さん」なのだ。

 大人になってから母親と父の話をすることが増えた。それも最近。
母から見た父は1人の人間であり、1人の男性なのだ。そんな母から見た父という人間は、とても弱い人間だったのだろう。
母のほうが気力も現実を見て行動に

もっとみる
嗤う者

嗤う者

柴燈護摩に行くと観客の様々な表情をみることが出来る。
歳を重ねるたびに、自分の成長の目線ごとに見える景色が変わる。見る側の意識が表面に現れている。

柴燈大護摩供は野外で行う大規模な法要で、道場を作り、大きく燃え上がる炎の中で、火渡り修行が執り行われます。

自分は毎日火を渡ってます!
なんて人はなかなかいないだろう。
人生に一度、生脚で火を渡る機会があるかといえば火事にあったとか、救急隊や消防士

もっとみる
里に活かす仏道

里に活かす仏道

新社会人の人たちもようやく緊張の一ヶ月から連休に入れるタイミングですね。
学生生活と社会生活は全く異なるしなれない環境とリズムに気合で頑張って馴染もう、身につけようとする人と、頭が追いつかない人と、もうイヤになっちゃってる人と様々かもしれません。

 下積みの時はなんにもできないし、分からないし、人間関係の見極めもわからんし、右往左往。何も出来ないから役立たずなんて不安になったりして。

いやいや

もっとみる
明日につながること

明日につながること

今朝、ダルビッシュ投手のタイムトリップのお話の記事を読ませていただいてすごく感銘を受けたためか、懐かしい曲が頭に蘇った。

年の離れた兄が持っていたCDで、兄が家をでた時にたまたまみつけたトーコさんアルバムの曲が好きだった。

「いつだって悩みはある 明日につながること しよう!雨が降る前に駅まで走り出す」

特にこのフレーズは私の中にずっと残っていて、弱気になったときや失恋した時、上手く行かない

もっとみる
1杯の水

1杯の水

どんな高級なレストランの食事、大好物の食べ物、お酒、珍しい高価なお茶、特別なお菓子よりも、「その時」にもらった1杯のただの水が特別なものになることがある。
慣れてしまえばただの水になってしまう。

つまらない飲み物だ
コーヒーがいい
ジュースのほうが飲みたいな

ある映画で、母子家庭で一緒にすごしてきた母親が再婚することになり、思い悩んで家出をする。もう母と一緒に暮らせない。
進学を諦めて自立をし

もっとみる

鬼子母神 

 大分前の話になるがご近所で親子心中事件があった。一生に一度あるかないか、そのくらい滅多に起こる出来事ではないのでその日のことは鮮烈に記憶に残っている。

 天気の良い日と悪い日が交互にくるようないわゆる季節の変わり目だ。その日は昼間はとてもお天気がよかったのに夕方から天候は悪くなり、帰宅するころには雷雨。そういえば、つい先日も雷雨があり竜の巣の様な雲が空に現れ「ラピュタみたい!」なんて話をきっか

もっとみる

自分から縁を掴まない人、自分で縁を壊す人。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の話は聞いたことがあると思いますが、世界各国に似たような話がバリエーション豊富に存在する。

仏が見えない
仏の慈悲がわからない

仏縁がうすいなぁと思う所以です。
(人の縁もうすいなぁと)

お彼岸(愛別離苦)

お彼岸(愛別離苦)

パートナー、子ども、父、母、兄弟、祖父母、親戚、友人、恩人
自分の親しい間柄の人が「居なくなるかもしれない」「居なくなった」とき。
愛別離苦の苦しみや葛藤は、どんな説法、仏教、神道、キリスト教、生まれ変わり、輪廻転生、どんな綺麗事、経験談、生温いふわふわスピの言葉を聞いても何も受け入れられない。

自分も家族が病気になった時、たった1人の血のつながらない、だけど人生のパートナーが死の危機に面したと

もっとみる

朝活をはじめた。
目が良いうちにたくさん読経、二十八品を読みすすめている。
朝6時半に始めて、気づいたら7時半なので、明日はもう少し切り上げて始めようかな。
登場する菩薩や如来の姿がより具体的に理解できるようになる(気がする)
解るまで読み唱える

人間の成長の図
壁、何かを指摘される→悩む→受け入れる→自分の再構築→一皮むける

再構築の時に他責になると、記憶を書き換えたり自分は悪くない理由の肉付けが歪んでおかしくなる。繰り返すと霜降り肉みたいに複雑になる。認知が歪む。
また、自責になりすぎると今度は抜け出せなくなる。

知恵

知恵

 自分に都合が悪い人がどうにかなれと常々願う者がいた。必死なのはわかるが都合の悪い相手が居なくなれと願うことは「魂の殺人」であり、殺人者と同じような感覚を疑似体験している。

 その後、その方が最後に連絡をよこしたときは、ご祈祷に金を払うからなどと言うほどになり、あまりにもなので話を聞いてみた。本人にとっては重大問題で疲弊しているのだが、整理して要約すれば両親の介護が大変になったという話だった。

もっとみる
堤婆達多(文殊菩薩のおはなし)

堤婆達多(文殊菩薩のおはなし)

妙法蓮華経 堤婆達多品

堤婆達多(だいばだった/ディーバダッタ)は仏教上の極悪人のような表現で伝わっていますが、地獄を理解するうえで非常に大切な要素になるでしょう。
読み始めたばかりなので、何を得られるかは今後の文殊菩薩のお話でつないでいきたいです。

このYouTubeは解説が極端かもしれませんが、いわんやこうゆうことなのだという筋はわかります。

提婆達多といえば、宇賀神さんの陀羅尼経で「堤

もっとみる

餓鬼とはなにか

 「餓鬼」とはなにか。
地獄に住む鬼だろうか。亡霊のようなものだろうか。もがき苦しむ地獄に落ちた人の姿だろうか。

乳飲み子に例えた依存心を捨てなさい、自立しなさいという弁天さんの話を出しているが、「不安」の大きな原因の一つが「依存心」である。何かを頼らなければ不安なのだが、頼っても結局不安は消えないのだ。

そして、餓鬼が好むものが依存心。
依存心に群がる不安が餓鬼。依存心が小さくなると、餓鬼の

もっとみる

仏法をさまたげ、修行をさまたげる魔を、正しくないという意味を込めて「邪魔」とよびます。
そもそも、天部の神様は皆仏法を守護しますから間違った方向に進めば道を正します。
それが時に、障碍であったり実害がひどければ祟りと呼ぶのかもしれません。
合掌