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沼田和也 『牧師、 閉鎖病棟に入る。』 : 承認欲求と 自己劇化の罠

書評:沼田和也『牧師、閉鎖病棟に入る。』(実業之日本社)

『そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。 そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、 言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。 わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」』

「マタイによる福音書」18章1−5


著者の沼田和也氏については、ずいぶん昔に直接お会いしたことがある。
たしか「mixi」のキリスト教関連のコミュニティで知り合って、いちど直接会いませんか、という話になったのではないかと思う。

当時、私は、キリスト教を独学しながら「キリスト教批判」をはじめた頃で、コミュニティでそこに集う人たちに「素朴な疑問」をぶつけていた。
要は「本気で、神様が存在していると思っているのか?」「どのような証拠があって信じられるのか?」「証拠らしい証拠もなくて信じているのであれば、それは盲信なのではないのか?」といったことである。

無論、コミュニティに集う彼らにとって、私が迷惑な存在であったことくらい、重々承知していた。彼らは「同信の仲間内」で楽しくやりたかったから、キリスト教のコミュニティーに参加したのであろうに、そんなところへ「空気」を読まない「よそ者」がヅカヅカと踏み込んできて、遠慮のかけらもなく「それは盲信じゃないの?」なんて言うのだから、彼らが私を快く思わないであろうことなど、理の当然すぎない。

だが、彼らは、そのタテマエとして、私を追い払うわけにはいかなかった。
なぜなら、彼らにとって私は、一人の「迷える子羊」であり、彼らが真に神を信じ、その教えに従って、より多くの人に、その「福音」あずからせようと思っているのであれば、私のように、わざわざ近寄ってくるというのは、むしろもっけの幸い。私の初歩的な「誤解」を解いて、神の道に導こうとするのが、彼らの信仰の然らしめるべきところだったからである。

しかし、理屈はそうでも、現実の人間は、そう簡単なものではない。
彼らは、神の祝福を受けた「選ばれたる民」として、いわば「上流階級の社交」を楽しもうと集った。そんなパーティー(コミュニティー)に、襤褸を纏った私が「招かれざる客」として入ってきたようなものなのだ。
信仰上のタテマエから、露骨に「出て行け」とは言えないものの、本音では歓迎などできなかったというのは、人間心理として当然のことであったろう。
また、私の方も、それを見越して、「形式としての礼儀」を問題にして排除されないように、言葉遣いだけは丁寧に、しかし、話の内容は、忌憚のない「素朴な疑問」としての批判を、彼らにぶつけたのである。

当然、彼らは私を持て余してしまった。当時はまだ、今ほどの知識が持たなかったとはいえ、私はそれ以前からのベテラン「論争家」だったから、知識が無いなら無いなりの「議論の仕方」を知っていたからだ。
つまり、「相手の土俵に登らない」「瑣末な専門用語にはとらわれない」「現実問題を見失わない」といったことだ。これさえ押さえておけば、彼らの専門知識に惑わされることはない。
また、彼らとて「現実」を無視するわけにはいかないのだから、こちらが辞を低くして「その言葉は知りません。教えてください」と言えば、一方的に専門知識を並べ立てて、素人を煙に巻くようなことなどできなかったのである。

とは言え、私とて、教義的な教養をろくに持ってもいない「一般信者」をいじめようとしたわけではない。私が標的にしたのは、「神学」的知識を披瀝しあって満足している人たちである。つまり、牧師や神父、あるいは神学的知識を持つ、知識層信者である。

彼らは、信者の中にあって「知的エリート」であったからこそ、その信仰的内実を「問う(試す)」価値があった。「そんな知識が、(世のために)役に立つのか? そんなもの、オタク的な自己満足なのではないか?(現実には役に立たないが、自慢話のネタ、人も感心してくれる衒学にはなっても、所詮は空談でしかないのではないのか?)」ということである。

で、前述のように、彼らは私を持て余した。やはり、私を納得させるようなことはできなかった。
彼らの知識は、「信者」間と「藁にもすがりたい状況にある非信者」には通用しても、その理論に「客観的な根拠」を求めるような私には通用しなかったからであり、さりとて彼らは、そのコミュニティーでは、自身を「敬虔な信仰の持ち主」であると自己規定していたのだから、私を邪険に扱うことはできなかった。
そもそも、「mixi」の「キリスト教」コミュニティーは、信者限定にはなっていないどころか、建前的には、誰でも歓迎することになっていたのである。「教会の扉は、いつでも誰にでも開かれている」ということだ。

そんなわけで、コミュニティーの人たちは、基本的には、私に対して紳士的に接してくれた。無論、私も紳士的に議論をしたが、しかし、疑問を呈するに遠慮はなく、タブーなどなかった。むしろ「それを言っちゃあ、お終えよ」という部分こそが、重要だったからだ。

そんな中で、「意気投合」と言っていいほど、私のスタンスに理解を示したのが、沼田氏だった。
こちらとしても「クリスチャンとして、本当にそれでいいのか?」という疑いはあったけれも、ひとまず相手は「牧師」だというし、それなりの教養もあるようなので、議論を深めていく相手としては得難い存在だと歓迎した。要は、最終的に、私が彼に説得されるか、私が彼を説得するか。それを試せる相手だったのである。

で、話題をキリスト教に狭く限定せず、いろんなことをやりとりしている中で、沼田氏が私と同じ関西在住だというのがわかったので、では一度会いましょうよという話になったのだと思う。

その当時、私はカラオケに凝っていて、これも「mixi」(「柄谷行人」コミュ)で知り合った友人、そしてその友人の友人であった女性との三人で、毎週のようにカラオケに行っていた。
また、偶然ながらこの女性はプロテスタントの一般信者であり、私が批判的ではあれ、キリスト教に興味を持っていると知って、「ちいろば先生」として三浦綾子小説にもなった、榎本保郎牧師の『新約聖書一日一章』をプレゼントしてくれたのだが、たぶんこの本が、私が初めて読んだ「キリスト教書」だったのではないかと記憶する。

ともあれ、私としてはせっかく見つけた「議論の相手になってくれそうな牧師」である沼田氏と、長くつきあいたいものだと思っていた。信仰と信念をかけた、食うか食われるかの議論というのは、短期間でかたのつくようなものではなかったからである。

それで、沼田氏に「私はカラオケに凝ってるんですが、一度ご一緒しませんか? いつも一緒にカラオケに行っている友人の一人もプロテスタントの信者だし、無論、カラオケだけじゃなくて、いろいろとお話を聞かせていただいた上でカラオケも、ということでいかがでしょう?」一一そんなふうに誘ったのだと思う。

待ち合わせたのは、大阪は梅田の紀伊國屋書店梅田本店であったはずだ。カラオケ仲間の二人とも、待ち合わせはそこだったからだし、沼田氏も「本好き」なのはわかっていたからだ。

で、初めてお会いした沼田氏の第一印象は、「おしゃれな人」というものだった。
こちらは、もともと「オタク」出身で身なりを気にかけない、おしゃれに無縁な人間だったが、沼田氏はおしゃれなスーツに、おしゃれな帽子と丸メガネという、とにかくおしゃれな人で、私の印象としては、テレビドラマ『相棒』杉下右京水谷豊)を、さらに英国風にした感じの人、という感じだった。

今回本書を読んで「吹出物が」云々という記述があって、たしかにニキビのある人だったという印象は残っているが、このレビューを書くために画像検索をしたところ、現在の沼田氏のポートレートが出てきたのだが、私の正直な印象としては、失礼ながら「もっと男前(イケメン)だったのではなかったかなあ」というものであった。
無論、私がお会いしてから、すでに10年近く経っており、沼田氏も私もそれ相応に老けたのだから、印象が変わるのは仕方がない。ただ、写真に写った現在の沼田氏も、服装に関しては、まさにあの頃の氏そのままであり、別人の可能性はゼロだと確信できた。

だが、沼田氏とお会いしたのは、その時が最後になってしまった。
どうして連絡を取らなくなったのかの記憶は定かではないが、たぶん、例によって、私が「mixi」でネトウヨと大太刀回りを演じて、アカウントを停止されてしまったからではないかと思う。
当たり前に「mixi」を続けているかぎりは、いつでも連絡が取れたのだが、ある日突然(ネトウヨたちが管理者に泣きついて)アカウントが停止され、そうなると連絡方法がなくなってしまう。いうまでもなく、誰にも住所や電話番号なんて訊かなかったからだ。
そのせいで、それっきり縁が切れてしまった人は少なくないが、沼田氏の場合も、それで連絡が取れなかったのだと思う。

そして、それから数年した頃だったか、私に榎本保郎の『新約聖書一日一章』をプレゼントしてくれた前記の女性が「沼田さん、関東の方の教会へ移ったみたいですよ」という話をしてくれたので、沼田氏のフルネームでネット検索したところ、たしかに関東の教会に名前を見つけて「関東じゃ、もう会えないな」と思った記憶がある。

つまり、本書の著者である沼田和也氏が「閉鎖病棟」に入ったのは、その後の話であり、関西から関東に転勤してからの話であった。

以降、私は本稿において、「沼田氏」ではなく「沼田さん」と書きたい。その方が自然だからであり、私の中では、沼田さんは、「プロの作家」や「公人」ではなく、あくまでも「旧知の人」というのが、実感だからだ。
最初から「プロの作家」なら、例えば、面識があっても、プライベートでかなり親しくしていたとしても、「笠井潔」「竹本健治」といった具合に「敬称略」で書くことに抵抗はないが、沼田さんは、やっぱり「沼田さん」なのである。
ただし、「沼田さん」と表記したからといって、手加減する気はまったく無いということを、あらかじめ明記しておきたいと思う。

 ○ ○ ○

まず本書を読んで、終始つきまとったのは、たぶん「mixi」当時にも沼田さんに感じていたであろう、その不徹底さであり、物足りなさである。

沼田さんは本書で、その「精神病院の閉鎖病棟」入院体験を語り、そこで出会った入院患者、看護師、担当医師などを描き、そこでの生活や治療体験、それを通して「考えたこと」などを、「分析的」に紹介している。

だが、全体としてそれらは、いかにも「型どおり」であり、「掘り下げ」に欠けるのだ。体験の「珍稀性」への依存を脱し得ていない。
「不幸な人々」「苦悩する私」を描いているのだが、それがいかにも「どこかで読んだことのある」ようなものの域を、まったく出てはいないのだ。

例えば、沼田さんは、若い入院患者の「キヨシ」から「なぜ自傷行為がいけないのか?」と問われて、答に窮し、次のように考える。

『 キヨシは(※ 自分の腕を刃物で)刺す真似をしてみせる。手つきが慣れている。
「で、あたたかい血が流れてくる。するとね、ほっ、とするんですよ。煙草を一服するのと、そんなに変わらないと思うんだけどなあ。いろんな人から言われたよ?『自分の身体を傷つけるのはよくない』とか『自分を大切にしなさい』とかって。でも、なんでそれがいけないのかは教えてくれない。煙草を吸うのとなにが違うのかなあ。牧師さん、分かる?」

 わたしにはなにも答えられなかった。なにも。聖書には「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」(コリントの信徒への手紙1 三章一六節、新共同訳)とある。
 わたしは今まで、「自殺はよくない」とか「自分を傷つけてはいけない」とか、「自分を愛そう」などと語ってきた。
 しかし彼の一言の前に、すべての言葉が飛んだ。
 ありのままの自分を愛そう?
 この子たちはもうじゅうぶん、自分の「ありのまま」とやらを見せつけられてきたんじゃないか?
 この子たちに言うのか、「『あなたには神が宿っている』って聖書に書いてあるよ。だから神が宿るような尊い自分を傷つけちゃだめだよ」って?
 わたしはこのとき気づいた。自分が神の神殿であり、神の霊が自分の内に住んでいることを、このわたし自身ぜんぜん知らないし、信じてもいないと。そんなわたしが、この少年たちになにを偉そうに言えるのかと。』(P46〜47)

端的に言ってしまえば、この部分に、沼田さんの本質的な「ダメさ」が出揃っている。
たぶん、これは、その昔の「mixi」でのやりとりにおいても、私が沼田さんに感じていた、致命的な弱点であり、物足りなさであったはずだ。

その「致命的な弱点」とは「自己劇化による自己陶酔」。つまり「独りよがり」に終始して、現実の周囲が見えておらず、例えば、ここに登場する「キヨシ」も所詮は、沼田さん自身の「悲劇」を彩るための「脇役」にしかなっていない、といったことだ。
沼田さんは、ここで「このように、人のために苦しんでいる私、自身の欺瞞を正直に認めて苦しんである私」を、これ見よがしに語ることで、他者の同情と共感と賞賛を求めているのである。

具体的に説明しよう。

沼田さんは、それまでも牧師として精神病院に慰問に来たことがあると書いているし、自傷者や自殺企図者に会うのも、決して初めてではないだろう。なにも、自傷者や自殺企図者は、精神病院の中だけにいるのではない。そんな人は、いくらでもいるし、そうした悩みを、信仰にすがることで解決しようとする本人や家族だって、いくらでもいるだろうからである。

ところが、沼田さんは「なぜ、自傷行為がいけないのか?」と問われて、ここで答えに窮してしまう。
なぜそうなるのかといえば、それは、これまでは「『あなたには神が宿っている』って聖書に書いてあるよ。だから神が宿るような尊い自分を傷つけちゃだめだよ」と、自分の頭では何も考えないまま、聖書に書かれていることを「受け売り」にしてきたからであり、当事者の「苦しみ」に、本気で思いを致すことなど、一度もなかったからだ。

かく言う私自身、警察官として、若い頃から数多くの「自殺企図者」、と言うよりも「自傷者」に接してきた。
多くの場合、彼らは自分の腕などをカミソリで切るのだが、それでテレビドラマのように、そのまま死んでしまうというようなことは、ほとんどない。
彼らの多くは、「自傷」はするけれども、「自殺企図」は無いのである。つまり、自殺する気で、自分の腕を切るわけではない。本書のカケルも言っているとおり、彼らの多くは、それで死ぬつもりなのではなく、そのことによって、一時的な「救い」を得ようとしているだけなのだ。
だから、彼らは、誤って死んでしまうことはあっても、たいがいの場合は「自傷」を繰り返して、その結果、前腕部に、まるでバーコードのごとき傷跡を作ることになるのである。

警察では「死ぬ気のない自傷行為」も含めて「自殺企図」と呼んでいるが、それは正確な表現ではない。「自殺企図」と「自傷行為」は、まったくの別物なのであり、テレビドラマでよくあるような「手首をカミソリで切って、その腕を浴槽の中に突っ込んで、出血多量で死ぬ」などという「きれいな自殺」など滅多にない。自殺で多いのは、やはり首吊りや飛び降りなのである(同様に、自傷としての薬物過剰摂取は多くとも、服毒自殺は滅多にない)。

ともあれ、私も経験が浅い若い頃は、「自傷者」と「自殺企図者」を混同していた。彼らは「死のうとして自傷し、死に切れなかっただけだ」と思っていたのである。だから、彼らに対し「自殺はよくない」とか「自分を傷つけてはいけない」などの言葉で、説得と励ましを行おうとした。

しかし、それが「どうも違う」と感じだしたのは、同じ人物が、毎日のように自傷行為を繰り返しては、自分で110番をして助けを求めてくる、といったことが珍しくないというのを知った頃からである。
端的に言えば、「死にたいんなら、110番なんかしてくるなよ」「そんな浅い切り方ではなく、動脈を切らなきゃ死ねないよ。いったい、あなたは何がしたいんだ? 同情して欲しいだけなのか? 人騒がせな!」という感じで、だんだん腹立たしさを感じるようになってきたのである。

で、そうした「常習的自傷行為者たちは、何を考えているのか?」というのを知りたくて、私は、ものの本を読んだ。つまり「自傷行為」の関する専門書を読んだところ、どうやら彼らは、「自傷行為」に「救い」を求めているのであり、もとより「生きたい」からこそやっているのだというのを知ったのだ。その心理の、複雑奇っ怪さを知らされたのである。

で、そうした「自傷者」たちを治療したり更生させたりすることが「仕事」ではなかった私でさえ、謎に満ちた自傷者たちの存在を前にして、いろいろ考えたり、本を読んだりして、それなりに理解を深めてきた。
だから、そうした経験を経た私は、自傷者に対して、「自殺はよくない」とか「自分を傷つけてはいけない」という、型どおりだが、あまり意味のない、ピントを外した「励ましの声」をかけることはなくなっていった。そうではなく、もっと具体的で現実的な助言をしなければならないことを知ったからである。
例えば「嫌だろうけど、親御さんのいうとおり、お医者さんにかかりなさい。それが君の将来のためだ」とかいった言葉を口にするようになったのである。

(松本俊彦『自傷・自殺のことがわかる本』より)

しかるに、沼田さんは、どうであったから?
彼は、それまでに何度も「自傷者」や「自殺企図者」本人、あるいは、その家族からの相談を受けながら、「聖書の一節を引用しての、とおりいっぺんの励ましの言葉を口にする」ことしか(実質的には)していなかったのだ。だからこそ、自分自身が「閉鎖病棟」に入れられ、「牧師という権威」を失った途端、キヨシが口にした程度の、ありきたりな疑問にさえ、何も答えられなくなってしまったのである。

では、私なら、どう答えただろうか。
例えば、こんな具合だ。

「確かにそうだ。それで君が救われるのなら、それは悪い行為ではない。ただし、最善の策でもないだろう。その意味では、君のいうとおり、タバコの一服と同じだよ。あれだって、体に悪いことだとわかっていながら、多くの人はそれでも、いっときの救いを求めてタバコを吸うんだから、そんな人たちには、君の自傷行為を責める資格なんてない。ただし、自傷行為であれ、タバコであれ、それは、その場しのぎの救いでしかなく、結局は自分の体を痛めつけ、苦しみをもたらす行為でしかないのは明らかなんだから、君が本当に楽になりたいというのなら、違う方法を探すべきだ。自傷なんかしなくても生きられる自分になれるようにすべきなんだよ」

と、おおむねこのようなことを言うだろう。
無論、こう言われたから、「なるほどそうですね」と言って、相手が変わってくれることなどないけれども、少なくとも、相手の問いに、誠実かつ適切に答えたとは言えるだろう。
言い換えれば、少なくとも、芸もなく絶句して、それまでの自身の「型どおりの助言」が、所詮が「無知に由来するきれいごと」の域を出ないものでしかないなかったことを嘆いて見せ、それを認めた自分は「世の偽善者たちとは違って、正直だ」などという「自己満足」に浸るだけ、なんてことにはならないのだ。

しかし、こうした「現実的一般論」とは別に、特に沼田さんのこととして、無視できないポイントは、沼田さんがここで、

『わたしはこのとき気づいた。自分が神の神殿であり、神の霊が自分の内に住んでいることを、このわたし自身ぜんぜん知らないし、信じてもいないと。』

そう。沼田さんはここで、じつは自分は、本当のところ「神を信じていなかった」、つまりは「神が、自分の内にも外にも、いるなんて信じてはいなかった」という、信仰の根幹に関わることを告白しているのだ。

しかし、このように「気づいた」以上、沼田さんはここで、その信仰を「捨てるか否か」という重大問題と、真剣に向き合わなければならないはずだ。
なにしろ「じつは神様が実在するなんて、自分は信じてなどいなかった」というのであれば、そのまま信仰を続けるというのは、「欺瞞」であり、周囲への「背信行為」だからだ。
それは、信じてもいないのに信じたふりをして、見せかけばかりに「牧師」ぶって見せて、「先生」と呼ばれて尊敬されることに未練を残しているだけの、「承認欲求」の塊の、所詮は「ぺてん師」でしかない、ということになってしまうのである。

じっさい、沼田さんは、自分が、きわめて「承認欲求」に強い人間であり、「先生」と呼ばれる立場にあることに喜びを見出してきた人間であるという事実を、本書中で認めている。私が言っているわけではなく、当人が認めている事実なのだ。

だが、沼田さんの問題点は、そうした事実を、すべて「過去のこと=自覚して乗り越えたこと」として語っていることだ。
「昔の私は、たしかに愚かな人間だった(だが、今は違う。自分の愚かさに気づいて成長した、今の立派な自分を、どうか見てくれ)」という認識なのである。

だが、本当に沼田さんは「変わった」のだろうか?

無論、私はそうは思わない。そうは思わないからこそ、このように、その「半ば無自覚」であり「半ばいい気」な、沼田さんの「自己欺瞞的自己認識」を暴こうとしているのである。

実際のところ、「昔の俺はバカだった」というような話の大半は、「自慢話」でしかない。

「昔の俺は、単車ころがしてバカばっかりやったもんだよ。なんにもわかってない、独りよがりなガキだったってことだろうな。それが今ならよくわかる」と、こういった話だが、この話の眼目は、「自分はバカだ」という反省にはなく、「昔はバカだったが、そうした経験のおかげで、今の自分は人並み以上に賢くなった」と、そういう「自慢話」に過ぎない。
何の苦労もなく平々凡々と生きてきた多くの人たちには、きっと「成長」のきっかけとなるような、そうした「特殊な体験(特権的体験)」など無い(持たない)のだろうが、「俺には、そうした特別な経験がある」と、これはそういう「自慢話」なのだ。

そしてこれは、沼田さんの「閉鎖病棟」入院体験でも、まったく同じこと。だからこそそれは、「隠すべきこと」ではなく、むしろ「ひけらかすべきこと」なのだ。

なぜなら、沼田さんは、「牧師」という「肩書きの権威」に飾られた「特別な存在」であり、普通の「精神病院入院経験者」などではない、からである。
「牧師」である沼田さんは、「苦杯を舐めたキリストの似姿」といった、きわめて「通俗的にロマンティックな物語」を重ねて見ることのしやすい、「便利な存在」だということに、沼田さん自身、自覚的だったのだ。

したがって、沼田さんは、決して「牧師」という「肩書き」を捨てるわけにはいかない。たとえ「神を信じていない」としても、信仰を捨てることで、「牧師という肩書き」を捨てるわけにはいかない。
それを捨ててしまえば、沼田さんは「ただの人」になってしまい、「ただの精神病院入院経験者の一人」となってしまって、誰も沼田さんを「ありがたがってはくれない」からであり、そのことを誰よりも沼田さん自身が自覚しているからである。

だから、本書を最後まで読めばわかるとおり、「自分の中に、神がいることを信じていなかった」つまり「神の存在を信じていなかった」という、信仰者としての「重大な事実」についての、その先では、まったく何も語られないままになっている。まるで無かったことのように、スルーされてしまうのだ。
つまり、沼田さんの、先に引用したシーンでの、

『わたしはこのとき気づいた。自分が神の神殿であり、神の霊が自分の内に住んでいることを、このわたし自身ぜんぜん知らないし、信じてもいないと。』

という告白は、最大級の「衝撃的な告白」であり、その意味で「ドラマティック」なものではあっても、所詮それは、その場面を盛り上げるための「セリフ」でしかないから、その場面が過ぎれば、もう無かったかのように忘れられてしまうのである。

この後の、本書最大の「クライマックスシーン」は、次のようなものである。

『 (※ 閉鎖病棟で)就寝前にわたしたちが食堂でテレビを見ていると、その青年が横たわるベッドごと看護師に押されて、食堂に運ばれてきたことがある。枯れ木のような手足は、やはりベッドに拘束されている。看護師が言う。
「同室の患者が『こいつがわあわあうるさい』って言うんですね。今晩はここで眠ってもらうわ」
 看護師は彼の右腕に手際よく駆血帯を縛ると、睡眠薬を注射し、脈を測りながら様子を見ていた。わたしたちは固唾をのんで、彼と看護師を見守る。しばらくは大きな声を出していた彼の声の間隔が開き始め、その声も徐々に小さくなり、少しずつおとなしくなっていく。痩せ萎えた四肢を拘束され、意識を喪いゆく彼の恍惚とした表情。


十字架。


 これは十字架に磔にされた、イエス・キリストのイコン(※ 聖画)だ。その心臓が動き、あたたかい血が通っていたいるイコンだ。彼がここに拘束されているから、世のなかは「まともな」人たちだけで独占していられるのだ。世のなかの「まともさ」を彼が贖っているのだ。
 わたしはイエス・キリストによる十字架の贖罪の教理を、はからずも今ここで理解し、その残酷さを悟った。イエスは無実であったが、人間の暴力性の犠牲となり、十字架にかけられた。のちの人々は、彼の十字架上の死を、贖罪のための犠牲の山羊、すなわちスケープゴートとして理解した。
 今、ベッドの上に拘束されているされる彼は、社会の「まともさ」のためのスケープゴートである。いや、彼だけではない。この病院にいる人たちは皆、世のなかの「まともさ」を贖っている。

乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
この人は主の前に育った。
見るべき面影はなく
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
(イザヤ書五三章 二−四節 新共同訳)

 わたしはベッドの前に跪いた。他の人からは、わたしが彼をよく見るために近寄ってしゃがんだだけに思えただろう。だが、わたしはほとんど無意識に、なにかに衝き動かされるように跪いたのだ。日常生活はおろか、礼拝でさえ跪くことなどなかったのに。わたしは十字架に磔にされた「彼」を見たのだ。いつの間にか、彼は静かに眠っていた。』(P83〜87)

まるで「映画のクライマックスシーン」のようだが、しかし、実のところ、この場面は、意識してそのように書かれている。だてに、前後に「2行開け」をしてまで、

十字架。

などと、効果的に書いたのではない。
これは、キリスト教書などでよく語られる「回心」体験を、下敷きにした「シーン」なのだ。

「わたしはそこに、十字架のイエスを見た。」

というわけである。

醒めた言い方をするようだが、なかなかよく書けてはいる。

何かにつけて「感動したい読者」には、期待どおりの「描写」だが、しかし、冷静に考えれば、「神の存在を信じていない」沼田さんが、このような場面で、それを単に「そういう現実」としてではなく、「聖書的ビジョン」を二重写しにしたというのは、「感動したい読者」並みに、ただ「自己陶酔」したいだけか、あるいは、読者を酔わせるための「意図的な描写」かのいずれか、あるいはその両方でしかないだろう。

無論、この場面に行き当たったことで、それまで「神の存在を信じていなかった」沼田さんが、初めて「回心」体験をして「神の存在を信じるようになった=本物の信仰を持った」と考えてもかまわない。
だが、本書を最後まで読めば分かるとおり、沼田さんは、自身を回心させたこの青年のことを、その後、特別に気にすることもなく、病院を退院していき、その後、彼のことで動くわけでもなければ、精神治療の現場についての運動を起こすわけでもない。

沼田さんがもし、この青年によって、真の「回心」を得て、それまでの「偽物の信者」から「本物の信者」のなれたのだとしたら、彼は、沼田さんにとっての最大の恩人だと言ってもいいし、この経験は、この青年の身体を通して、神(主イエス・キリスト)が、沼田さんのために顕現した、と言ってもいいような、特別な経験である。
なのにどうして、沼田さんは、ここで「おお!」と感動しはしても、その後が続かないのだろうか?

それは無論、このシーンが、沼田さんにとっては「一場の感動劇」でしかないからであり、「読者に読ませるべき逸話」でしかないからである。

したがって私は、この場面での経験において、それまで「神の存在を信じていなかった」沼田さんが、「回心」を得て、「心から神を信じるようになった」とは思わない。

沼田さんは、「精神病院入院体験」のよって「自分は変わった」と言いたいのだろうが、私はそうは思わない。

たしかに、退院後の沼田さんは、信頼していた先輩牧師から「もう君には、牧師としての職務をまっとうするのは無理だ」と非情な宣告をされながらも、新しい教会に赴任して、それから5年間。ひとまず、大禍なく牧師を勤めているようだし、そればかりか、この「精神病院入院体験」を本にして世に問い、相応の反響があってのことだろう、先ごろ2冊目の著書『街の牧師 祈りといのち』を刊行してさえいる。
この第二著書は、目次を見るかぎりだが、世の中の広範な問題について語ったエッセイ集のようで、沼田さんは自らが望み続けた、「知識人」であり「著名人」の道を、順調に歩み始めたようなのだ。

だが、こうした表面的な「成功」と、「内面の問題」は、当然のことながら別問題であるし、ましてや「信仰」の問題とは、まったく無関係だ。

沼田さんは、本書の中で、かつての自分の「SNS依存」について、次のように語っていた。

『伝道のつもりで始めたツイッターで、わたしは自分語りばかり呟くようになっていった。ツイッターのなかだけでは、あなたたちが思っているより自分はずっとすごいんだぞと、一生懸命に虚勢を張った。ちなみに、こんにちではそれを「マウンティング」と言うらしい。マウンティングは動物社会で、自分の優位性を誇示しようとする行動。なるほど、うまく言ったものだ。
 自分のツイートに「いいね」がつき、リツイートされる。そうやってフォロワーが増えることに、わたしは射幸的快感を覚えるようになっていった。「いいね」やリツイート、フォロワー増を目指して、わたしは教会とは無関係の、個人的なことばかり呟くようになっていった。
 (中略)
 わたしは次第に仕事の愚痴さえツイッターに書くようになっていった。そもそも伝道のために取得したアカウントで、教会や幼稚園のイメージを下げかねないような愚痴を。
 もう内容がなんだったか想いだせないが、ある呟きが何百、何千とリツイートされたことがあった。脳内麻薬が分泌されるような快感。目的も意欲も見失い、孤独感を募らせていたわたしにとって、自分がおおぜいの人々から注目されている(と感じられる)ことが、ここまで分かりやすく味わえる体験は他になかった。
 そして一度この快楽を味わってしまうと、もう後には引けなくなった。柳の下の泥鰌を狙おうと、わたしのツイート頻度は鰻登りとなった。
 しかしなにが人々の注目を集め、なにがリツイートされるのかなど、予想できるものではない。「これこそ渾身のつぶやき!」とツイートしたのに誰からの反応もなかったとき、深い失望、落胆に襲われた。そしてじわじわ怒りが込み上げた。ムキになって呟きを畳みかけると、フォロワーが減った。なんで? なぜあの人はわたしをリムーヴ(※ フォロー解除)したんだ? わたしは自分をリムーブした人を追跡して、ときには媚びるようなリプライをすることすら惜しまなかった。もう一度フォローし返してもらいたい一心であった。
 リムーヴされただけでこれだけ落ち込むのである。ブロックされたり、批判的なリプライがついたりしたときの動揺たるや、恐慌状態であった。
 もはや仕事も手につかない。私は職員室でさえツイッターを開き続けた。ネットの大海に流すわたしの言葉に、誰かがなにか反応してはくれないか。職員室という無人島でわたしは待ち構えた。わたしが入院したのは先に書いたとおり、副園長先生とのトラブルがきっかけではある。しかしこれほどまでのツイッターへの没入、まるでアルコールや麻薬、ギャンブルに依存するようなそれは、今にして思えばそれだけでじゅうぶん入院してしかるべき状態であった(今は「ゲーム障害」という病名も正式にあるらしい)。
 じつは、入院の少し前からわたしは心身の不調を訴え、すでにこの主治医にかかってはいた。だがツイッターが気になって片時も頭から離れないことは、彼には隠していたのである。』(P134〜137)

最後の部分にあるとおり、沼田さんだって人間だから、不都合なことなんて「書かない(公にしない)」のであり、それはたぶん、今でも同じだ。

ともあれ、これは非常に生々しく「正直な告白」であると思う。
しかし、問題なのは、前にも指摘したとおり、こうした「失敗(挫折)体験」がすべて「過去のこと」として語られ、今の自分はもう、こんなふうに「承認欲求」に振り回されたりはしないと、そうであるかのように書いている点だ。

しかし、当然のことながら、「現実問題」は、そんなに甘くはない。
「依存症」対策を従事している人ならきっと、沼田さんが「著述家」になったことの危険性に容易に気づくはずだ。

たしかに、人間は変われる。しかし、それは百万人に一人くらいのことで「自分自身のことではない」と思うくらいに慎重であり、ストイックな自己懐疑(自己批評性)を持ち続けられる人でないかぎり、人は、変わることなどできない。一一したがって、容易に「自分は変わった」と思ってしまうような沼田さんは、「変われない」と考えた方が現実的である。

つまり、依存症の人間は、いくら「私は依存を乗り越えた。自分は変わったのだ」と思っても、自分が依存してしまったものに、再接近するべきではない。例えば、アルコール中毒になった人は、一度それを克服したからといって、「もう大丈夫。嗜む程度なら問題はない」などと考えるべきではない。

人は、そう簡単には「変われない」のだから『君子、危うきに近寄らず』というのは、最低限の心構えでしかない。しかし、それさえできないのであれば、その人は、そもそも変わってなどいなければ、乗り越えてなどいないということなのだ。

で、沼田さんの場合でいうと、そもそも彼が「SNS依存」になったのは、ご自分でも認めている「高すぎるプライド」を満たすためであり、「承認欲求」を満たすためである。
そして、その承認欲求は、ツイッターにおいても、ある時は、満たされた。一時は、天にも昇る気分にさせられたのである。

だが、それは原理的に「永続不能」なものでしかない。
人は「強烈な快楽」を経験してしまうと、当然、その経験を、何度でも求めるようになる。そして、それには止まらず、その「強烈な快楽」すら、すでに一度経験したものとして、経験すればするほど、得られる快楽は漸減するから、最後はそれが「当たり前」になってしまう。つまり「快楽」ではなくなってしまうのだ。

つまり、期待した「快楽」が得られ続けたとしても、その「快楽」は、早晩「快楽」ではなくなってしまう。
まして、その快楽さえ、なかなか得られないとなると、一度は「強烈な快楽」を経験しているだけに、それを求めずにはいられない、苦しみの方が多い「依存」に陥ってしまうのだ。

したがって、「依存症になったことがあるような人」は、いくら回復したとしても、その後は、決して人並み以上の「快楽」を求めてはいけない。
むしろ、人よりも「ささやかな幸福」で満足できる自分を目指さなければ、彼は早晩、同じ過ちを繰り返すことになるのは、必定なのだ。

で、今の沼田さんの問題は、かつての欲望(高いプライドに由来する承認欲求)を満足させるに足りる、「著述家」であり「知識人」になった、ということだ。

なるほど、これは喜ばしいことだし、満足も格別だろう。
だが、沼田さん自身も書いているとおりで、ここで「上がり」ではなく、沼田さんの人生はこの先の続いていくのであり、そこでは、「著述家」であり「知識人」あるという「承認欲求を満たす快楽」は、すぐに「当たり前」になってしまう(無化される)。

さらには、ツイッターで経験した『ブロックされたり、批判的なリプライがついたり』に類する、著述家としての「苦痛」体験、すなわち「本が売れなかったり、批判的・否定的な評価がなされたり」といった経験を必ずするわけだが、そのとき沼田さんは、再び「恐慌状態」に陥ってしまうに違いないのだ。

そもそも、「強すぎる承認欲求や自己顕示欲」という「業(呪い)」を乗り越えていたなら、牧師としては、「著述家」や「知識人」になる必要など、すこしも感じなかったはずなのだ。

それなのに、そちらへ進んでしまうのは、「ツイッター」とは別の、それ以上に強力な「著名人になる」という「麻薬」に、やっぱり手を出した、ということでしかないのである。

沼田さんは、牧師であると同時に「幼稚園の園長先生」の役職に就いたのだが、園児の保護者などに対する「伝道」活動は、公平性担保の見地から控えるようにと、副園長から釘を刺され、それでは自分の牧師として活動の手足をもがれたようなものだと感じたという。

『「学校法人は、ある程度宗教的に中立であることが求められます。そして先生は理事長かつ園長という責任あるお立場です。あまり特定の保護者に偏って接することは避けて頂きたいんです」
 特定の保護者に偏って接してはならない。誰に対しても均等に一一一一これはわたしにとって、伝道というものの持つ性格に、真っ向から対立するように思われた。
 キリスト教を誰かに伝えるというのは、「こういうアリガタイ教義がありますよ、みんな集まっていらっしゃい」みたいにおおぜいの人に呼びかける仕方では、なかなか実を結ばない。たしかに不特定多数の通行人にビラを配ったり、拡声器でメッセージを流したりする路傍伝道のような形式も、今なお健在である。だが路傍伝道にしても、もしも関心を持ってくれた人がいたら、やはり伝道者はその人に対して個人的に声をかけるのだ。つまりそれが出会う(出遭う)ということである。機械的に均等に、同じ言葉を誰に対しても繰り返していれば、そういう態度は相手にも伝わってしまう。「この人はどうせ、他の人にも同じように話しているんだろうな」と。そう思われたら、その人は去っていく。いきなり難しい教義の話をするのではなく、まず「あなたと出遭えてよかった」という喜びがあり、そこから相手の悩みを傾聴したり、共に食事をしたりする関係が始まる。
 そういうなかで、わたしが信仰を一方的に勧めるのではなく、相手が深いところで腑に落ちたとき、「わたしもこの宗教を信じたい」と思い始めるのだ。だが、そのような出遭いの仕方はたしかに、学校法人の長という観点からすれば、特定の保護者をひいきにしている、不適切な宗教勧誘と誤解されてしまう危険があったのだ。だから副園長先生はわたしに注意したのである。
 とはいえ、このような親密な人間関係を前提とした伝道ができない、基本的にしてはならないというのは、わたしにとって、それまで培ってきた自分流の伝道を封じられたようなものであった。』(P130〜132)

幼稚園が山の中にあり、周囲に人があまり住んでおらず、接しうる若い人といえば園児の保護者くらいしかいなかったので、おのずと、園児の保護者に声をかけることになったのだが、それも禁じられてしまった。それで沼田さんは、ツイッターに手を出した、という経緯である。

さて、ここで問題となるのは、ツイッターを始めたのは、個人対個人でなされるべき本来の伝道活動が困難であったためで、言うなれば「方便」としてのツイッターだったのだが、それが結果として、自身の「承認欲求」を満たすための道具に化けてしまったのだとすると、では、沼田さんが「著述家」になったのは、いったい「何のため」なのか、ということだ。

(路傍伝道)

「伝道のため」だとすれば、しかしそれは、ツイッターと同様、あるいはそれ以上に『不特定多数の通行人にビラを配ったり、拡声器でメッセージを流したりする路傍伝道のような形式』に近いのではないだろうか?
なにしろ、読者というのは、ツイッターのフォロワーとは違って、個別的存在として確認することはできず、あくまでも「売上数」として、その存在を間接的に確認できるだけだからだ。

つまり、沼田さんが、本気で「伝道こそが目的であり大事」だと考えているのであれば、所詮は「方便としての間接的手段」でしかない「著述」になど、ほとんど意味は無い。
むしろ、ツイッター同様の「承認欲求を満たすための行動」としてそれを始めたのなら、沼田さんは、なんら進歩していない、変わってなどいない、ということにしかならないのだ。

それでは、それ(著述活動)は、「伝道」活動ではなく、ごく当たり前の「社会活動」として、社会に貢献したいだけなのだ、という理屈はどうだろう?

それなら、一応の筋は通るが、いずれにしても、元アル中患者が、またアルコール類に手を出すの愚に等しいという点では、何も変わらないのである。

したがって、沼田さんが、念願かなって「著述家」になり、「知識人」として認知されたとしても、それで「幸せになれる」というわけではない。それが「上がり」なのではない。
むしろ、それは、ふたたび繰り返される「悪夢」の、とば口に立った、ということかもしれないのだ。

だから、沼田さんに言っておきたい。

あなたは本当に、「変わった」つもりなのか?
そして、あなたは、本当に今では「神の存在を信じている」つもりなのか?

私からすると、今のあなたは、入院中のあなたと、本質的に、何も変わっていないように見える。
だから、あなたの恩人たる、入院時代の主治医の次の言葉を、ここで繰り返して、確認してもらわないわけにはいかない。

『「先生、あなたは今さぞかし、わたしに自分のありのままを受け入れて欲しいでしょうね。『今までよく頑張ったね。おつかれさま。あなたは悪くないんですよ』と慰めてもらいたいんでしょう? そうやって労ってもらいたいんでしょうね。みんな周りのせいにして。でも、ここでやるべきことは、それじゃないんですよ。あなたがこれまで積み重ねてきた挫折の数々。あなたはそこにある共通点を見つけ出し、見つめ、内省を深めなければならないんです。そうでなければ、あなたはこれからも同じ挫折を繰り返すだけです。あなたはなにも変わらないでしょうね。ほんとうに変わりたいのあれば、あなたは自己の内面を見つめ、なぜ今こうなっているのか、自らの思考の癖について、考えを深めていかなければならないんですよ。それができないというのであれば、治療はここでお終いです」』(P120〜121)

もうひとつ、私がしばしば引用する文章を、ここでも紹介しておきましょう。
もしかすると、「mixi」時代にも引用して、紹介したことがあるかもしれません。それほど、私の問題意識に合致した文章です。
ここで語られているのは、「自己欺瞞」の底知れない深さの問題なのです。

『君は、自分のことを無私の革命家だと信じているだろう。確かに君は殉教の聖女を思わせる。しかし、とんでもない話だ。君の魂は傷ついた自尊心から流れ出す血と膿で溢れ返っている。なぜ君は人民を、生活者を、普通の人間たちを憎むのか。真理のために彼らの存在が否定されねばならないのだと君はいう。嘘だ。君はただ、普通に生きられない自分を持てあました果てに、真理の名を借りて、普通以下、人間以下の自分を正当化し始めただけだ。いや、君だけではない。すべての殉教者がそうしたものだ。(中略)殉教者こそが高利貸よりも計算高く自分の所有物にしがみつくのだ。高利貸が積みあげた金貨を卑しげな笑いを浮かべて撫で回まわすように、殉教者は自分の正義、自分の神を舐めまわすのだ。高利貸が、財産を奪うならむしろ火刑にしてくれと騒ぐように、殉教者は自分の財産、自分の所有物である正義の方がよほど大切なんだ。喜んで火刑にもなるだろう。ギロチンにもかかるだろう。守銭奴が一枚の金貨にしがみつくように、君は正義である自分、勇敢な自分、どんな自己犠牲も怖れない自分という自己像にしがみついているだけなんだ。(中略)君はなぜ怖いんだ。ほんとうの勇気があるなら認めてしまうんだ。君が、いや僕たちが、彼ら以下であるという事実を。彼らが豚なら、僕たちは豚以下だ。彼らが虫けらなら虫けら以下だ。豚以下、虫けら以下だからこそ、どうしようもなく観念で自分を正当化してしまうんだ。それを認めてしまうんだ。その時にこそ、微かな希望が、救済の微光が君を照らすだろう。そう、希望はある。身を捨てて、誇りも自尊心も捨てて、真実を、バリケードの日々を昏倒するまで生きることだ。太陽を直視する三秒間、バリケードの三日間を最後の一滴の水のように味わいつくすことだ。僕たちは失明し、僕たちは死ぬだろう。しかし、怖れを知らぬ労働者たちが僕たちの後に続くことだけは信じていい。』

(笠井潔『バイバイ、エンジェル』より)

私には今だって、あなたと討論する準備があります。しかし、あなたには、その覚悟がおありだろうか?


(2023年2月4日)

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