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温厲威恭...「おだやかでいて厳しく、おごそかであっても猛々しいところはなく...」
子、温(おん)にして厲(はげ)し。威にして猛(たけ)からず。恭にして安し。
(述而第七、仮名論語九七頁)
先師は、おだやかでいて厳しく、おごそかであっても猛々しいところはなく、うやうやしくて、しかも安らかな方であった。
待ち遠しい春の到来である。
何となく嬉しくなる。目をつむる。
雪が解け水温(ぬる)み、流氷は去る。
大地の黒、草木の緑とオホーツクの青が蘇る。
幼い頃のそんな春が一番嬉しかった
未知生死...「まだ生もわからないのに、どうして死がわかろう」
曰わく、敢(あえ)て死を問う。曰(のたま)わく、未だ生を知らず、焉(いずく)んぞ死を知らん。
(先進第十一、仮名論語一四六・一四七頁)
子路(孔子の弟子)が「死とはなんでしょうか」と問うた。
先師は言われた。「まだ生もわからないのに、どうして死がわかろう」
孔子の弟子、子路に限らず、死について問いたいと思うのは、古今東西誰も皆同じである。
人はどこから来てどこへ行くのか。
聖人賢人のみならず、
教民即戎...「君子とまではいかない善人でも、民に七年間教えたら、民を戦争に行かせることができる」
子曰わく、善人、民を敎(おし)うること七年、亦(また)以(もっ)て戎(じゅう)に即(つ)かしむべし。
(子路第十三、仮名論語一九九頁)
先師は言われた。
「君子とまではいかない善人でも、民に七年間教えたら、
民を戦争に行かせることができる」
「己の欲せざる所、人に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ」(顔淵篇、衛霊公篇)と言われた孔子であっても、民を教え、祖国のため、同胞のため、家族のために死ぬことを
夫子木鐸…「天下に道の行われないのが久しいので、天が先生を木鐸として、道を知らせようとされているのです」
-天下の道無きや久し。天將に夫子を以て木鐸と爲さんとす。
(八佾第三、仮名論語三五頁)
今年の元日、まどろんだ午後四時八分、能登半島地震が発生。
テレビを観ると、崩壊した家屋とゆがんだ道路の映像。
「逃げてください!津波が来ます!すぐに逃げてください」のアナウンサーの声。
しだいに増える死者と行方不明者。
二十九年前に体験した阪神淡路大震災の記憶が蘇り、胸が締めつけられた。
先の見えない不安を
有敎無類…「人は教育によって成長するもので、貴賤老若男女の別はない」
子(し)曰(のたま)わく、敎(おしえ)有(あ)りて類(るい)無(な)し。
(衛霊公第十五、仮名論語二四三頁)
先師が言われた。
「人は教育によって成長するもので、貴賤老若男女の別はない」
四月から新学期が始まる。
思いおこせば、小学校への入学は一番嬉しさと期待感があったように思う。
孔子が隣りの衛の国に行かれたとき、弟子の冉(ぜん)有(ゆう)が御者としてお供をした。
先師が車上から衛の様子