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💁『行動だけが自分を救う』と信じ続けてみた!【呼吸が乱れて、汗が止まらなくなったら その⑫】(ダイエット|バンド|人生を変える)

1998年。
汗が止まらなくなった。

中学の朝礼時間。
突然に。

呼吸も乱れて、自分ではコントロールできない状態へ。
このまま汗だくで死んでいくんだと思った。

ドサッ


知らないクラスの誰かが倒れた。


所詮そんなもんだ。
画伯ちゃんは病気でも障害でもなく、そして倒れることもなく。

全ての目を気にして、全ての不安と恐怖の中にいるだけだ。
それは他人にとっては理解しがたいもの。

言ってしまえば"まやかし"だ。
そう、まやかし。

不安も恐怖も。
"死にたい気持ち"も。

"まやかし"だ。

そして、包み隠さずに書き記すなら

楽しい、気持ちいい、面白い、ハラハラする、どよめく、つまらないなぁ、なんで目と目が合うだけで、ごめん手が触れちゃって、一緒にお祭り行こうよ、これも分け合お、見えなくなるまで見送りあうから帰れない、もうすぐ朝が来るよ、そのメロディーとこのメロディーを重ねたら、もうこんな時間だから、もう、スピーカーを四方向から鳴らすとトリップしちゃうんだって、お酒こぼしちゃった、永遠に愛してるって言うなら少しは、待って行かないでの右側、どうせ行っちゃうんでしょの左側、知ってるから、知ってたから、知りたくないから、知らしめようとするから、知ったかぶるから、知り尽くしてほしいから、傷が増えるたびに喜びが増すから、殴られたい、殴りたい、○○したい、○○されたい...


これらも"まやかし"だ。
いや、"まやかしだった"のかもしれない。


できれば最後は笑って死にたいな。
月明かりの下で、腕を組んで踊って。

2人だけの時間で。
2人だけの場所で。
2人だけの記憶で。

「ねぇ、月まで一緒に」

「うん、必ず一緒に」


それから全てが
​​───"影に包まれたら"いいんだけどな​​───

ドサッ


あぁ。
気を紛らわせようとしていたのに。


また別の誰かが倒れた。


呼吸はさらに荒さを増し、両手は口の前。
腕で時おり顔を覆っていたのは、汗が誰にもバレないように。

​​───俺はこれを繰り返して"暗闇"を待つだけ...?​───


呼吸が乱れて、汗が止まらなくなったら その⑫


2016年 夏。

精神科の主治医への不信感は、もう我慢の域を超えていた。

5分未満の診察、納得のいかない診断。
度重なる薬の変更、匙を投げて入院勧告。

落ちていくばかりで鬱状態。
通院すらやめてしまいそうだった。


しかし、春から通い始めた障害者施設で出会った"友達おじさん"と会話したことで、人生が変化し始めていく。

彼の通う精神科の主治医が、
自分にも合いそうだと感じたからだ。


すぐさま転院を決意。


そして夏の終わり際。
障害者施設の勧めで"訪問ヘルパー"の利用を開始。


ヘルパーさんとの記事はこちら↓↓↓


2016年 秋。
転院先の初診日が12月6日に決定した。

その時はヘルパーさんが"同行する"ということも。

↓精神科の年史↓

2015夏 / 初めて精神科に通う(岡山県)

2016年明け / 転院(大阪府)
2016梅雨頃 / 障害者手帳の申請

2016暮れ / 転院(現在の精神科)
2018初頭 / 障害者手帳の等級変更(3級→2級)

2018梅雨頃 / 障害年金の申請(障害基礎年金)


2016年当時は
"統合失調症の疑い""社会不安障害"

という診断。


2018年春。初診から1年半ほど経過。
転院先で新しい診断名がついた。


統合失調感情障害


そして、
当時の状況は...

障害者手帳2級。
障害基礎年金2級。

ヘルパーの利用
訪問看護の利用
自立支援医療制度の利用
地域の障害者施設の利用


診断書に書かれていた内容は...

発達障害の検査(発達検査/知能検査)は
ワーキングメモリが76で有意に低く、IQは88。

検査自体を面白がって受けていたため、能力を反映できていない印象。
発達の問題というよりは、精神病的な認知の問題と判定。

日常生活、社会面ともに不安定。自己コントロールは困難なため常にサポートが必要。
労働は現時点では困難。


そう書かれていた。

"まやかし"だと信じ切ろうとしていた中学時代。
どうやら障害であり病気だったようだ。

だとしたら、この汗と呼吸は...

治療や自分の認知次第で
改善する可能性もあるということ...?

​​

───自分の行動次第で、自分を救える......?​───



前回までの汗と呼吸↓↓↓

1話目↓↓↓

長編まとめ↓↓↓


新しい精神科に転院してから

・福祉施設で出会った"友達おじさん"のおかげで現在の精神科に通院開始。
・担当になった新卒ヘルパーさんに診察室まで同行してもらう日々。
・同時に記録を付けてもらい、画伯ちゃんが意味や意図を理解できなかった部分があれば、振り返りながら教えてもらっていた。
・ヘルパーさんには"電車や買い物、通院の待合室、診察室、薬局、様々な場所"での"不安や恐怖"を散らしてもらう役目もお願いしていた。
(次第に慣らして、画伯ちゃん1人でも外出が平気になるように。依存ではなくリハビリ的なやり方で)

・主治医は慎重かつ、種類も多く出さない処方スタイル。
・様々な薬を一種類ずつ試していく日々が続いた。


ちなみに過去のお薬手帳一覧は
こういった感じ↓↓↓

画像1

画像2

画像3


そして現在の処方はこちら↓↓↓
(増えすぎなのよ😂)

画像4



その後の精神科の出来事は...

・2017年12月。障害年金申請のGOサイン。
・2018年1月。担当ヘルパーが転職を決意。
・年金申請前に他に何もないかを含め、信用できる担当ヘルパーが居てくれるうちに様々な検査を受けていくことに。

・2018年3月。脳波検査(少し揺れがあるが問題とまではいかない程度。男性の検査技師に男性器を身体にこすりつけられる事件発生)
・2018年4月。発達検査(知能検査)。結果は前述の通り。

(以降は前回記事の通り)


その発達検査のあと、
担当ヘルパーと梅田(大阪)で食事をしてお別れした。


その頃の模様はこちら↓↓↓


担当ヘルパーが去ってからの気持ち


長い付き合いの担当ヘルパーがいなくなった。
それでもマイナスな変化はあまり起きなかった。

嬉しかったのは、電車、密閉空間、エレベーター、待合室、診察室、市役所等での申請など、いろんな場面での不安や恐怖が確実に減ってきていたこと。

誰かと行動して慣らしていくと、どうやら認知も変化していくみたいだ。
もちろん精神科医の投薬および、診察時に思考の修正をしてもらえた効果も大きいと思う。
新しい主治医、辞めてしまった担当ヘルパー。
この2人を心から信じていた。

今でも信じている。
ありがとう。

そのうちの1人が去っていった。
それでも落ち着きつつある汗と呼吸。


もしここでまた酷くなったら、
お世話になった日々を台無しにしてしまう気がした。

ここで立ち止まってはいけない。
怯えていてはいけない。

行動を重ねていくべきだと考えた。

IQ88の画伯ちゃん。
それでも必死に考えた。

降りかかる予期不安、過剰不安に殺されたくはない。
数ミリほど先にいる"まやかし"なんてものは、やはり"まやかし"にしか過ぎないんだ。

俺はやるしかない。


"行動だけが自分を救う"はずだ。


目標を見つけた画伯ちゃん | 2018年


担当ヘルパーが変わるも、ある程度の期間で新しいヘルパーさんとも心が打ち解けていった。
生活も通院時も混乱なく移行は完了。

前担当との日々は画伯ちゃんを大きく変えていたが、軽躁状態による万能感も少しはあったのかもしれない。

それでも現在までの波の中で、社会に対する恐怖や不安が減少していくのを確実に体感していた。

・主治医の判断で、新しいヘルパー以降は画伯ちゃん1人での診察に切り替わった。(自宅から待合室まではヘルパー同行)

・施設で2年連続バスレク企画を打ち立てた。市役所から福祉バスをレンタル。企画構成や司会進行までを(友達おじさんと一緒に)したり。これらをこなしたことで、更に自信がついていった。


2018年は変化の境目が見えていた。
"勝負をかけるしかない"と感じていた。

そこで目標を掲げることに。

自分の人生を振り返ると、
死ぬまでにやり残したことは"1つ"しかなかった。


たった"1つ"だけ。
何年間も夢見ていたもの。


それは

『バンドの結成』だ。

"自分の作った音楽をプレイしていく日々"を作り出すのが目標。

『バンドで演奏する』
それだけできれば後はどうなってもいい。

バンドは不思議なものだ。

不安定な汗と呼吸さえ、曲に変えることができる。
コンプレックスも悩みも。喜びも愛情も。

自分の良いも悪いも、何もかもを巻き込んでいく。
そして世界に見せつけることができる。
"表現"がしたいだけなのかもしれない。
無から作り、各自の形に仕上げる。

"表現"には誰かを突き動かす可能性さえある。
だから面白い。

面白いんだよな😊


過去のバンド↓↓↓


2000年から2012年頃までバンドをしていた。
しかし壊れていった。

そういった数年前のことを思い返すと、新たに動き出して立ち向かうのはとても怖い。
また同じ"絶望と対峙する"かもしれないから。


第1段階目|ダイエット


まず段階を踏んでいこう。
バンドに関して動く前に"できること"を達成してみよう。


少しずつ自信をつけていこう。


その当時。行動して自信がつくこととは何かを考えた。
わかりやすく"他者からの評価"が変わるようなこと。


『見た目を変える』


これしかないんじゃないか?
陸上部をしていた中学時代以外は"太っていた"画伯ちゃん。

見た目を変えてみようじゃないか。
胸の奥で"絶対に達成する"と誓った。



ダイエット記事↓↓↓

ダイエットの日々↓↓↓


2018年に『115kgあった体重』は
2020年に『75kg』をきった。


それに伴って
『汗と呼吸』も安定していった。

痩せてから冬を迎えた時は、不思議な感覚だったな。

冬は寒い。冬の電車は暑すぎるものじゃない。
痩せたことで、初めてみんなと同じ気持ちを体感することができた。

脂肪が減ったから?
自信がついたから?


電車、買い物、人の多いところ、1人きりの行動。
一般的に世間のみんなができることが"出来るように"なっていった。

そして初対面の人にも、以前からの知り合いにも
印象が良くなったのか対応(コミュニケーションや相手の反応)が変化していった。

"世界"を変えることができた。
"自分"を変えることができた。


"行動だけが自分を救う"


その信念が正しいと信じ、
さらに突き進んでいくようになった。

接していて他者の笑顔が増えたように思う。
見た目が変わったのは、相当効果が大きかった。

世界まで変わったんだ。


第二段階目|バンド

2019年 秋。
ダイエットは段階的に成功していた。

半年後の2020年初めには"目標体重に達する"ことが目に見えていた。
"そろそろ動きださなければ"と考え始めた。


『自分の曲を演奏する、自分のバンド』を組むために。


そして
そのために"デモ音源"を作成していった。


ラフDEMO2019(ストリーミング音源)↓↓↓


この11曲を元に"過去の仲間たち"にアポを取っていく。
そして2020年1月に生まれたのが


『クリーンマンションズ』


"自分の曲を演奏する、自分のバンド"を結成することに成功した。
昔の仲間がベースとドラムとして共に演奏して、バンドメンバーになってくれた。

3人のバンドだ。
クリーンマンションズは。

どうも、はじめまして。
クリーンマンションズの"YouTubeをチャンネル登録"してほしいです!

上記の"Kateという曲"を聞いてみてもらえないでしょうか?
どんなバンドか伝わると思うんです。
そして"チャンネル登録や高評価"に手が動いてしまうと思うんです。


あとがき


1998年。
汗が止まらなくなった。

中学の朝礼で突然に。

何もかもを壊しながら、
そして直しながら辿り着いたのが今。


精神科に通い、福祉に出会い、介護に出会い、様々な人々に出会い、障害や病気の認知を高め、様々な改善を試みた。

運命や偶然の積み重ねもある。
手を差し出した。世界に掴んでもらえた。

誰にでも"何か"は必ず訪れる。

行動すれば、
その"何かの訪れ"は格段に増えるようだ。


画伯ちゃんは掴もうと"行動"して手にした。

死にたい。
死にたかった。


それでもバンドだけが心残りだった。
舞台の上にもう一度上がりたかった。

本当は死にたくなかったんだろうな。


面白い曲を作って、面白いステージングをして、面白い作品を残したかった。

大好きな人を笑わせたかった。
大好きな人に笑わせてもらいたかった。


自分が機会を作らないと、作ろうとしないといけない。
何も始まらないことだけを理解したまま死んでいくことは

やっぱり悲しい。
やっぱり切ない。


"やってやってやりまくっていく側の人間になってもいいじゃないか"
と思えた。

2018年を境に。


"行動して何も変わらなかったら死ねばいいじゃないか"
と思えたんだ。


"行動だけが自分を救う"


そう信じきった。

画伯ちゃんは
"社会に馴染めていない側の人間"だ。


そんな『統合失調感情障害の患者』でも、
ここまではいけたんだよ。

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(統合失調感情障害の患者はどうなっていく?)

世界は変えられる。
ここまでやれる。
目標は体現できる。

この視点で進めば『夢は全部叶えられる』はずだ。
要は持続するだけ。やり続けるだけ。

"絶対に面白い"と思うことを。
(自分の熱意ある部分に従って)


"やってやってやりまくっていく"


それだけなんだと思う。


あとがき2

でももし...
また...

呼吸が乱れて汗が止まらなくなったら...

いやいや。もう大丈夫。
もうこの汗と呼吸シリーズに解決方法は全て載せてあるから。

いつでも、この感覚にまでは戻ってこれるから。
目の前の君も、自分の視点で考えて生きていてほしい。

俺たちは絶対に面白いことができる。
(本能を、自分を、世界の仕組みを信じてほしい)



あとがき3

それでも、まだ1つ残っていた。

画伯ちゃんの怖いものが。
汗と呼吸の乱れるものが。


それは

『髪を切ること』


1998年から1度も、1人では行けなかった。
友達、元カノに2015年まで切ってもらっていた。

2016年からは、障害者施設のスタッフさん、施設の友達、ヘルパーさんに町の理容室まで付き添ってもらっていた。


付き添ってもらっても止まらない汗。
震える呼吸。鏡を直視できない自分。


ここを克服することを
『最終目標』に設定した。


いつか

『美容室』と呼ばれるところに行ける日が来たら...
"汗も呼吸も"乱れずに居れる時が来たら...

すべてを"克服"できたんだと納得できる気がした。
1998年からの全てを。

2019年3月。


そのことを
後任のヘルパーさんに話すと


「わたしの行きつけのところ一緒に行こう!」


突然、人生が大きく動きだした。
人生初の"美容室"に行くことが決まった。


はたして...

画伯ちゃんは"人生で1番苦手な場所"に行けるようになったのか?
不安や恐怖に打ち勝つことができたのか?


1998年から続く
この不安と恐怖に。

汗と呼吸はどうなっていくのか...?


次回 初めての美容室編へつづく


散髪中に呼吸が不安定になると汗だくになっていく。
イスに固定されカバーと密着状態になると、恐怖心で汗が出て呼吸が乱れていく。そして髪が切れないほど汗だくになるんだ。

頭がびちゃびちゃすぎて散髪できない時があった。
それがトラウマや引き金となって、1998年の朝礼時の汗や、電車やエレベーター内の恐怖心に繋がっていく。

このトラウマを越えられたなら、ここまでの"行動の総決算"としてわかりやすい節目になると思った。

何より、行動して慣らしていけば"美容室も平気になるはず"だと踏んだ。
こう振り返ってみると"行動だけが自分を救う"="自分なりの認知行動療法"だったのかもしれないな😂

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