ゼノ哲学

精神世界を現実的に解釈することに挑戦中。神話や聖書を歴史的観点から時間的距離を範囲内に…

ゼノ哲学

精神世界を現実的に解釈することに挑戦中。神話や聖書を歴史的観点から時間的距離を範囲内に存在の意味を追求して因果関係を証明。 智を愛すること(哲学)の魅力をお伝えします✨

記事一覧

神々が生んだ狂乱

前回は、死んだ妻を蘇らせるために冥界へと侵入したオルフェウスは、冥界の王との約束を果たせなかったため、妻を取り戻せなかったという切なくて悲しい神話のお話でした。…

ゼノ哲学
9日前
79

【ピタゴラス・ソクラテス・プラトン】神話が創造した哲学

真実に気づく人とと、気づかない人がいるとします。 哲学書『共和国』の中にある『洞窟の比喩』の寓話の中では、真実に気づいた人は真実に気づかない人を哀れんで彼らに真…

ゼノ哲学
1か月前
263

物質世界を完成させた男、ルネ・デカルト

今日はハイデガーの哲学の続きから入ろうと思います。 前回の記事はこちらです。宜しければこちらもご覧くださいませ。 精神世界といえば、霊的な世界を指すこともありま…

ゼノ哲学
2か月前
340

力を与える代償に人間の精神を支配する石

「地上の全ての民が」聖なるものに近づくことができる、救いを得ることができると教えられているユダヤ教ですが、その教えの中で神は、アブラハムの子からイサクだけを、イ…

ゼノ哲学
3か月前
378

歴史の荒波の中で祈り続ける殉教者

今日は、改心した野蛮人たちに秦氏がいる根拠を書いていこうと思います。 前回までのお話はこちらです。 改心といっても、私達が思い浮かぶような改心もあるかもしれませ…

ゼノ哲学
4か月前
373

使徒パウロによる布教の結晶、野蛮人の回心と改心

哲学を語りたいのですが、やはり、その後のケルト人に関して記事にしたほうがよりいい内容になると思いましたので、再び歴史の話に戻ります。 ガラテアのケルト人時は紀元…

ゼノ哲学
5か月前
320

精神性が物質社会として世界に投影されるとき

いつも使っているトイレットペーパーがなくなったとき、毎回、スーパーやドラッグストアで買ってきては使い、またなくなったら買ってきてと、トイレットペーパーは日常のル…

ゼノ哲学
5か月前
493

奥三河の絶景

ゼノ哲学
5か月前
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自我に飲み込まれない高貴な精神性を持つ民たち

盛者必衰。 日本人なら誰でも聞いたことがある言葉、平家物語に出てくるお馴染みのワードです。栄えたとしてもいづれは衰えるのは、自然の摂理として誰もが理由もなしに…

ゼノ哲学
5か月前
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正義は悪なのか、善なのか?舞台裏ででき上がった名前入りの足跡。

昔々、とある町に凶悪と言われる一人の男が現れました。 男は生まれてから一度も髪を切ったことがなく、その時代でも珍しいほどの長髪でした。 男は一人の女性に恋をして…

ゼノ哲学
6か月前
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忘却したときは、以前認識されたものとあらゆる存在関係が一見消え去ってしまうように思われるが、何を忘れるのかさえ「私」を定義する。

ゼノ哲学
7か月前
77

世界とは、認識できる事物的に存在しうる一切の存在者を意味している。世界は、配慮的、かつ気遣いをする「私」の一つの性格なのである。よって、個人の性格だけではなく、その人の中にいる存在者まで考察しなければいけない。なぜなら、共通の存在者だとしても認識によっては全く違う性格だからである

ゼノ哲学
7か月前
57

敵は内にあり。白人至上主義が誕生するまで

新約聖書に登場する使徒パウロは、私たち一人ひとりの内面には戦いがあるという事実を認識していました。すべての信者は、戦わなければならない "内なる敵 "を持っています…

ゼノ哲学
7か月前
54

運命的なもの。それは、例えば、配偶者と出会ったとき、天職につくきっかけや避けられない死に対して、運命的なものであるとしばしば解釈されるが、普段の生活の中で気にとめることがない場面ごとの現象が、用意されている運命的なものであるはずなのに自己都合による責任回避によって誤解されている。

ゼノ哲学
7か月前
39

あらゆる立場で配慮的な気遣いをする私は、その人間関係が置かれる環境という名の空間(物体性)において基礎づけられている。
固有の内部で出会われた存在者と事象が運命づけられている現実と認識したとき、人ははじめて私を悟るのである。同時に存在者と空間性を見抜く洞察が可能となる。

ゼノ哲学
8か月前
25

「私」の中には、家庭や職場といったあらゆる立場の配慮的な気遣いをする私とそれ以外の私が存在する。私の世界は、この配慮的な気遣いによって認識された世界に心を奪われているのである。私とは、そのときどきの立場で閉じ込められているおのれの内面から出てゆかず、常に「外部」に存在している。

ゼノ哲学
8か月前
28
神々が生んだ狂乱

神々が生んだ狂乱

前回は、死んだ妻を蘇らせるために冥界へと侵入したオルフェウスは、冥界の王との約束を果たせなかったため、妻を取り戻せなかったという切なくて悲しい神話のお話でした。そこから現代の土台となる物質的哲学が誕生したということでしたね。

それでは、今回は反転させて信仰的な面を見ていこうと思います。

実は、オルフェウス神話には続きがあります。
妻を取り戻せずに冥界から地上に帰ったオルフェウスは、妻を取り戻せ

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【ピタゴラス・ソクラテス・プラトン】神話が創造した哲学

【ピタゴラス・ソクラテス・プラトン】神話が創造した哲学

真実に気づく人とと、気づかない人がいるとします。

哲学書『共和国』の中にある『洞窟の比喩』の寓話の中では、真実に気づいた人は真実に気づかない人を哀れんで彼らに真実を訴えます。しかし、真実に気づいた人は真実に気づいたあと、怪我をしていました。
それを見た真実に気づかない人たちは、ああなりたくはないと思い同じ行動をとることを嫌がります。もちろん、彼らが言っていることを信じようともしません。
可能であ

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物質世界を完成させた男、ルネ・デカルト

物質世界を完成させた男、ルネ・デカルト

今日はハイデガーの哲学の続きから入ろうと思います。
前回の記事はこちらです。宜しければこちらもご覧くださいませ。

精神世界といえば、霊的な世界を指すこともあります。神といえば誰でも思い浮かべることができるかもしれません。
魂と肉体。人間は一度死ぬと、なんらかのきっかけで再び生まれ変わり、新たな一生がはじまる。そんな輪廻転生は、魂と肉体が別にあるという霊肉二元論からはじまりました。

しかし、ハイ

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力を与える代償に人間の精神を支配する石

力を与える代償に人間の精神を支配する石

「地上の全ての民が」聖なるものに近づくことができる、救いを得ることができると教えられているユダヤ教ですが、その教えの中で神は、アブラハムの子からイサクだけを、イサクの子からはヤコブだけを選んだとされ、やがてその末裔たちは選ばれし民として知られるようになります。
しかし、神に選ばれた民たちのはずが、神の使いとして選ばれた民によって裁かれた歴史もありました。

そして、使徒パウロの言うようにユダヤ人が

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歴史の荒波の中で祈り続ける殉教者

歴史の荒波の中で祈り続ける殉教者

今日は、改心した野蛮人たちに秦氏がいる根拠を書いていこうと思います。
前回までのお話はこちらです。

改心といっても、私達が思い浮かぶような改心もあるかもしれませんが、考え方やこれまでのやり方を変えるような改心も含まれますので、秦氏だから全ての秦氏がいつも善を行ってきたと捉えるのは少し安易のような気もします。しかし、野蛮人たちや秦氏によって築き上げられた文明は、現代人の生活になくてはならないものば

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使徒パウロによる布教の結晶、野蛮人の回心と改心

使徒パウロによる布教の結晶、野蛮人の回心と改心

哲学を語りたいのですが、やはり、その後のケルト人に関して記事にしたほうがよりいい内容になると思いましたので、再び歴史の話に戻ります。

ガラテアのケルト人時は紀元前278年。ガラテアはアナトリア中北部の地域でケルト系ガリア人が定住しました。「ガリア」はギリシャ語で、ラテン語では「ガリ」と呼ばれたようです。

隣接するビテュニアの王ニコメデス1世(在位:紀元前278年~255年)からケルト人はこの地

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精神性が物質社会として世界に投影されるとき

精神性が物質社会として世界に投影されるとき

いつも使っているトイレットペーパーがなくなったとき、毎回、スーパーやドラッグストアで買ってきては使い、またなくなったら買ってきてと、トイレットペーパーは日常のルーティンの中で『物』として存在しています。すぐ取り換えるものなので、できれば安いものがいいでしょう。人によっては漂白剤を気にする人もいるかもしれません。定期的にやってくる忙しい合間に済まさないといけない用事ですので、なくなったら自宅よりも職

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自我に飲み込まれない高貴な精神性を持つ民たち

自我に飲み込まれない高貴な精神性を持つ民たち


盛者必衰。

日本人なら誰でも聞いたことがある言葉、平家物語に出てくるお馴染みのワードです。栄えたとしてもいづれは衰えるのは、自然の摂理として誰もが理由もなしに理解できる避けられない運命ではないでしょうか。

それにも関わらず聖書のダン族は政府ではない立場で結果的に国家を支配し、彼らの信仰を先の未来に残すことにも成功しました。各国に残るダンの名前は、ダン族の強さの証明ともいえます。

聖書で蛇を

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正義は悪なのか、善なのか?舞台裏ででき上がった名前入りの足跡。

正義は悪なのか、善なのか?舞台裏ででき上がった名前入りの足跡。

昔々、とある町に凶悪と言われる一人の男が現れました。
男は生まれてから一度も髪を切ったことがなく、その時代でも珍しいほどの長髪でした。

男は一人の女性に恋をして、その女性が住む町で結婚をします。
祝いの席には彼女が住む町の人々30人を招待して、ごちそうをふるまいました。それはそれは楽しい宴になるはずでした。

しかし、突然、男は賭け事をしようと言いだし、その場の空気は一変します。

『この謎を解

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忘却したときは、以前認識されたものとあらゆる存在関係が一見消え去ってしまうように思われるが、何を忘れるのかさえ「私」を定義する。

世界とは、認識できる事物的に存在しうる一切の存在者を意味している。世界は、配慮的、かつ気遣いをする「私」の一つの性格なのである。よって、個人の性格だけではなく、その人の中にいる存在者まで考察しなければいけない。なぜなら、共通の存在者だとしても認識によっては全く違う性格だからである

敵は内にあり。白人至上主義が誕生するまで

敵は内にあり。白人至上主義が誕生するまで

新約聖書に登場する使徒パウロは、私たち一人ひとりの内面には戦いがあるという事実を認識していました。すべての信者は、戦わなければならない "内なる敵 "を持っています。この肉と御霊との生涯をかけた戦いは、私たちが死ぬまで続きます。

イエスもまた、別の言葉で内なる敵について語りました。ゲッセマネで眠りこける弟子たちに向かって、イエスは祈るように諭し、彼らが祈らなければならない理由を述べました: 「霊

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運命的なもの。それは、例えば、配偶者と出会ったとき、天職につくきっかけや避けられない死に対して、運命的なものであるとしばしば解釈されるが、普段の生活の中で気にとめることがない場面ごとの現象が、用意されている運命的なものであるはずなのに自己都合による責任回避によって誤解されている。

あらゆる立場で配慮的な気遣いをする私は、その人間関係が置かれる環境という名の空間(物体性)において基礎づけられている。
固有の内部で出会われた存在者と事象が運命づけられている現実と認識したとき、人ははじめて私を悟るのである。同時に存在者と空間性を見抜く洞察が可能となる。

「私」の中には、家庭や職場といったあらゆる立場の配慮的な気遣いをする私とそれ以外の私が存在する。私の世界は、この配慮的な気遣いによって認識された世界に心を奪われているのである。私とは、そのときどきの立場で閉じ込められているおのれの内面から出てゆかず、常に「外部」に存在している。