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【ピタゴラス・ソクラテス・プラトン】神話が創造した哲学
真実に気づく人とと、気づかない人がいるとします。
哲学書『共和国』の中にある『洞窟の比喩』の寓話の中では、真実に気づいた人は真実に気づかない人を哀れんで彼らに真実を訴えます。しかし、真実に気づいた人は真実に気づいたあと、怪我をしていました。
それを見た真実に気づかない人たちは、ああなりたくはないと思い同じ行動をとることを嫌がります。もちろん、彼らが言っていることを信じようともしません。
可能であ
物質世界を完成させた男、ルネ・デカルト
今日はハイデガーの哲学の続きから入ろうと思います。
前回の記事はこちらです。宜しければこちらもご覧くださいませ。
精神世界といえば、霊的な世界を指すこともあります。神といえば誰でも思い浮かべることができるかもしれません。
魂と肉体。人間は一度死ぬと、なんらかのきっかけで再び生まれ変わり、新たな一生がはじまる。そんな輪廻転生は、魂と肉体が別にあるという霊肉二元論からはじまりました。
しかし、ハイ
力を与える代償に人間の精神を支配する石
「地上の全ての民が」聖なるものに近づくことができる、救いを得ることができると教えられているユダヤ教ですが、その教えの中で神は、アブラハムの子からイサクだけを、イサクの子からはヤコブだけを選んだとされ、やがてその末裔たちは選ばれし民として知られるようになります。
しかし、神に選ばれた民たちのはずが、神の使いとして選ばれた民によって裁かれた歴史もありました。
そして、使徒パウロの言うようにユダヤ人が
歴史の荒波の中で祈り続ける殉教者
今日は、改心した野蛮人たちに秦氏がいる根拠を書いていこうと思います。
前回までのお話はこちらです。
改心といっても、私達が思い浮かぶような改心もあるかもしれませんが、考え方やこれまでのやり方を変えるような改心も含まれますので、秦氏だから全ての秦氏がいつも善を行ってきたと捉えるのは少し安易のような気もします。しかし、野蛮人たちや秦氏によって築き上げられた文明は、現代人の生活になくてはならないものば
自我に飲み込まれない高貴な精神性を持つ民たち
盛者必衰。
日本人なら誰でも聞いたことがある言葉、平家物語に出てくるお馴染みのワードです。栄えたとしてもいづれは衰えるのは、自然の摂理として誰もが理由もなしに理解できる避けられない運命ではないでしょうか。
それにも関わらず聖書のダン族は政府ではない立場で結果的に国家を支配し、彼らの信仰を先の未来に残すことにも成功しました。各国に残るダンの名前は、ダン族の強さの証明ともいえます。
聖書で蛇を
敵は内にあり。白人至上主義が誕生するまで
新約聖書に登場する使徒パウロは、私たち一人ひとりの内面には戦いがあるという事実を認識していました。すべての信者は、戦わなければならない "内なる敵 "を持っています。この肉と御霊との生涯をかけた戦いは、私たちが死ぬまで続きます。
イエスもまた、別の言葉で内なる敵について語りました。ゲッセマネで眠りこける弟子たちに向かって、イエスは祈るように諭し、彼らが祈らなければならない理由を述べました: 「霊
あらゆる立場で配慮的な気遣いをする私は、その人間関係が置かれる環境という名の空間(物体性)において基礎づけられている。
固有の内部で出会われた存在者と事象が運命づけられている現実と認識したとき、人ははじめて私を悟るのである。同時に存在者と空間性を見抜く洞察が可能となる。
「私」の中には、家庭や職場といったあらゆる立場の配慮的な気遣いをする私とそれ以外の私が存在する。私の世界は、この配慮的な気遣いによって認識された世界に心を奪われているのである。私とは、そのときどきの立場で閉じ込められているおのれの内面から出てゆかず、常に「外部」に存在している。