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000 投稿にあたり
2007年5月に東京から南信州に家族3人で移住しました。先代にここでの暮らし方を学び、2008年5月からほぼ専業で執筆活動を始め、予定1年を大幅に越え、2010年7月に原稿『小さなカタストロフィ』(真の社会貢献は自給自足の方向にある、本当は誰もが知っている社会問題の解き方)(microcatastrophe)が完成しました。
それから、9社に審査して頂きましたが、不採用になりました。
その後
「恋人達は、とても幸せそうに手をつないでつないで歩いているからね。まるで全てのことが上手くいっているように見えるよね。真実(ほんとう)は二人しか知らない。🎵」浜崎あゆみ(appears)
096 「はなし」の終わりに
洒落臭い文言を並べてもどうにも気になることがある。
それは、読書後感についてである。
本来、読書後感などは自由でしかるべきである。
しかし蛇足とわきまえつつも、一言いって筆をおくことにする。
この書を読んで、もし「はなし」以上に何かを感じたとしたら、それは早合点です。
いずれ失望に代わります。
それは「はなし」以上に何かを入れていないからです。
この書を読み興味を持った分野の色々な本を読めばわか
095 すべての学問のとき方
社会学には「社会問題は社会の病気」という前提がある。
その社会を構成している要素は個人である。
その個人のなかで社会不適合者を対象にしているのが心理学である。
心理学には「すべての愛は自己愛である」(愛する自分を愛す)という前提がある。
社会学の前提を心理学の前提で解いてみる。
その心は「すべての社会問題は自己病気」となる。
「すべての見立ては自己(自分自身の)見立て」なのだから当然である。
こ
094 ものいう肩書き
肩書きをみれば、どんな人物か検討がつく。
肩書きがあれば、相手が察してくれ、話がとおりやすくなる。
肩書きがものをいう場面は多くある。
いろいろなメディアを通じ、多くの公言を目にする。
そのすべての公言は、発言者の立場に基づくものである。
だから、よくよく聞いて行動するなら、結局は発言者と同じ立場に立つことになる。
社会における立場とは社会的役割である職業に還元される。
職業は色々あるから社会
093 すべて変える
すべては時々刻々と変化している。
すべてには、経緯がある。
すべてには、事情がある。
すべてには、存在価値がある。
すべてには、尊厳がある。
だから、すべては、否定されない。
一方、社会は進歩している。
科学技術は深化している。
文化は画一化になっている。
生活はスマートになっている。
それまでのものは、否定されている。
社会の進歩は、社会内で分業・細分化・大量生産・代行サービスの促進である
092 金のたまたまたま
(第1章 013 金のたまたま の続き)
心の奥にしまった金の玉を少しずつ表に出した。
なんだか気分はよくなっていくようだった。
だんだん、出し方のコツもわかってきた。
なんとか、すべて出し終えることができた。
さすがに金の玉は違った。
見ていて惚れ惚れした。
どうせならと、すべての金の小玉を溶かして一つにした。
もとの金の玉に戻った。
また錆びついていた銀の玉を磨いた。
銀の玉では、金の玉
085 自尊・他尊・全尊・無尊・空尊・自尊
ものさし(価値観)とは、自分自身である。
だれかが、なにかを決めても、ちがうと思えば違うのだ。
皆が違うといっても、自分がそうだ思えば、そうなのだ。
だから、周りに配慮するのである。
決して回りに合わすために配慮しているのではない。
自らの尊(とうと)さを知れば、他の尊さ(存在価値)を知ることになる。
自らと他の尊さを知れば、全ての尊さを知ることになる。
全てが尊く差がなくなれば、全ては尊く無い
084 不愛知の哲学
「すべては相対である」
赤があるのは、青や黄などと区別するためである。
世界が赤一色なら赤という言葉はない。
赤があるのは、他の色があるからである。
赤は他の色と相対として存在する。
赤と他色をまとめると色になる。
色があるのは、形があるためである。
色や形があるのは、視覚があるからである。
色は形との相対である。
視覚があるのは聴覚・触覚・味覚・臭覚の知覚があるためである。
知覚があるのは
082 タブーなロゴス(言葉・論理)
タブーとは明確にしるしをつけること
いつの時代のどの人間の社会でも、タブー(禁忌・きんき)というものが存在する。そのタブーとは普通、してはならないこと、禁じられていること、である。
そもそもタブーはポリネシア語で「明確にしるしをつける」という意味である『ベネッセ表現読解国語辞典』『カレッジクラウン英和辞典』。
明確にしるしをつけることがタブーなので、明確でなければタブーではないと言うことはで