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本能寺の変1582 重要 ◎目次 231113 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

重要 ◎目次 231113 

はじめに ←目次 ←重要 ◎目次 
*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。

信長の油断 人間五十年

◎第4話   第4話
  ◎これが信長の生き様であった。          『信長公記』
  ◎信長は、己の人生と重ね合わせた。
  ◎信長は、「五十年」を強く意識していた。
  ◎そして、桶狭間へ。               『信長公記』
  ◎だが、この「五十年」が信長に先を「急」がせた。
  ◎そして、それが「焦り」になった。
  ◎そこに、「隙」が生じた。
  ◎これすなわち、「油断」。
  ◎「五十年」→「急」→「焦り」→「隙」=「油断」
  ◎光秀は、そこを衝いた。
  ◎これが本能寺の変である。

光秀の苦悩 光秀の不安 明智の将来

◎第6話   第6話
  ◎信忠は、わずか一日で高遠城を攻略した。     『信長公記』
  ◎これが、武田最後の戦いになった。        『信長公記』
  ◎仁科信盛の首。                 『信長公記』
  ◎信忠は、後継者として申し分のない人物だった。  『信長公記』
  ◎信忠は、逞しい戦国武将に成長していた。     『信長公記』
  ◎信長は、これに満足していた。          『信長公記』
  ◎太田牛一がその証人である。           『信長公記』
  ◎織田家の前途は、大きく開けていた。
  ◎だが、しかし、明智は、・・・・・。

信長の性格 用心深い

◎第23話   第23話
  ◎細川藤孝は、信長から言質を得た。
  ◎上洛間近、誰もがそう思った。         「多聞院日記」
  ◎信長は、確かに、約束した。          「多聞院日記」
  ◎だが、信長は、用心深い。           「多聞院日記」
  ◎それは、糠喜びに過ぎなかった。        「多聞院日記」

時代の風潮 相互不信

◎第24話   第24話
  ◎義昭は、美濃と尾張の和睦を進めた。「中島文書」
  ◎斎藤氏は、信長を信用していない。「中島文書」
  ◎信長もまた、斎藤氏を信用していない。
  ◎「相互不信」
  ◎これが、この時代の風潮だった。

光秀の深層心理

◎第201話   第201話
  ◎光秀は、誇り高い男。
  ◎光秀は、美濃国住人、土岐の随分衆なり。
  ◎土岐氏は、美濃源氏の嫡流家であった。
  ◎明智氏は、土岐氏の一族である。
  ◎光秀の明智氏は、その庶流だった。
  ◎光秀は、土岐頼康を尊崇していた。
  ◎光秀は、土岐の歴史から教訓を得た。
  ◎一、主君ならばこそ、油断すべからず。
  ◎光秀は、粛清を怖れていた。
  ◎一、頼むべきは、己の力ただ一つ。
  ◎一、判断を違えれば、消滅する。


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原因・動機の究明は、この一歩から!!



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