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人生がゲームだったら
わたしは
数年前から
人生を
"自分をゆるしていくゲーム"
と設定して
日々攻略に励んでいる。
始めてすぐは
ゆるすも何も
まず自分のことが
何も分からない段階
自分、
というものの
輪郭もぼんやりしているし
自分の許せない部分さえも
とらえきれていない状態。
探り探り進んで
ゲームオーバーを
繰り返しながら
ちょっとずつ
自分という
キャラクターの属性を知っていく。
すべ
私がわたしのまんまでいると、きみは癒されるという。「卑屈で捻くれ者な私だよ?」そう反論すると、「だけど素直にそんな自分と真っ直ぐ向き合うじゃない」ときみは答える。「だって私は卑屈で捻くれ者なわたしもすきなんだ」ーーその言葉にきみは満足そうに微笑んだ。
いつもご機嫌でいられるのは
"自分の機嫌は自分でとる"
自分の感情に振り回されて
支配されるまで至っていたわたしが
そんなことを習得できたのは
ご機嫌じゃない自分をゆるしたことが
きっかけだったかもしれない
"疲れてるの?"
そりゃ人間だからね
生きてるだけで疲れるのだ
そういえば
疲れた時に
罪悪感なく「疲れた」
と言えるようになってから
格段と気持ちがラクになった。
昔は
疲れたなんて言える立場
「今この瞬間」を心地いいものにしていく作業の繰り返しで人生が心地いいものに変わっていく
心地わるさ、を見つけたら
心地いい、を知れるチャンス
ということは
見るべきものはいつだって
外側ではなく
自分の内側にあって
自分という存在さえあれば
しあわせであれるということ
だけどその先に
大切な誰かといる時間の
心地よさに触れたとき
豊かさをまるごと
奥底から
感じられるときが来る