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幻想やファンタジーより、 リアルはもっと色鮮やかで 生々しくて美しい。
タイムラインには、変わらなきゃダメだ、行動しなきゃダメだというメッセージが始終流れてくる。
それを見て、多くの人が焦り、自分はダメだと思い、何者かにならなければと思ってしまうのではないか。
だけど、今この瞬間にイエスを言い続けることの方が、もっとずっと大切な気がする。
そうやって、自分を追い立て何者かになろうと駆り立てられている時には、目の前にあるものが見えなくなってしまう。
道端の小さな花
原理主義的執着から離れて、自分のやり方で足元から何をやるか。
facebookでの知人の投稿より。
「今起きてる、マイクロコスモス含めた世界の課題は「自分たちが正義。それ以外は悪か存在しないもの」という原理主義的執着からくるものが多い。」
yes。
いやはや、言葉が適格ですな。
私はこういう風に言えなくて、ぐちゃぐちゃごちゃごちゃ言ってしまうのですが、まさにそうで。
そこに対して何ができる
あなたの原点はなんですか?私の原点は自然や地球の中にいる時の 包まれた感覚。
みんな、子供の頃、何やって過ごしてた?
そこにすべてが表れていると思うんだ。
私はね、
学校が終わると
いつも裏の山に行ってたの。
カタツムリやバッタと遊び、
木の実を取って遊んだ。
いつも、ひとりで。
原家族が文京区の
東京ドームの裏にあって
そばには後楽園庭園や
小石川植物園があったから
(当時は子供は無料?)
そっちにも毎日のように行っていた。
ザリガニ釣りをしたり、
川の中に入っ
さまざまなセラピーを見てきた後で、セラピー的アプローチを捨ててしまった。
以前は、問題に自分の意識をフォーカスさせていた。
が、今は問題や心配ごとではなく、人やこの世界の可能性にしか関心がない。
そしてある意味で、人もこの世界もこのままでも完全なのだとも思っている。
自分から見て違うなと思っても、その人や起きている事象は今の最大最善を生きているのだと。
違うとみなしている自分のまなざしを問い、それよりは人や世界の力や可能性を信じている自分でありたいと。
よくしよう
多くの人が、正しいか間違っているかいいか悪いかを、とわに果てしなくジャッジし続けている。
先日、facebookの某グループにこんな書き込みをしました。
人を肯定するということは、相手のいいところを無理矢理探して、ムリしてほめるということではない。
いろんな在り方を面白がれる視点を、自分の中に増やすということなんだ。
自分と考え方の違う相手のそのままを面白がる。
自分の正解に相手を合わせようとするのではなく。
そうしたら、「相手の良いところや可愛いところを見つけたりするのはいいです
招待枠2名という仕組みに対する違和感を拭い去れない。
かつて情報というものが占有されている時代があった。
特定の情報を占有している者のみが力をもてた時代があった。
そして情報を占有すること自体が権力になり、その情報というものに多くのものがひれふした。
ヒエラルキーというのは情報を占有できるかどうかという権力構造だった気がする。
いじめや村八分もそうだよね。
コミュニティからの疎外化と、私たちつながってるよねーという仲間意識。
入れるものと入れないも
思っていることがそのまま現実になることが、あなたはこわいですか?
「現実化」という言葉は引き寄せの法則などで知られるようになったが、私がこの言葉を知ったのは、神秘主義者でアカシックレコードの第一人者であるゲリーボーネルを通じてである。
そもそも25年以上前、フリーライター時代に私はこのゲリーボーネルを取材して出会っていた。
当時ゲリーは体外離脱ワークショップとかをやっていて、怪しい外国人だなーとしか私は思わなかったのだが(笑)、その後彼は日本でどんどんメジャー
継続はすごい。瞑想も10年やると、頭の中の雑念が静まってくるよ。
何かを得なくてもここにすべてがあるという感覚を思い出すのに一番いいのが、やはり瞑想なんだよね。
この10年間、なんだかんだいって、瞑想は続けている。
やってない時期もあるけど、でもまた思い出して始める。
毎朝1時間くらいやっていた時もある。
それくらい、しんどかったからだろうけど。
10年前に瞑想をやっていた時の感覚をいまだに覚えている。
頭の中でずっと何かの想念や言葉が騒がしくて静まるこ
自分を愛することが、すべての幸せの基盤となる。
多くの人が勘違いしているんだけど、何かを得たら幸せになれるわけではないんです。何もなくても幸せな状態を作ってからやるから、うまくいくんです。
資格をとったり、自己実現のためには、お金もエネルギーも時間も費やすのに、自分をケアし楽しませるためにはケチっている。そうやっていると、どんどん、スカスカになっていって、自分がなんのために生きているかがわからなくなってしまう。
まず最優先すべきはセルフケアな
「治しちゃダメだ」「とことん死んでください」というふたつの言葉が私を救った。
私は、ほとんどの助言に対して、「ほっといてくれ、私は私のやり方でやる」としか思わない。
そもそも、頼んでもいないのに、なぜ助言してくるのかわからない。
ただ、聞くということがなぜできないのか。
だが、助言の言葉がズキュンと私に響いたことが2回だけある。
ひとつは、私の恩師でもあり共著者(『ヘンでいい』を共同執筆)でもある精神科医の斎藤学氏の言葉。
今では信じられないが、かつて私は、自己否定が
なぜ、対話をするか。
自己開示抜きの一般論だけの言葉のやりとりを、私は対話だと思っていない。
自己開示と言っても何でもかんでも言いたくないことまでさらけ出すことではなくて、自分がなぜそう思うのか。いまこの瞬間に自分は何を感じているのか。その背景にはどんな経験があるのか。
相手の言葉の背後にそれが見えた時に、その言葉の意味が自分の内側深くに降りてきて、意見や信念を超えて相手の何かに触れることができて、自分も自分の枠組
外側のキラキラした何かを基準にすればするほど、どんどん自分から離れていく。
とある人の「人を変えるのは、言葉ではなくて存在の光なのだとつくづく思う。存在の光が、なにかを伝えた時に、伝えられた人は自分で何かを取りにいく。」という言葉を読んで、なんかモヤモヤする。
そもそも、人を変えようと思うこと自体が傲慢ではないのか、とか。
存在の光っていうけど、すべての人に存在の光があって、外に光を追い求めてしまうとき、自分の中にある光を忘れてしまうのではないか、