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自分史 profile

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noteを書き始めたきっかけは自分ストーリーを書いて本のようにしてわかりやすくスッキリさせることでした。私の幼少期から最近までです。
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記事一覧

大切なものを失う時

大切なものを失う時

自分の意思ではなく
他人の言動で自分の大切なものを失うことは、自分の意思の弱さが原因で起こることではない。

私は
「自分がどうしたいか」
「あなたはどう思うのか」

と言う自我の尊重を無視した選択をせざるを得ない人生でした。

他人のエゴによって自分の人生や自由を閉じざるを得ない状況が沢山沢山ありました。

幼少期から最近まで
自分の意思で友人を選ぶことが出来ませんでした。

「あなたはどう思う

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脊髄損傷から10年経って

脊髄損傷から10年経って

参考になるかはわかりません

私が脊髄損傷の告知を受けたのは、事故後1年経ってからでした。
この時はまだリハビリ入院中…
と言うことは一般のリハビリ入院期間の7ヶ月をとっくに過ぎていたんです。

主治医の先生に
「何の病気なの?」
と聴いたのか、数日経って私の担当の女性のPT(作業療法士)の先生からWikipediaの脊髄損傷のプリントをもらっただけです。作業中(温熱マッサージ中だった
かな)プリ

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育てなおし

育てなおし

母はとても厳しい人でした

東洋占術では
「育てるってことが出来ない
 母性と父性の考えのどちらかに    寄ってしまい常に不安定」

ホロスコープで見ると
「グラウンドクロス…起業家になるような人」

母の父は厳格な地元の人格者でした。
不登校になってしまった私は、大好きな祖父に会わせてもらえなくなりました。制服のまま祖父の田舎に行ってもたまたま駅前にいた祖母に助けてもらい、500円しか持ってい

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絵も成長していく

絵も成長していく

私が初めてワークショップを受けて描いた絵はパステル和アートでした。

今の彼のハタチの誕生日に出逢う直前に描いているので、運命のようなもの、自分の力ではなく抗えない大きな流れに乗せてもらったことを感じます。

それから絵とは離れて好きな創作活動はしていました。書道を源流にリハビリ中のデイサービス通いで教えてもらいみんなで創作した大きなコラージュアート(写真が残ってません)は毎年1年かけて1作品作る

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休息入院

休息入院

気学&算命学オリジナル鑑定書作成してます

私には糖尿病既往歴があります。
2011年の脊髄損傷での手術入院リハビリ後の2013年に検査でたまたま見つかりました。

大手術にリハビリに糖尿病まで入ったら三重苦です。

すぐにリハビリに通っている病院に再入院しました。

たまたま出会った内科の先生が目の中に星があるようなキラキラした瞳をしていて

「この人が私を助けてくれる」

こう本能的に思いまし

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40代からの独立起業

40代からの独立起業

気学&算命学オリジナル鑑定書作成してます

私は学校もろくに行かず、習い事ばかりしていた人生でした。
働いたことはハタチ前後の4年ばかりです。

その後音楽と芸術の世界に居て、一般の方とはかけ離れた人生を送っていました。

なかなかやっていることが形になりづらく、社会的にも家族にも認められず、入退院を繰り返しながら40才過ぎても思春期の迷いの中にいました。

母が私が中学生の頃から不登校の会や心の

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質問リレー方式?

質問リレー方式?

ゆる〜く自分を再発見したい人に100の質問

名前は? ※由来も教えてください 慶子 ※由来 氏神様で付けてもらいました

誕生日 / 年齢は? 非公開 ○理由 生年月日は占い師さんは全てお見通しなので安易に公開しない方が良いです

血液型は? AB型

身長は? 158センチ?バレエやって2センチ伸びました

靴のサイズは? 23.5

家族構成は? 非公開

飼ったことのある動物は? ※名前も

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占い師デビュー秘話

占い師デビュー秘話

それは
熱烈なプロポーズを受けたような
衝撃でした。

2017年の6月の始め
自分がやっている
カードリーディングの先生から

「来春に占い師デビュー」

自分の人生の方向性に迷い過ぎて
不安定な心持ちが
治らないまま

きちんと上の先生に
九性気学のお講座を2ヶ月
それも
分割払いで受けた直後の出来事でした。

私は
超落ちこぼれ生徒だったと思います。

カードリーディングの
初級講座の最後の

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母の言葉

私は親の悪口を書きたくありません。

だから
○親と言う言葉が大嫌いです。

どうしてそんな言葉があるのか
誰がそんな言葉を作ったのか
誰がそんな言葉を必要とするのか

その言葉を私が10年
いえ20年前に知っていたら
誰かに助けてと訴えかけることが出来たのでしょうか

子供は何年経っても無力です。

私の心はだから
子供のままなのかもしれません。

親が子供を死ぬまで追い詰める
こんなこともう忘

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駆け込み寺

「寅卯空亡は友人が出来ない」

そんなことないですよ〜

確かにLINEは使ってないし
ケータイの電話帳の友達枠は1人も居ません😂(メルアドは少し残っている)

それを寂しいとか
他人と比べて羨んだりとか
そういう気持ちが私にはありません。

どうしてこんなことになったのでしょう?

私はパカパカのケータイを持ったのが30代後半でした。

20代はポケベルとかピッチとかたまごっちとかテトリスとか

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万年筆の思い出

中学生の時に
誰かにプレゼントでもらったのでしょう

細いクリーム色の子花柄の
万年筆を日記等々を書くのに
使っていました。

今考えたら
生意気な奴?

いやいや
そうでもないらしいです。

「どうしてあんなに
字が綺麗って言われたのかな?」

万年筆で書いているところは
当時は誰にも見せてませんでした。

万年筆の替えのインクは
出来たばかりのパルコではなく
子供の時から通っていた
市で

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私の人生に影響力が大きかった人

それは
「おじいちゃん」です😌💓
おじいちゃんでも
3人です。

おじいちゃん先生
と言うか
師です。

生きる姿を見せてくれて
力のある言葉をくれて
笑顔をくれて

人格者でも
生きざまってものを
最後まで見せてくれました。

まずは
母方の祖父

幼い頃から
奥多摩の祖父母の家にいることが
多かった私は

もうすっかり
おじいちゃんになっていた
祖父の影響を
1番受けていると思います。

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初めての彼

23才

バイトと習い事で
大忙しだった私に
ひとつ年下の彼が出来ました。

大手音楽専門学校に通っている
ドラマー志望の人でした。

バイト先の友達の通っている
専門学校のセッショングループの仲間

よくある
出会った勢いでなんとなくそんな仲に

華々しい高校大学生活がなかった
と言うか
やりたいことを見つけて
その道に夢中だったので
普通に恋愛することを知らなかったんです。

好きな人がいたこ

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