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輝く文章

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noteの中で書いた文章はこちらにまとめました。
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#死

27歳

27歳

ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンのように、27歳で死にたいとか、逆に27歳まで”生き延びてしまった”みたいな発言をするような、「27歳」を特別視する一部のムーブメントが苦手である。今の若い方たちの中に、この27歳を特別視する人間がどれほどいるのかは不明だが、わたしが20代の時には「俺は27歳で死ぬ」と豪語する者、無事27歳を迎えた事実を何かしら含みを持たせてアピールする者などがいた。

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10/28早朝、ガスコンロの音で

10/28早朝、ガスコンロの音で

10/27は友人の命日だった。
彼は2016/10/27の早朝、一人暮らしの一室で自ら命を絶った。

家族や、わたしのような彼の友人が、その事実を知るのはこの日から少し後のこと。すべてが終わったその部屋では心ばかりの遺書が用意され、残された者が困らないよう、スマホを解除するのに必要なパスワードなどの情報が紙切れにまとめられていたのだとか。

「偶然の出来事」に、何もかも”意味”があるのだ(それこそ

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【過去エッセイ】元狂暴キャットが亡くなった話

【過去エッセイ】元狂暴キャットが亡くなった話

2020年12月、実家の猫が亡くなった。

この猫は、うちにとって”初めての猫”であり、ちょっと一癖ある猫だった。一癖とは――…一言でいうとこの猫は「狂暴」な性格の持ち主だったのである。いや、狂暴なんて生易しい言葉では足りない、”狂っていた”といっても大げさではないだろう。そんなクレイジーな元狂暴キャットがどんな風に生き、どんな最期を遂げたのか、ここに書き記す。

はじまりは15年前、2006年の

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わたしの近くで、遠くで

わたしの近くで、遠くで

新型コロナウイルスの影響で”当たり前だったこと”が当たり前でなくなり、わたしたちの生活はガラリと変わった。それは誰もが身を持って体感していることだろう。そんな中、自ら命を手放す人も少なくなく、SNSや報道では途切れることなく悲しみの声が寄せられた。

一方でこのコロナ渦の中、海外の難民の方々は我々以上に壮絶な生活を強いられているという話を聞いた。一日一日の生活を送るだけでも精一杯な彼らに、生活支援

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4回目の27日によせて

4回目の27日によせて

今日は大学時代の友人の4回忌だ。そんなことを思いながらヘッダーのイラストを描き終えたら、翌日夢を見た。(ヘッダーの左側にいる男性がわたしの友人だ。わりかし似ていると思う)

夢には大学時代、学科内でわりと仲良くしていた2人の友人が出てきた。
わたしと、亡くなった彼と、夢に出てきた2人は実験や実習が同じグループで、授業を通して仲良くなった。4人ともキャラクターや性格がまったく違い、授業で一緒にならな

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変わる、変わらない

変わる、変わらない

時期に応じて、いろんな仕事をもらっているのだけど、現在は、いろんな街に行って対象の物件や街並みを撮影し、それらの魅力を伝える原稿を書いている。知らない街に行けば楽しいし、知っている街に行けば、また別の魅力を発見する。そしてついこの間は、”知っている街”――自分の通っていた大学のある街に行ってきた。

今から9年前に、わたしはとある短大を卒業した。栄養や調理などについて学んでいたのだが、結局その道に

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駆け抜けた人たちのこと

駆け抜けた人たちのこと

本日は成人式。そして、先日は父の命日。新年を迎えて少しすると、今は亡き人のことを思い出す。それが、わたしの毎年の決まりだ。

まず、わたしは成人式には出席しなかった。引っ越し族だったヒガシノ家。そもそもわたしの生まれは「兵庫」だったが、その後は神奈川、東京で学生時代を過ごす。そして最終的に、住んで1年ほどの何のゆかりもない土地で成人の年を迎えたのだった。もちろん成人式に行っても知り合いが一人もい

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もう居ない人間の「美談」も悪くない

もう居ない人間の「美談」も悪くない

最近、誰のために何のために、漫画なり文章なりを書いているのか、そこに何か大きな意味や価値があるのか、自分が一体何をしたいのか、漠然とむなしさを感じていたけれど、もうすぐ大好きな友人の命日だと気づいてから、ああ、そういえばわたしは自分の心を整理するためにこうやって絵を描いたり、文章を書いたり、モノを作ってきたのだから、そのままで良いのではないか、と思った。

友人が亡くなったと知った直後は、「自殺」

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バカ娘元気に生きる

バカ娘元気に生きる

今日は父の命日。彼が亡くなって、5回目の年だ。もともと、父の話を書きたくてnoteを始めたのだが、それ以降も毎年違う視点でこの日について考えをしたためている。

■命日 2年の記事…「おっさんの妖精が本当になった日。」
■命日 3年の記事…「妖精の命日。(おっさんへ)」
■命日 4年の記事…「――――という、はなし。」

あれから5年もの月日が流れると、わたしの状況も一段と変わり、バンドのCDが

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二年になります、お元気ですか?

二年になります、お元気ですか?

先週のnoteで、亡くなったわたしの友人について触れたが、今日はその友人の二周忌である。26日の日付をまたぎ、「27日」を迎えたころ、胸が締め付けられるように切なくなって泣いた。でも、それでいいのだ。
そして先週のnoteに書いた通り、今日はその友人と最後に会ったときの話を書く。何の変哲もない数時間だったが、とにかく今はそれがとても大事な思い出だ。

友人と最後に会ったのは2016年の5月くらいの

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わたしのAからZまでの人たち。

わたしのAからZまでの人たち。

翻訳家・岸本佐知子さんのエッセイ「なんらかの事情」を読み終えた。正直、後半は彼女の妄想っぽい話が多くて若干飽きつつあったのだが、『ありがとう、元気で』という話にハッとさせられるものがあった。

それは、
『生粋の日本人なのに必ずインド人に間違えられるので怒ってボリビア人と結婚してしまったF』
『妹と並ぶと母娘に間違われ父と並ぶと兄弟に間違われたP』
というように、彼女がこれまでに出会った人物や、知

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たとえ『乾杯』のカップを避けられても~2017終わり~

たとえ『乾杯』のカップを避けられても~2017終わり~

先日、職場で軽い慰労会のようなものがあった。任意参加だったので、顔を出さずに帰りたかったが、職場の方が何人も気にかけてくれたため、30分だけ顔を出した。しかし、その会の冒頭で、わたしはある女性社員からことごとく『乾杯』を避けられることになる。一回目、スッとカップが避けられたときは、タイミングが悪かったのかなと思った。しかし二回目もカップを避けられ…”アッ!これ、わたしと乾杯をしたくないんだ!”と気

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死んで一年、生きてもう一年。

死んで一年、生きてもう一年。

先週の金曜日から風邪が続いている。喉・鼻・咳ときて、また鼻だ。週3日しか会社に行かないくせに、うち2日間を休んでしまうほどだった。サンサンと晴れた外、寝ているわたし、加湿器のボコボコという音。どうしても、気持ちが塞ぎこんでしまった。

先週の金曜日、10月27日は友人が亡くなってちょうど一年になる日だった。とはいえ、わたしが友人が亡くなった事実を知ったのは2016年11月8日のこと。だから、本当の

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モヤりごと。

モヤりごと。

仕事の帰り。
スーパーでたくさん買い物をしたら、買い物袋が2つになって、両手にひとつずつ下げて家に向かった。

髪の毛を左右に揺するほどの風が継続的に吹いていて、これくらいの気候がずっと続けばいいのにな、と思った。

10月に入ったし、気温もにおいも音も全部が秋に感じられた。

何か考え事をしていると、周りの音がよく聞こえてきたりする。バスが通ったり、子どもが笑ったり、自転車が通り抜けたり。

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