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やさしい人に逢いたい。でも、無理しないで。きっと幸せになって。
やさしくて あたたかくて
深くて 純粋な人って
もともとの数(母数)が
ちょっと少ない
とか
なかなか
目立つばしょには
出てこない
とか
まわりの人に
嘘にされてしまう
あるいは
存在しないことに
されてしまう
とか
いろいろな理由で
ふつうにすごしていたら
なかなか出逢えないけれど
いるところには
いるものなんだなあ……と
最近実感しています。
でもわたしは
探す途中で
優
目、耳よりも“心”で「美しい」と感じるものが好き。
もしかしたら自分は
感覚的に「美しい」「綺麗だ」と
感じられるものが
好きなのかもしれない と
ふと思いました。
たとえば
雰囲気や世界観、
人の感情、感性、
考え方など。
(目や耳ではなく)
「心で美しいと感じるもの」
というのでしょうか……。
雰囲気ゲームなどが
好きなのは
まさにこれなんだと
思います。
(目で見たり耳で聞いたりして
綺麗なものも好きなので、
目・耳・心
いざやめるとなったら賑わうのに、活動中は来ない人たちがいることについて。
⚠️この記事には一部の方(やめることになって初めて賑わうという体験をされたご本人、またその関係者や友人の方々)にとってかなりキツく感じられる可能性のある表現が含まれます。許容不能な考えを見ても怒ったり落ち込んだりしすぎず、また、反射的な非難を行わないようご自身をコントロールできるような精神的余裕のある方のみご閲覧ください。
上の警告文を読んで嫌な予感がした方は、ここまでで閲覧をおやめください。ご
人の職業だけ聞いても興味はわかないし、大切なのはその背景だなと思う。
職業名だけ聞いても
その人のことって
何もわからないんですよ。
……というのは
ちょっとおおげさかも
しれませんけれど
職業ってその人が
身につけている
服のようなもので
それだけ見ても
その人自身のことは
(一つもとは
言いませんけれど)
あまりわからないんですよね。
同じ服を着ている人でも
同じ性格とは限らないですし。
なので、大切なのは
“なぜその仕事を
選んだのか”
どうしてアンチがファンに変わるのか?
過去、いろいろな人に何百回と考えられていて
すでに結論も出ていることだろうとは思いますが
せっかく自分で考えたので記事にしてみました。
単純に
「攻撃したい」
という動機だけの
アンチはきっと少なくて
ほとんどが
ストレスや
トラウマなどに
押し潰されそうに
なっていて
それから
逃れるための
手段として
防衛のように
攻撃をしてしまっている人
なんじゃないかなと
思います。
でもその発
「泣かないで」って言うのは違う気がする。【追記】
悲しんでほしくない
という思いは
もっともなんです。
ただ
「泣く」というのは
もうすでに
つらい気持ちがあるから
起こることであって
それなのに
その気持ちがある状態の人に
「泣かないで」と言うのは
体でたとえると
すでに体の中に
ウイルスが入っている人に
「熱を出さないで」と言う
とか
すでにのどに
食べ物がつまっている人に
「せきこまないで」と言う
とか
そういうことと
同
死にたくたっていいじゃないか
⚠️この記事には生死に関する不快な表現が含まれている可能性があります。許容不能な考えを見ても怒ったり落ち込んだりしすぎず、また、反射的な非難を行わないよう、ご自身をコントロールできるような精神的余裕のある方のみご閲覧ください。
※筆者に自殺を推奨する意図はないことをご理解ください。
上の警告文を読んで嫌な予感がした方は、ここまでで閲覧をおやめください。ご期待に添えず申し訳ありません。記事を開い
「いい匂いしそう」という感覚がわからない
わたしは嗅覚が
若干過敏なのもあり
超至近距離まで近づかずとも
勝手に空気中を伝わって
漂ってくるほどのにおいが
苦手です。
シャンプー、香水、
汗拭きシート、
お菓子、食べ物等々
とにかくなんでも
においが漂っていると
人か物か店かに関わらず
近寄りがたいのです。
だから
私にとって
魅力的なものは
数センチ以上離れていれば
においがしない
というのが
前提条件というか
当たり前な感
ゲームを作りたいけど、ゲームが作りたいわけではない?
私はまれに
フリーのゲームを
個人で作ることが
あるんですけれど
なんだか
ノベルゲーム
もしくは
イベント一切なしの
マップを歩き回るだけの
ゲームなら
ちょっと
作ろうかなという気に
なるんですけれど
他の形式だと
本当にやる気が
出ないんですよね……(笑)
何故だか
わからないんですけれど
興味のムラが激しく。
もしかしたら
ゲーム性のあるゲームには
興味がないのかも……。