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生きたくない日本人

これは国語辞典の編集者、言語学者の金田一秀穂氏がテレビで言っていたのだが「日本人は自分があまり好きではない人が多い」らしい。国語辞典を作り日本人の多くを知っている人物だけあって説得力があった。もちろん「自分大好き」という日本人もいるだろう。

この意見を聞いて個人的にいろいろつながることがあった。

まず、日本は海外に比べて子供の自己肯定感が低いそうだ。アメリカやフランス、欧米は自分が好きで自信を持っている子供が多いようだ。特にアメリカ人は自分が好きという割合が高いらしい。どうやってこれらの国民性が出来上がったのかはよく分からないが。日本の若者の間で欅坂46のサイレントマジョリティーが流行った理由もここにあるだろう。

街中で日本の親子を見るとたいてい母親は子供に注意をしたり、叱っている。国土が狭くて人口が多いから周りに気を使わないといけなかったり、他人に迷惑をかけてはいけない日本人の文化、美意識もあるだろう。ただ自分は海外滞在経験があるが、他の国の親は日本の様にそんなにしょっ中怒ってはいない。

そんな子供達が大人になる。日本人は他人に迷惑をかけることが一番嫌いで世界一規律が厳しい国と言えるだろう。しっかりしていて小さなミスも許さない。どこでもキッチリ並ぶし、電車が1分遅れて大騒ぎするのは世界で日本だけ。その細かさが逆に高品質な製品、サービスに繋がっているといのもある。しかしあまりに細かく、完璧主義なので日々の生活にゆとりがなく閉塞したストレス社会という面もある。

まあ一長一短だろう。

鬼滅の刃が流行ったが、キャラクターの善逸が一番の人気だったみたいで、「自分はダメだダメだと言われる。でも僕だって出来るんだ!」というキャラに自己肯定感の低い日本の子供が大勢共感するというのはすごく理解ができる。

日本人は欧米人と違って喜びを素直に表現したり、大声を上げるのを良しとしない。下品だと思われる。最近はスポーツでガッツポーズをしても何とも言われないが、昔は勝っても人前ではしゃぐんじゃないという風潮があった。「奥ゆかしさ」を好む日本文化だ。最近は多少は欧米化してきたんだろう。

だから自分が何かに貢献したり、すごい事を成し遂げても声高に言うのを善しとしない。「自分で言ってるよ」みたいに白い目で見られる。それよりも努力していた事を誰にも言わず後で「〇〇さんが実はやっていてくれたんだよ」と他人が気づくという方が日本では賞賛される。とにかくアメリカ人みたいに感情をあからさまに表に出さず、つらい事やスポーツのジャッジで理不尽があっても耐え忍ぶというのが日本では美しいとされる。

これは実生活にもつながっている気がする。仕事が辛い、生活が苦しくても「苦しい」とは言わず、苦しいながらも頑張り、耐え忍ぶ姿が美しいとされる。だからドラマの「おしん」が大ヒットするのだ。「武士は食わねど高楊枝」という言葉もあり辛くてもそれを見せるなという文化があるのだろう。おしんは海外でも賞賛されているから「つらい境遇でも努力する姿勢」というのは素晴らしい事であり間違いじゃない。

しかし、それが行き過ぎ、どんなに辛くても我慢をするという部分が日本にはあると思う。いうなら「ドM気質」だ。生活保護を申請せず、水も電気も止まり餓死した家族のニュースを日本では時々耳にする。

海外では生活が苦しかったり仕事がなかったりしたらすぐデモが起き、道路を市民が埋め尽くす。日本でも最近は欧米の影響を受けてデモを見るようになったが、小さなパレードレベルで、本気度も規模も海外とは比べ物にならない。日本で石や火炎瓶が飛ぶ事はまず無い。

コロナ禍でも給付金を国に求めたり、消費税減税を要求したりすると「乞食根性だ」とか「自分でなんとかしろ」「自己責任だ」みたいな声が一部から上がるし、政府に要求することに後ろめたさを感じたり、何となく「はしたない」と思っている国民もいるだろう。「国には頼りになりたくない」と言う人もいる。これは昔から「苦しくても耐え忍ぶというのが日本人の美徳だ」というのが日本人の心に刷り込まれているからだろう。なぜ、いつからこういう国民性になったのかは分からないが。

普段それほど国に要求しない、消費税が10%、給料がデフレで30年間上がらなくても文句を言わなかった日本人が新型コロナパンデミックの大恐慌で「給付金を出せ」「消費税を下げろ」と言っても「はしたない」「国にたかる乞食」のように言う一部の人がいるし、あまり国に要求したくないという人も実際多いだろう。しかし100年に一度の大災害で国に支援を求めるのは税金を払ってる国民からすれば当然のことで、何ら恥ずかしい事では無い。世界中の国民が要求していることだ。

では、苦しくても国に頼らない日本人がどうするか?というと。「自殺を選ぶ」

海外では政府に対してデモをしたり、アメリカではムカつく人を射殺したり、ブン殴ったり、怒りを外に発散するが、日本人は怒り、憎しみ、悔しさを内に発散する。

これは最初に触れた「自己肯定感が低い、自分をあまり好きでは無い」という所につながっている気がする。

自分を愛し、好きだったら、自分が苦しい目に遭いたくないしもっと生きたいと思うはずだ。アメリカ人みたいに「俺は自分が大好きさ。俺って最高だぜ!」って人は自殺を選ばないと思うし、自己肯定感が高く自分が好きな人間は、「自分が死ぬか他人を殺すか」という究極の時に他人を殺すと思う。アメリカだと「失業、低収入で苦しいなら政府にデモすれば良いし、上司がムカつくならブン殴ればいい。簡単だろ?」みたいな価値観だと思う。

だが日本人は消費税が上がっても、コロナ禍で生活が苦しくても、失業しても、感染して入院できず自宅療養でも、政府に怒る事もなく「しょうがないよ」とあきらめる。生きたい人がする態度とは到底思えない。仕事をクビになって上司をブン殴る事もない。追い詰められた人はただ電車に飛び込んで自殺する。

もちろんこのアメリカ人と日本人の話は極端な例で、アメリカ人でも自殺する人もいるし、日本人で上司を切りつける人もいる。ただ大きな風潮として「日本人は我慢する」というのはあると思う。

「他人を殺すくらいなら自分が死ぬ」という日本人と「自分が好きだから他人を殺す」というアメリカ人やヨーロッパ 。どちらが良い悪いではなく価値観の違いだろう。

ただ、自分か他人どちらかが死ななければならないという究極の状況の時、自分を愛し、本当に好きな人ならば「自分が生きたい」と思うのが普通であり、昆虫でも動物もそうだろう。

しかし、そうはせずに毎回自分が追い詰められても「しょうがないよ」とあきらめる。自殺を選ぶ日本人は「自分のことが好きではなく」「本当に生きたい」と思っていないんじゃないかと思える。

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